宮川楓雅(みやがわ・ふうが)
2002年神奈川県生まれ。有限会社藤野企画所属。
先天性の難聴があり、補聴器を付けて生活する。幼少期からテニスを始め、高校はテニスを専門とするサリュートテニス専門学院へ入学。20歳でデフテニスの道へ進み、JDTA選手権では2023年から2年連続でシングルス優勝。昨年の「Deaf Tennis 2024 Global Challenge」では、妹の宮川百合亜と組んだ混合ダブルスで、予選から負けなしの優勝を果たす。
現在はミズノスポーツプラザ Fujisawa SSTにてチーフコーチを務め、テニスに打ち込む日々を送る。
JDTA男子ランキング1位。国内最強の名のもとに、東京2025デフリンピックでの活躍を目指す。
「極めたい」 4歳で出会ったテニスの道
――現在は、仕事と両立しながら日々トレーニングを積んでいるのですか?
はい、神奈川県の辻堂にあるテニススクールでコーチをしながら練習をしています。毎日必然的にラケットとボールには触りますが、日中はレッスンがメインになるので、隙間時間やレッスンが始まる前の朝の時間帯を自分の練習やトレーニングに当てています。本当に限られた時間なので、そこでどれだけ集中できるかが日々の練習ではカギですね。テニスコートに的を置いて、狙った場所に1発で当てるつもりでストローク練習などをしています。あとは2ヵ月に1回合宿があるので、そこでまとまった練習時間を確保しています。
――テニスを始めたのはいつ頃ですか?
僕が4歳の頃です。2歳上の兄がテニスを習っていて、そこのスクールのコーチに「一緒にやってみない?」と誘われて始めたのがきっかけです。小さかったので当時のことがあまり記憶にないんですが、きっと子供心に楽しくて続けたいと思ったんでしょうね。高校も、サリュートテニス専門学院というテニスを専門にしている学校に入学しました。
――将来はテニスの道で極めたいという思いがあったのでしょうか。
というのもありましたが・・・、小・中学校では勉強が全般的にすごく苦手だったんです(笑)。僕の通っていた高校は通信のような感じでレポートを提出して、年に1回テストがあります。それをクリアすれば卒業できる形だったので、その分3年間テニスに打ち込むことができました。

――勉強は苦手でもテニスはずっと続けてきたんですね。そのなかで、デフテニスを始めたタイミングは?
デフテニスを始めたのは20歳のときなので、3年前ですね。すでにデフテニスをしていた妹(百合亜)に、混合ダブルスでペアを組んでほしいと言われたのが最初です。
――世界を目指せるかもしれないという手応えは、いつ頃感じたのでしょうか?
正直、デフテニスを始めた時点では、まだ世界で戦えるとは思っていませんでした。「妹に誘われたからとりあえずやってみるか」という感じだったのですが、去年の11月に「Deaf Tennis 2024 Global Challenge」(以下、グローバルチャレンジ)という日本初のデフテニスの国際大会があって、妹と組んだ混合ダブルスで優勝したんです。シングルスとダブルスでは負けてしまいましたが、混合ダブルスではもしかしたら世界に通用するかもしれないと、そこで初めて大きな手応えを感じました。

国内外で結果を出す妹の百合亜選手
ハイタッチでわかる、お互いの想い
――シングルス、ダブルスと両方プレーするなかで、それぞれの魅力やおもしろさをどう感じていますか?
シングルスの場合は、結構ドロッドロの試合なんです(笑)。1ポイントがなかなか決まらず、長いときは3分くらいラリーが続くこともあるので、もう持久力との勝負ですね。でもそのラリーの中で、意図した場所に相手が返球できないショットが決まったときは、本当に気持ちがよくて。そのかっこよさは見ている側も興奮すると思います。
反対にダブルスは1ポイントが決まるのが早くて、サーブを打って相手がリターンしたら、次のボレーで決まることも多い。だから一瞬で終わる駆け引きの中で、迫力あるボレー展開に持ち込んで見せ場をつくりやすいのが魅力ですね。
――シングルスとダブルスなら、どちらで戦うのが好きですか?
僕はシングルスですね。自分の強みでもあるストロークでやり合うのが好きなので。ダブルスになると一瞬で終わってしまうのが少し物足りないんです。シングルスで、ストロークの展開からドライブボレーにもち込んでポイントを取るのが好きですね。ドライブボレーはロブ(ゆるい山なりのボール)に対してノーバウンドで回転をかけて打ち込むショットなんですが、ストロークで相手を動かして、相手がロブを打ったときにすかさず前に出てダイレクトに叩く。この展開でポイントが取れるのが理想です。

高速のストロークとともに爽快な音が響く
――デフリンピックではぜひそのシーンを見てほしいですね。試合中は補聴器を付けることができませんが、音の情報がほとんど得られないなかで、宮川選手が心がけていることはありますか?
テニスはポイント間の時間(ポイントが決まった瞬間から次にサーブが打たれるまでの時間)が、基本的に20秒と決まっています。シングルスではそれほど意識していることはありませんが、ダブルスでは次にどうするかという指示出しを、ペア間でいかに簡潔にやり取りできるかが重要です。戦う相手が日本人選手の場合、手話を使うと作戦がバレるので、ほぼ口パクでやり取りをします。ただ長々とやってしまうと逆に何を言っているのかわからなくなるので、「超簡潔に」を心がけています。でも本当は話したいことがたくさんあるので、そこがもどかしいんですよね。
――ペアの方との信頼関係というか、阿吽の呼吸みたいなものが必要とされますね。
そうですね。だから妹以外の選手とペアを組むときは、伝わらないときもあります。そういう場合はとりあえずコースだけ伝えて、自分がペアの選手の動きに合わせて動くようにしています。
――妹の百合亜選手もデフテニスの日本代表ですが、兄妹でペアを組むってどんな感じですか? 信頼できる分遠慮もなくなるので、試合中険悪になったりは・・・(笑)。
すぐなりますね(笑)。意見が食い違ったときや、僕のミスに対して妹が怒るときもあります。もちろんその場で喧嘩はしませんが、怒っているとポイント間でハイタッチするときに、バチーンってめちゃくちゃ痛いんですよ(笑)。逆に自分もそうしたりするので、「あ、怒ってるな」とお互いにわかるっていう。

――そういうところまで想像を膨らませて試合を見ると、また別のおもしろさがありますね(笑)。妹さんは宮川選手にとってどんな存在ですか?
家の中ではほとんど喋らないですが(笑)、お互いの性格もわかっていて、どれだけ踏み込んでいいのかもわかる。ペアを組んでいて、気は楽ですね。ある意味良いペアなのかもしれません。と同時に、尊敬もしています。テニスのことになると本当に一生懸命なんですよ。トレーニングも毎日しっかりして、合宿のときに新しいメニューを教えてもらうとすぐにメモを取っています。いつも真剣に取り組む姿勢には心からすごいなと思いますし、本当に尊敬できます。
まっすぐ自分の言葉は曲げねぇ
――これまでの競技生活で、最も印象に残っている試合はありますか?
二つありますね。一つはやっぱり去年のグローバルチャレンジです。そのときに出ていた国の中ではフランスが一番の強豪で、ほかの日本人選手も僕も、シングルスでもダブルスでもボロ負けしてしまったんです。残っていたのが妹とペアを組んだ混合ダブルスだけだったのですが、フランスを敗って優勝を決めました。勝った瞬間は、いまだに忘れられません。決勝は接戦でしたが、最後のマッチポイントのときに、変に緊張することなく冷静にプレーできたことが勝因だったと思います。
もう一つ印象に残っている試合は10歳くらいのときなんですが、ダブルスの試合で、味方の打ったサーブが僕の後頭部に勢いよく当たったときですね。あのときはびっくりして、別の意味ですごく印象に残っています(笑)。
――なるほど(笑)。グローバルチャレンジではマッチポイントの大事な場面で緊張しなかったということですが、メンタルは強いほうですか?
もともと強いわけではなかったのですが、高校時代に平日の朝から晩までテニス漬けだったので、その3年間で鍛えられたんだと思います。テニスの試合って、試合時間が長くなればなるほど辛い場面が多いので、追い込み系のトレーニングをたくさんするんですね。特にきつかったのがラインタッチで、サイドラインやセンターラインなど、コートのラインにタッチしながら往復10本ダッシュして、最後に手出しの球を打ち込むという練習方法があるんです。その最後の打ち込みをミスしたら、もう一回同じことを最初からやるという(苦笑)。かなりスパルタなんですが、高校生のときに毎日こうしたトレーニングを乗り越えたおかげで、試合で追い込まれたときに気持ちの面で折れることがなくなりました。良い意味で緊張もしなくなりましたね。

――そんな宮川選手でも、テニスを辞めたいと思ったことはあるのでしょうか?
あります。試合で思うような結果が残せなかったときなどは「やっぱり向いてないのかな」と思って、辞めた方がいいんじゃないかと本気で考えたことが何度もあります。しんどいときもたくさんありますが・・・、でも最終的にやっていて楽しいので辞められなかったですね。
――辞めたいと思って気分が落ち込んだときは、そこからどうやってまたモチベーションを上げていくんですか?
僕は結構一人で完結するタイプで、アニメが好きなので、その名言集を見て気持ちを上げていますね。それで「よし! もう一回頑張ってみようかな」と前向きになることが多いかもしれません。
――そうなんですね。例えば?
えー、なんでしょうね(笑)。一つあげると、「まっすぐ自分の言葉は曲げねぇ。それが俺の忍道だ」です。『NARUTO-ナルト-』の中で出てくる言葉ですね。僕も子どもの頃からテニス一筋でやってきた部分があるので、信念を曲げずに頑張ろうと背中を押してくれる好きな言葉です。
プレッシャーを追い風に変えて。世界へ挑む初のデフリンピック
――今回初めてデフリンピックの日本代表に選ばれましたが、決まったときの率直な感想を教えてください。
最初に聞いたときは、「マジかー」と思いました(笑)。というのも、今回選ばれなかった選手の分まで今まで以上に頑張らなければという責任感のようなものが沸いて、少しだけプレッシャーを感じたのが正直なところです。でもそこから徐々にトレーニングメニューを増やして、ストレスにならない程度に負荷をかけた練習が今できているので、良いプレッシャーになっているのかなと思います。
――4月にポーランドのワルシャワで開催された「Polish Deaf Tennis Open 2025」では、初の海外での大会を経験されました。こちらはデフリンピックへの弾みになりましたか?
そうですね。このときはシングルスがベスト16、ダブルスがベスト4でした。日本の女子選手は世界で戦えているのですが、国内でデフテニスの国際大会がなかなかないこともあり、男子は特に海外選手との試合に慣れていません。海外の選手は体格もいいですし、攻め方も日本人とはまったく違います。日本人は小柄なのでどうしてもストロークがメインになって、相手の隙が見えたら前に潜り込んで点を狙いにいく形になるのですが、海外の選手は後方からでもバンバン打ち込んできます。それに圧倒されて負けるパターンが多いんですよね。僕も結果としては負けてしまいましたが、相手の弱点となる打ちづらそうなポイントを見つけたらそこに一回返して、その間に体勢を立て直して自分の展開にもち込むというパターンを試したところ、結構通用したんです。勝ち方というか、こうやればセットが取れるというのが実感できた意味でも、収穫のあった大会でした。この経験から、デフリンピックに向けては同じようなパターン練習を増やすようにしています。

この経験が必ずやデフリンピックへ
――デフリンピックでは強豪と当たる確率も大いにあると思います。現時点でこの選手には負けたくないという人はいますか?
フランスのオリヴィエ・グレイヴ選手と、ミカエル・ローラン選手ですね。ポーランドの大会では対戦はなかったのですが、グローバルチャレンジではシングルスで負けてしまったので、デフリンピックではやっぱり同じシングルスでリベンジしたいです。
――宮川選手はシングルス、ダブルス、混合ダブルスとすべての種目に出場されるそうですが、それぞれ目標はどこに置いていますか?
もちろん、狙うは全種目で金メダルです。日本を代表して出場するからには、最高の結果を皆さんに届けたい。同時に、デフリンピックそのものをたくさんの人に知ってもらえる機会にしたいとも強く思っています。聴覚に何らかの障害を抱えている人って意外と多かったりするので、そういう人たちも楽しめるスポーツがあるというのをまず知ってもらいたいですね。また聴者の方々にも、僕らのデフスポーツの魅力が伝わるとうれしいです。
――そういった意味では、今回のデフリンピックで初めてデフテニスの試合を観戦する方もいると思います。デフテニスならではのおもしろさというか、どんなところに注目して見ると試合をより楽しめますか?
特にダブルスに注目して見てもらうと、おもしろいと思います。ダブルスでは、後衛の選手がサーブを打った音に反応して前衛の選手が動き始めるのですが、デフテニスの試合では補聴器を外すので音が聞こえません。だから、ボールが見えてから初めて動き出すんですよね。より素早い判断力が問われますし、そのワンテンポ遅れた展開からどうやってポイントを取っていくのかに、選手の個性が見えたりもします。そこに注目すると、観戦がより楽しくなると思います。
――ありがとうございます、覚えておきます! 11月にはいよいよデフリンピックが開催されますが、その先の長期的な目標や夢があれば教えてください。
人に教えることが好きなので、テニスの指導者になりたいなと思っています。今もテニススクールで幅広い年代の方々を教えていますが、もともと子供が好きなので、子供たちとのレッスンが特に楽しいですね。だから将来的には、たくさんの子供たちにテニスの楽しさを伝えて、上達をサポートしていきたい。テニスってボールにラケットが当たって、そこから手に伝わる振動がまず楽しいんですよ。野球は初めてだとバットにボールが当たらないことも多いと思いますが、テニスはラケットの面が大きいので、当たったときの快感を得られやすいのが魅力です。きこえる子もきこえない子も一緒に、「できる」ことを一つずつ楽しむ。そんな環境を創っていきたいです!
多趣味な等身大の23歳
――ここからは宮川さんの趣味などについても伺わせてください。勉強が苦手だったそうですが、子どもの頃はどんなお子さんでしたか?
とにかくわんぱくでした。小学生のときは授業も受けずに遊んでいることが多かったので、ずっと怒られていた記憶があります(笑)。机に向かってじっとしているのが本当に嫌だったので、それもあって勉強が嫌いだったんでしょうね・・・。
――ご自身の性格はどんなふうに分析していますか? または周りからどんな人だと言われますか?
友達とは狭く深く付き合っていくタイプで、周りの友達からは「優しい」とよく言われます。というか、「優しすぎて何を企んでいるのかわからなくて怖い」って言われますね(笑)。でも自分ではどこが優しいのかいまいちわかってないです。

――休日はどんなふうに過ごすことが多いですか?
バイクに乗ったり古着やスニーカーを買いに行ったり、好きなことに時間を使うことが多いですね。休みの日でもある程度寝られれば十分なので、起きたらすぐ出かけて、夜の10時くらいに帰ってくる感じです。つい先日も保育園の頃からの幼馴染と一緒に、平塚にある湘南平までツーリングに行ってきました。山から見る景色がすごくきれいで癒されました。
――バイクは何に乗っているんですか? 好きになったきっかけがあったんですか?
カワサキのZRX400の青です! 父が乗っているのをずっと見てきて憧れがあったので、自分でも乗るようになりました。父は厳しい面もありますが、好きなことに関しては本当に気合いが入っているんです。今も朝の4時から趣味のゴルフに出かけて行くんですが、そういうところがいいなと思いますし、僕もバイクをはじめいろいろな面で父に影響を受けてきました。

ツーリングは大事なリフレッシュの時間
――古着やスニーカーはどんなものが好きですか?
古着は高校生の頃に目覚めて、リーバイスのデニムがカッコよくて好きなんですが、値段が高いので当時は手が出せなかったんです。でも仕事を始めてから買えるようになったので、少しずつ集めているところです。買い物は吉祥寺が多いですが、先日は古着を買いに名古屋まで行きました(笑)。スニーカーはエアジョーダンが好きで集めています。たぶん、ナイキのスニーカーだけでも10足は持っていると思います。
――お父様同様、休みの日は趣味に情熱を注いでいるんですね。
給料は全部好きなことに消えてますね。おそらくテニス用品よりもそっちにつぎ込んでいます(笑)。

好きになったら、とことん。
一緒に「お祭り騒ぎ」!
――普段は音楽も聴くんですか?
試合前によく聴くのは、ONE OK ROCKの『完全感覚Dreamer』ですね。ONE OK ROCKがもう10年以上大好きで、ファンクラブにも入っているしライブにも行きます! 今年もライブがあるので当たるといいなぁ。
――最近ハマっている食べ物などはありますか?
麻辣湯(マーラータン)です。具材や麺、辛さも自分で選べるんですが、友達に誘われて食べに行って以来好きになりました。基本的に辛い食べ物が好きで、以前一人暮らしをしていたときは、餅きんちゃくにチーズを入れて、コチュジャンで辛くして食べるっていうのをよくやっていました。体が刺激を求めているのかもしれないですね(笑)。
――(笑) いろいろなお話をありがとうございました! 最後に、デフリンピックを楽しみにしている読者の方々にメッセージをお願いします。
僕は試合中お祭り騒ぎをしてはっちゃけているので、ぜひその様子を見ていただけたらと思います(笑)。ポイントを取ったときは意外と冷静なんですが、ミスしたときに自然とテンションが上がっちゃうんですよね。周りからは「なんで笑顔でジャンプしてるの?」って不思議に思われているかもしれませんが、次に引きずらないための自分なりの切り替え方法なんだと思います。だから、皆さんも会場で一緒に笑ってもらえたら嬉しいです。いよいよデフリンピックが始まります・・・、応援よろしくお願いします!
Instagram:10969fuga
text by 開 洋美
photographs by 椋尾 詩