ENTERTAINER
2025をつくる人たち

大八木おおやぎ 弘明ひろあきさん

駒澤大学陸上競技部総監督|Ggoat Project代表

大八木 弘明(駒澤大学陸上競技部総監督|Ggoat Project代表)|日本記録のその先。世界と戦える『GOAT』へ

2025.06.20

低迷していた駒澤大学陸上競技部を駅伝の常勝チームに引き上げ、史上5校目の大学駅伝三冠へと導いた知将・大八木弘明。
選手を鼓舞する「男だろ!」の檄は、いつしか大学駅伝の名物となった。
2023年には監督業を勇退し、翌年にアスリートプロジェクト「Ggoat」を始動。
目指すのは、日本人が長距離種目で世界のトップを獲ること。
大八木の挑戦には、日本陸上界の可能性が映し出されている―。

  • シェアする

「とんでもない人が来たな…」
選手の夢を叶えるための改革

――1995年に母校である駒澤大学陸上競技部のコーチに就任されたのは、どのようなきっかけからだったのですか?

大八木 当時陸上競技部のヘッドコーチから、「駒澤大学が箱根駅伝に出られないかもしれないから協力してほしい」という連絡がありました。私はヤクルトのコーチをしていたので迷いましたが、母校にはお世話になったし、引き受けようと思ったんです。当時の駒澤大学は箱根駅伝でシード落ちし、毎年予選会に出ていました。前年の予選会はギリギリの6位通過で(当時は6位までが本戦出場)、次こそ危ないという状況でした。
最初は、一度予選会に落ちたあとに入る方がいいかな・・・とも考えたんです。もし私の就任直後に落ちたら、「大八木のせいだ」と言われそうで気が重いなぁと(苦笑)。でもそうも言っていられない状況だったので、腹を括ったんです。就任した年も予選会は同じく6位通過だったのですが、翌年は上位通過で復路優勝、本戦でもシードを取りました。私が36歳でコーチに着任して2〜3年で、箱根駅伝に出られないという危機からは脱することができました。

――いちばんピンチのときの着任だったんですね。そこから2000年に箱根駅伝で初優勝し、コーチから監督へと就任された2004年には4連覇されました。低迷していたチームを常勝軍団にしていく中で、大切にされてきたのはどんなことですか?

大八木 駒澤大学の陸上競技部に入ってくる学生たちは、箱根駅伝を走りたいという子がほとんどでした。チームを強くして選手たちの夢を叶えるにはどうすればいいか。そこで大事になるのが、やっぱりスポーツマンとしての規則正しい生活だと思ったんです。それまでの学生たちは、朝は練習をしたりしなかったり、寮では自炊だったのでカップラーメンを食べる。その後は、授業にも出ないで午後の練習まで寝ている学生もいました。そんな生活をしていては優勝なんてできないんですよ。だから私が寮のルールを全部書き替えて、徹底的に立て直しを図りました。朝は5時半に起床、朝練をして7時半に朝食を食べる。その後は学校へ行き授業を受けて、昼食もきちんととる。16時から本練習をして夕食。22時に消灯。多少ワンマンなところはあったかもしれませんが、この一日の生活スタイルを徹底していきました。朝・夕の食事も、当時寮生活をしていた20人分だけは、私の妻にお願いしてつくってもらうようにしたんです。

学生たちの夢を叶えるには・・・
改革当時を振り返る

――突然若いコーチが来て生活スタイルがガラリと変わり、学生たちと衝突したりは・・・?

大八木 いやー、しましたよ。練習も生活面でもかなり厳しくしたので、「とんでもない人が来たな・・・」と思っていたでしょうね(笑)。当時は私も現役で走れていたので、朝練なんかは先頭で引っ張って厳しいトレーニングをしていました。とにかく「俺についてこい!」という感じで、選手たちからしたら“厳しい兄貴”という感じだったと思います。上級生たちからは、練習や寮のルールの厳しさに文句を言われたこともありました。でもすべては箱根駅伝で優勝するため。選手たちには「信じて頑張れ」と言い続けていました。思い返しても選手を褒めることはあまりなく、優しい言葉をかけたこともほぼなかったですね。8割叱って、2割褒めていたくらいでしょうか。良い記録が出ても、満足したら終わり。常に、より高みを目指すことを意識づけていきました。そういうことを1〜2年やっていくうちに、どんどん結果がついてきた。まずは生活を、その先に心身を正し努力すれば必ず成果が出るということを、選手たち自身が身をもって学んでくれたんです。

すべては箱根駅伝で勝つために

 

箱根か、世界か

――その後、2008年以降また箱根駅伝の優勝から遠ざかる期間が続きましたが、この間は何が起こっていたのでしょうか。

大八木 私に、箱根駅伝だけでいいのかな・・・という思いが芽生えてしまったんです。というのも、箱根駅伝で4連覇を達成した少しあとに、宇賀地強(現・コニカミノルタ監督)や高林祐介(現・立教大学監督)、深津卓也(現・旭化成陸上競技部コーチ)といった高校トップレベルの選手たちが入ってきました。この子たちは箱根駅伝だけでなく、トラックの5000mや10000mでも世界を目指すべき人材だった。だから、スピードを強化する指導方針にがらっと変えたんです。その甲斐があって、トラックはどんどん強くなっていきました。
ただ代わりにハーフマラソンがおろそかになってしまい、箱根に向けての層の厚さをつくれなくなってしまった。試行錯誤を続けた2008年からの12年間は、ほかの大学駅伝では優勝できても、箱根だけは勝てなかったです。なかなか世界を目指すこととの両立を果たすことができないことに、やきもきしていた時期ではありましたね

――その期間を経て、2022年に史上5校目の大学三大駅伝三冠を達成。この変化のきっかけは?

大八木 2019年に田澤廉が入ってきたことです。田澤を見たときに、もう一度箱根と世界を両方成功させたいという思いに切り替わったんですね。箱根で勝つための長距離に特化したトレーニングと、世界で戦うためのスピードの強化。この二つのバランスをうまく取ることに心身を注いだところ、2022年に箱根駅伝も優勝し、田澤も世界陸上に出場させることができました。三冠に関しては、「親父が監督を引退するだろうからやってやろう」という強い思いが、学生たちの中にあったみたいですね。

監督として有終の美を飾った2022年
オレゴン2022世界陸上。
エース田澤廉選手を世界の舞台へ導いた

 

世界で戦える選手を育てること
子供たちに夢を持ってもらうこと

――2023年に、駒澤大学陸上競技部の監督を引退されて総監督になりました。翌年の2024年には世界を目指すアスリートプロジェクト「Ggoat(ジーゴート)」を設立されましたが、こうしたチームをつくりたい思いはいつ頃からあったのですか?

大八木 5年ほど前からありました。ちょうど田澤が入学してきたあとくらいです。彼自身世界を目指したい思いがあり、私も65歳になったら監督業を退いて、後任の藤田敦史に任せようと思っていました。そして田澤のあとにも鈴木芽吹や篠原倖太朗、佐藤圭汰といった力のある選手が入ってきてくれたので、彼らを世界の舞台に立たせて、海外の選手と互角に戦えるレベルにまで育てたいと思ったんです。

――実業団選手も学生もいますが、普段の練習はどのように行っているのですか?

大八木 Ggoatには今、田澤廉、鈴木芽吹、篠原倖太朗、佐藤圭汰、落合晃という5人のメンバーがいます。そのうち田澤、芽吹、篠原の3人は大学を卒業して実業団に所属しながら練習していて、圭汰、落合の2人は現役の学生です。午前中は田澤、芽吹、篠原、圭汰の4人で練習をすることが多いですね。圭汰はまだ4年生ですが、3年次で単位をすべて取り終えたので、海外合宿にもどんどん連れて行っています。落合はまだ1年生なので日中は授業がありますし、かつ落合と一緒に練習ができるスピードを持った選手がいないので、彼だけは午後から私が一人で練習を見ています。

今も昔も変わらず選手を鼓舞する檄が飛ぶ

――長年長距離を指導されてきた中で、新たに800mを教えることに対して戸惑いなどはなかったのですか?

大八木 正直に言って、最初はありました。1500mは指導経験があるので育てられる自信があったのですが、800mは初めてです。でも落合の出身校である滋賀学園の先生から、落合を見てほしいという打診があったので、私でよければ・・・と引き受けることを決めました。指導者人生で“最後の贈り物”かもしれないと思いましたし、自分の力でもう一度、ともに日本記録をつくりたいという気持ちもありました。まだ見始めて3ヵ月ほどですが、指導するたびにいろいろな発見があります。私自身ももっと勉強して記録を狙いたいと、指導意欲をかき立ててくれる選手です。今後は1500mでも日本のトップレベルの選手に育てたいと思っていますが、5000mや駅伝への出場については今のところ考えていません。

――Ggoatでは日本選手が世界のトップを獲ることを目指していますが、今世界と戦う上で何がいちばんの壁で、そこをどう補っていけばより目標に近づけるでしょうか。

大八木 今世界のトップ選手たちがやっているトレーニングを、いかに日本の選手たちがやれるかどうかだと思っています。スタミナづくりはある程度できているので、あとはスピードの強化ですね。スピードの持続性や瞬発的なスピードの出し方が、うちの選手たちを見ていてもまだまだだなと感じるところがあります。最後のスパートに入ったときの切り替えが、800、5000、10000mいずれにおいても、海外のトップ選手たちとは差があるんですよ。普段の練習でもスピード力の強化には重点的に取り組んでいますが、そのためのトレーニングをいかに詰められるかどうかが日本の課題でしょうね。そのためにアメリカのアルバカーキやパークシティ、スイスのサンモリッツなど、海外での強化練習に比重を置いて取り組んでいます。海外で高地トレーニングを積みながら、世界のメダリストたちのトレーニング方法を学んで課題を改善していきたいと考えています。

見据えるのは『世界』

――これは世界を目指すという位置付けとはまた違うと思いますが、4月に立ち上がった「Ggoat Running Team(以下、RT)」はどのような経緯からだったのでしょう。

大八木 RTは、実業団を引退した駒大OBを中心に声をかけました。駒大陸上部のノウハウを未来の子供たちに還元していきたいという思いと、まだ走りたい教え子たちのセカンドキャリアを目的として立ち上げたんです。RTを運営しているスタッフが声をかけたときに、「総監督に恩返しをしたい」とたくさんのメンバーが集まってくれたようで・・・。とても嬉しく感じましたね。将来的には、駅伝などにクラブチームとして出場できたら、またおもしろくなりますね。

――世界を目指す一方で、RTの始動で長距離界全体がまた盛り上がりますね。

大八木 そうですね。世界を目指すプロジェクトチームは私が主導していますが、RTは別のスタッフを立てて指導してもらっています。プロフェッショナルというよりかは、社会貢献活動の意味合いが強い取り組みです。レース出場と並行して、子供たちや中高生、社会人にランニングや陸上競技の楽しさを伝えていければとも考えています。箱根駅伝で活躍したメンバーたちによるランニング教室なども開催していく予定なので、子供たちに夢を持ってもらえればうれしいですね。

 

叱る8割:褒める2割 → 褒める6割:叱る4割

――30年以上指導に当たられてきて、指導者冥利に尽きるのはどんな瞬間ですか?

大八木 自分が指導してきた選手をうまく結果に導けたときですね。最近の例を挙げると、駒大卒で富士通に所属する中村匠吾です。彼は卒業後も私のもとでトレーニングを積み、2019年のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)で優勝して東京2020オリンピックのマラソン代表に内定しました。これ以上の感動はなく、私にとっても非常に感慨深いものがありました。オリンピックに出場するために海外で強化練習に取り組んで、その結果目標とするレースに最高のピーキングで臨むことができた。中村にとっても、「練習はやっぱり間違っていなかった」と確信できた瞬間だったと思います。
今年4月の日本選手権では、芽吹が10000mで優勝しました。あのときもこのレースのためにきちんと準備をして、強い気持ちで挑んだ中で思い描いていた通りに優勝を決めてくれた。選手たちは日々苦しいトレーニングを積んでいます。結果ももちろんそうですが、彼らの喜ぶ顔を見たときがいちばんうれしいですし、やりがいを感じますね。

――ご自身はどういう指導者でありたいですか?

大八木 教え子がZ世代になって、私自身も大きく変化した部分があります。今の時代の学生たちに合わせた指導をしながらも、厳しく教えるところは厳しく、といったメリハリを大事にしたいと思っています。昔の私は“瞬間湯沸かし器”のような感じで、「やる気がないなら帰れーーっ!!!」とグラウンドでも頭ごなしに怒鳴っていたのですが、今はそんなことはありません。以前の学生たちはそれでも反骨精神で食らいついてきましたが、今の子に同じことをすると、言い返してくることもなく気持ちが折れてしまいます。だから・・・昔では考えられないことですが、グラウンドで叱ったとしても寮に戻ってからきちんと理由を説明して、互いの理解を深めて、また前向きに練習に取り組んでもらえるように努めています。今は6割褒めて、4割叱るくらいでしょうか。褒めることが多くなりましたね~。学生たちともフランクにコミュニケーションを取るので、昔の教え子たちには「僕らがあんな口の利き方したら怒鳴られていたのに、監督マジでやわらかくなりましたね」と言われます(苦笑)。

今のGgoatメンバーのように、大学を卒業しても私と一緒に練習したいと言ってきてくれるのは、とてもうれしいことです。押しつけになってしまうと意味がなくて、私から「卒業後も一緒にやろう」という声かけはあえてしないようにしています。彼らから「一緒にやりたい」と言ってきた選手とやる。それがあって初めて選手と指導者の関係がうまくいき、ともに長く戦っていける存在になれるんです。これからも良い信頼関係を大切にしていきたいですね。

時代の変化とともに、自身も変えていく

 

仕事に勉強に家事に練習に…
それでも走りたかった箱根駅伝

――子供時代はどんなお子さんでしたか?

大八木 やんちゃでした。本当にわがままというか、自分の好きなことだけをやっていたような子供だったと思います。陸上を始めたのは中学生になってからです。野球や卓球などいろいろなことをやったのですが、校内マラソンで優勝したのをきっかけに走りの方に打ち込んだところ、福島県で1位になったんです。中学3年生のときには、ジュニア選手権の3000mで全国5位になりました。だから高校ではインターハイに出て優勝するんだと意気込んでいたのですが、疲労骨折を引きずって3年間なかなか走れず・・・。でもどうしても陸上を諦めきれず、高校の恩師に相談して陸上部のある小森印刷(現:小森コーポレーション)に就職したんです。そこから強くなっていきました。

怪我で満足のいく走りができなかった高校時代

――箱根駅伝も走られていますよね。

大八木 そうですね。本当は高校卒業時に大学に行きたい気持ちもあったのですが、家の事情もあり就職しました。でもやっぱり箱根駅伝を走りたいという思いがずっとあったので、5年ほど小森印刷に勤めたあと、24歳で駒澤大学の夜間部に入学しました。それも日中は川崎市役所で働きながら。そう考えると、子供の頃から一貫して自分のやりたいことに対してわがままというか、貫き通さないと気が済まない性分だったんですね。
念願叶って箱根駅伝は3回走ることができましたが、その4年間は今までの人生の中でもいちばんきつかったですね。朝起きたら食事をつくって食べて、それから練習。そのあと職場に行って働いて、午後からまた練習。夜は大学に行って授業を受けて、帰って食事をつくって食べる。毎日その繰り返しです。練習、仕事、勉強、家事と休む間もなく過ごしていました。でもこの経験が大きな糧になっていて、「あれを乗り越えたんだからその気になればなんでもできる!」と今でも思えています。さらに、計画性を持って一日のスケジュールを組み、規則正しい生活をすることの大切さも学びました。それが駒大で指導する立場になり、しっかり生きたのだと思います。

24歳で初めて走った夢の箱根駅伝。
その頃からチームメイトを叱咤激励

――壮絶な4年間だったのですね。奥様と出会われたのも学生時代でしょうか?

大八木 はい、妻は駒大の同級生で陸上部のマネージャーでした。私はすでに社会人だったこともあり、当時は全然意識していなかったんです。向こうも単に「強くて年上の大学生がいるなぁ」という程度だったんじゃないでしょうか・・・たぶん(笑)。だから進展したのは大学を出てからですね。OB会で再会して、まだ両方とも独り身だったので。

 

息抜きはサウナや韓国ドラマ

――走り続けてきた大八木さんが、もっとも影響を受けた方などはいますか?

大八木 選手、監督としても球界に貢献した野村克也さんですね。最終的には大きな成功を成し遂げましたが、そこに至るまでには苦労や失敗も多い方でした。それでも生涯野球ひと筋に没頭された。彼の著書を読むと、私も陸上人生を最後まで全うしたいという気持ちにさせられます。選手たちとの接し方や育て方の部分でも、参考にさせてもらっています。

――そういった先人の著書はよく読まれるんですか?

大八木 昔はそうでもなかったのですが、指導者になってからは成功者の著書をたくさん読むようになりました。チームを強くしようと思う中で壁にぶつかったときなどは、そうした本に何度も助けられました。京セラの創業者である稲盛和夫さんの著書もたくさん読みましたね。

――本当にお忙しい日々だと思いますが、日頃のリフレッシュになっているのはどんなことですか?

大八木 朝から40〜50分ほどランニングをするのですが、それがいいリフレッシュですね。サウナに入ったり焼酎を飲んだりする時間も、息抜きになっています。今の学生寮ができて8年くらい経ちますが、寮の中にサウナをつくったんです。故障する選手が結構いるのですが、練習ができない間は汗もかけないし、太ってしまいますよね。だから補強や体重管理のためにも必要だと思い、大学に交渉したんです。ちゃんと水風呂もあって本格的ですよ。私も暇さえあれば入っています(笑)。

“マジでやわらかくなった”大八木さん

――暇さえあれば(笑)。学生たちとのいいコミュニケーションの場にもなりますね。

大八木 そうですね。故障している選手がいれば一緒に入って経過状況を聞いたり、アドバイスをしたりします。「彼女できたか?」なんていう会話もしますよ。昔はどうにかはぐらかそうとするやつが多かったんですが、不思議と今の学生たちのほうがその辺ははっきり答えてくれます。おもしろいですよね。

――そんなお話もされるんですね! 焼酎はどんなものを飲まれるんですか?

大八木 私は芋焼酎をよく飲むのですが、なかでも「魔王」が好きですね。水割りにしたり梅干しを入れたりして飲んでいます。ソーダ割りもおいしいのでおすすめです。

箱根駅伝の優勝記念も焼酎(笑)

――ちなみにSNSの「やぎじぃの日常」によると韓国ドラマもお好きだそうで、とても意外でした。好きなドラマがあればお聞きしたいです。

大八木 最初に見たのが『冬のソナタ』で、それ以来ハマったのでもう20年くらい韓国ドラマを見ています。同時期に放送されていたイ・ビョンホンの『オールイン 運命の愛』も好きですね。韓国ドラマってパターンはどれも似ているのですが、あのストーリー展開にまんまと引き込まれるんですよね(笑)。ちょうど先月(5月)にアジア選手権で韓国に行ったときに、ジャージャー麺を初めて食べました。よく韓国ドラマに出てくるのを見て食べたいな~と思っていたので、うれしかったです(笑)。

 

日本記録の先へ
世界の舞台で輝くために

――世界陸上がまもなく開幕しますが、大八木さんにとって世界陸上はどのような位置付けですか?

大八木 やはり世界陸上やオリンピックの舞台は、スポーツをする人間にとって夢であり憧れです。世界陸上は今年いちばんの大きな大会ですし、Ggoatの選手たちの世界陸上へ懸ける思いも、昨年あたりからひしひしと感じています。選手たちは今集中して練習しているところなので、とにかく頑張ってほしいですね。まだ彼らの種目の日本代表は確定していませんが、良い結果につながるよう引き続きサポートしていきます。

Ggoatから、世界へ。そしてトップへ

――Ggoatメンバーの世界陸上出場への見通しは、現在どのような感じなのでしょうか。

大八木 世界陸上の出場権の一つはポイント制になっていて、少し複雑ですが、どの選手にも可能性は残されています。だからこそ、日本選手権は本当に重要なレースになってくると思います。

――楽しみにしています。Ggoatメンバーが世界陸上の舞台に立てたら、どういった面を観客の方々に見てほしいですか?

大八木 5000mや10000mであれば、最後のスパート合戦でしょうか。それぞれの選手がどこで仕掛けるのか、本当に手に汗握るものがあります。勝負を懸ける瞬間、そこからの戦いを見逃さないでほしいですね。800mはトラック2周しかないので、序盤から選手たちの駆け引きや心理戦に目が離せません。もし落合が出場した場合は、165cmの小柄な体格で、180~190cmの大柄な外国人選手とどうぶつかり合って戦うのか。彼だからこそできるレースに注目してもらいたいです。

――たくさんのお話をありがとうございました。最後に、Ggoatの今後の展望をお聞かせください。

大八木 重ねてになりますが、世界の舞台でトップ層と競い合い、勝てるような選手を育てるというのがやはり最も目指すところです。そのためにはまず、5000mで12分台、10000mで26分台のタイムは出す必要がある。今の5000mの日本記録が13分8秒40、10000mが27分9秒80です。うちの選手たちは10,000mで 27分10秒台は出せる自信は持っているので、残り10秒をどう縮めるかですよね。現状、5000mでは圭太がいちばん12分台に近いですが、篠原も可能性があります。みんな記録を狙って練習に励んでいるので、12分台や26分台はGgoatから最初に出して、日本記録を塗り替えたいですね。そこに導くのも私の大きな役目だと思っています。今後はチームをもう少し大きくすることも視野に入れているので、Ggoatで世界を目指したいという選手がいればぜひ育てたいですね。今後の展開も楽しみにしていてください!

大八木 弘明(おおやぎ ひろあき)/1958年 福島県生まれ
駒澤大学陸上競技部総監督|Ggoat Project代表

中学時代から陸上を始め、会津工業高校卒業後に実業団の小森印刷(現:小森コーポレーション)に就職。24歳で駒澤大学の夜間部に入学し、箱根駅伝に3度出場。1年時は5区区間賞、2、3年時は2区でそれぞれ区間5位、区間賞を獲得した。
大学卒業後は実業団のヤクルトを経て、1995年4月より駒澤大学陸上競技部コーチに就任。2004年4月から監督を務める。コーチ時代から2023年に監督業を退くまでに、出雲、全日本、箱根の大学三大駅伝において通算27回の優勝を果たした。
2023年からは駒澤大学陸上競技部総監督を務める一方で、アスリートプロジェクト「Ggoat」を立ち上げ、世界を目指す選手の育成に当たっている。

IG:yagig.life

〈Ggoat〉
Web:https://g-goat.com/
X:@Ggoatpt
IG:ggoat.pt

text by 開 洋美
photographs by 椋尾 詩

共同制作:公益財団法人東京2025世界陸上財団

新着

三浦 宏之(株式会社プラスヴォイス代表取締役)| “本当のコミュニケーション”への気づき

2025.06.25

目次始まりは人生最悪のMC情報から取り残される現実 災害現場から浮き彫りになる課題通訳をもっと気軽で日常的なものへ 当事者の固定観念を壊したい運命に導かれて? デフ仲間と繋がるライフワークこのチャンスに当事者自らが積極的 […]

三浦 宏之(株式会社プラスヴォイス代表取締役)| “本当のコミュニケーション”への気づき

2025.06.25

目次始まりは人生最悪のMC情報から取り残される現実 災害現場から浮き彫りになる課題通訳をもっと気軽で日常的なものへ 当事者の固定観念を壊したい運命に導かれて? デフ仲間と繋がるライフワークこのチャンスに当事者自らが積極的 […]

三浦 宏之(株式会社プラスヴォイス代表取締役)| “本当のコミュニケーション”への気づき

2025.06.25

目次始まりは人生最悪のMC情報から取り残される現実 災害現場から浮き彫りになる課題通訳をもっと気軽で日常的なものへ 当事者の固定観念を壊したい運命に導かれて? デフ仲間と繋がるライフワークこのチャンスに当事者自らが積極的 […]

大八木 弘明(駒澤大学陸上競技部総監督|Ggoat Project代表)|日本記録のその先。世界と戦える『GOAT』へ

2025.06.20

目次「とんでもない人が来たな…」 選手の夢を叶えるための改革箱根か、世界か世界で戦える選手を育てること 子供たちに夢を持ってもらうこと叱る8割:褒める2割 → 褒める6割:叱る4割仕事に勉強に家事に練習に… それでも走り […]

大八木 弘明(駒澤大学陸上競技部総監督|Ggoat Project代表)|日本記録のその先。世界と戦える『GOAT』へ

2025.06.20

目次「とんでもない人が来たな…」 選手の夢を叶えるための改革箱根か、世界か世界で戦える選手を育てること 子供たちに夢を持ってもらうこと叱る8割:褒める2割 → 褒める6割:叱る4割仕事に勉強に家事に練習に… それでも走り […]

大八木 弘明(駒澤大学陸上競技部総監督|Ggoat Project代表)|日本記録のその先。世界と戦える『GOAT』へ

2025.06.20

目次「とんでもない人が来たな…」 選手の夢を叶えるための改革箱根か、世界か世界で戦える選手を育てること 子供たちに夢を持ってもらうこと叱る8割:褒める2割 → 褒める6割:叱る4割仕事に勉強に家事に練習に… それでも走り […]