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陸上競技・栁田大輝 | 無心で、堅実に、着実に。0.005秒に泣いた男が、世界で笑う日

2025.07.02

陸上一家に生まれ、幼少期から走ることが生活の一部だった栁田大輝選手。花開いた大きな才能から、国内トップクラスのスプリンターへ成長し、世界陸上やオリンピックといった大舞台にもその名を刻み始めている。
第一印象から受ける陽気な人柄とは裏腹に、「現実的なタイプで突拍子もない目標は立てない」と話す冷静で堅実な素顔。「世界陸上に出場できたらまずは準決勝でベストを尽くしたい」。そう語る彼の胸の内には、揺るぎない覚悟と競技への真摯な思いが息づいていた。
世界へ挑む栁田大輝選手に、陸上との出会い、日々のトレーニング、そしてこれからの目標について話を伺いました―。

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栁田 大輝(やなぎた・ひろき)
2003年群馬県生まれ。男子100m 10秒02(日本歴代7位 ※2025年6月時点)

東京農業大学第二高校卒、東洋大学文学部4年生。
両親の影響で小学生の頃に陸上を始め、中学2年生のときに走幅跳でジュニアオリンピックの3位に。2020年の高校2年時にはセイコーゴールデングランプリ陸上に高校生特別枠で出場し、100mで当時の高校歴代6位の記録(10秒27)を樹立。同年の日本選手権では高校生で唯一の決勝進出、7位入賞を果たす。
大学進学後は、2023年に行われたアジア選手権で自己最速の10秒02を更新したほか、同年のブダペスト世界陸上では準決勝に進出。2024年のパリオリンピックでは4×100mリレーで予選の2走を務めた。
今季は関東インカレで追い風参考記録ながら9秒95をマーク。5月のアジア選手権では日本史上初となる同種目連覇を果たすなど、着実に連勝を重ねる。さらなる高みを目指し、東京2025世界陸上へ挑む。

 

地道で緻密なトレーニングの積み重ね

――現在東洋大学の4年生ですが、東洋大学を選んだ理由は何だったのですか?

スプリント系に強い大学といえば、やっぱり東洋大学というイメージだったんです。ほかにもいくつか大学を見させてもらった中で、高校2年の3月に短距離部門の合宿に参加させてもらったときに、すごく刺激を受けたことも大きかったです。

――学部は文学部だそうですね。

はい、中学生の頃から英語が好きで、なぜか英語の成績だけは良かったんですよ。だから英語を学べる学部に入りたいと思っていました。文学部を志望した決め手は、英語や他国の文化を学べるからです。実際、履修した授業(例えばイギリス文化など)の国に遠征や観光で行ったときは、授業で出てきたこの場所だ!となる場面がいくつもありました。そういうときには文学部を選んでよかったと感じますね。

――そうだったんですね。東洋大学での練習についてお聞きしたいのですが、普段はどんなことをされるんですか?

時期や季節によっても内容は違いますが、長距離選手のように“毎日たくさん走る”わけではありません。走る本数も少ないし、距離も短い。練習時間も基本的には午前中の2〜3時間です。
例えば今のような暖かい時期は、スピード強化がメイン。60mや80m、120mといった距離を何本か走り、ウエイトトレーニングを週に2回ほど取り入れています。
試合が近くなると、僕の場合はウエイト中心に絞ることが多いですね。たとえば、負荷の高い重さのバーを、どれだけ瞬時に持ち上げられるか、といったトレーニング。短距離は、重たい体をゼロから動かして瞬間的にトップスピードに持っていく力を求められますよね。その、いちばん力を使う局面が“スタート”なんです。
そこに必要な爆発力を鍛えるメニューですが、試合前はそれこそ1〜2回バーを持ち上げて終わる日もあります。連戦になると練習という練習はできないので、次の試合に向けてとにかく疲労を抜くことが最優先。今(6月中旬)は連戦が落ち着いて疲労も抜けてきたタイミングなので、日本選手権に向けてまた負荷を高めた練習に切り替えています。そんなふうに、シーズンの流れに合わせてメリハリをつけながらメニューを組み立てています。

高みを目指し、日々トレーニングに励む

――先ほど練習の様子を少し見させていただきましたが、トラックでの練習を終えたあと、室内トラックに移動して、腰にベルトのような器具を付けてトレーニングされていましたよね?

あれは『1080SPRINT(テン・エイティ・スプリント)』というマシンを使ったスピードトレーニングです。ドジャースの大谷翔平選手も同じものを使っていますよ。腰に巻いたベルトと本体がワイヤーでつながっていて、設定した重さの負荷をマシンがかけ続けてくれる仕組みになっています。負荷をかけながらスプリントの練習ができるんです。
その負荷に対して自分のスピードがどのくらい出ているのかを、細かい数値まで計測しています。このトレーニングはシーズンを問わず続けていて、試合続きでも合間に時間をつくってやるくらい重視しています。大学に入学したときにコーチの土江寛裕先生が提案してくれたメニューで、それ以来ずっと取り組んでいます。かなり前の記録まで遡って確認できるので、成長や変化を客観的に見られるのもメリットですね。

――過去のデータと比較しながら、自分の今の状態をチェックしているんですね。

そうですね。自己ベストが出たのが2年くらい前なんですが、そのときの記録と今年の同じ時期の数値を比べると、「今はこれくらいのタイムが出せそうだな」といった目安になります。逆に数値が悪ければ調子がイマイチなのが目に見えてわかるので、練習の内容を見直すきっかけにもなりますよね。感覚だけに頼らず、数値をもとに自分の状態を細かく把握できるのは、とてもありがたいです。

『1080SPRINT』によるスピードトレーニング。
負荷をかけながら数値を緻密に計測

――日々の練習は楽しいですか?

朝が苦手なので、眠いこと以外は楽しいです(笑)。練習が9時スタートなんですが、トラックに行くと必ず誰かしらいるんですよね。僕、一人で練習するとどこかで妥協してしまってダメなんですが、東洋には一緒に競い合って高め合える仲間がたくさんいるんです。その中で、自然と質の高い練習ができるのがいいですね。

チームメイトとともに高め合えるのも「東洋らしさ」

 

親元を離れて生まれた“覚悟”

――そもそも、陸上競技を始めたきっかけは何だったのですか?

両親が陸上をやっていたので、小さな頃から自然と走る習慣が身についていました。小学校2年生の頃から、両親と一緒に地域の親子マラソン大会などにも出ていたんです。中学校では陸上部に入って100mと走幅跳をやっていましたが、やっぱり100mの方が好きでしたね。

――今では世界で戦うレベルにまで成長されていますが、「陸上で高みを目指そう」と思うようになったのは、いつ頃からでしょうか。

強いて言うなら、高校進学のときですかね。群馬県の高崎にある東農大二高に進学したのですが、館林の自宅から通えない距離ではなかったんです。でも練習が長引くと夜の7時や8時に終わるので、帰宅するとなると10時や11時になってしまう。テスト前に勉強する時間も取れないし、だったら寮に入って、とことん部活に打ち込もうと腹を決めたんです。
・・・まあ、入寮して3日で一度家に帰りましたけど(笑)。

――え! どうしてですか?

寮が嫌でホームシックになってしまって(苦笑)。
高校で親元を離れる人なんてたくさんいるんでしょうけど、僕にとってはそれがいちばん大きなターニングポイントでした。まだ「世界で戦いたい」とまでは思っていませんでしたが、少しでも上のステージを目指すんだという覚悟はそこで芽生えましたね。

――当時はどのような目標を設定していたんですか?

そうですね。僕は割と現実的な目標を立てるタイプで、これは無理だろうという突拍子もない目標は立てません。高校に入ってから夏のインターハイの走幅跳で入賞して、秋の国体では優勝できた。そうして順調に記録を伸ばすことができたので、2年生に上がるときには、「今年はインターハイで優勝する」と目標を立てました。

一つずつ、積み上げていった

――着実に、記録と結果を重ねながらステップアップしてきたわけですね。

はい。そして高校2年生の秋に、今度は100mで日本選手権の決勝に残ることができました。「じゃあ次は世界選手権やオリンピックの選考レースで同じような結果を出せたら・・・」と、その段階で世界を視野に入れるようになりましたね。そうやって階段を上るように、徐々に目標をレベルアップさせていった結果が、今につながっています。

――今は100m一本に絞っていますが、走幅跳はいつまで続けていたんですか?

高校2年生の夏までですね。跳躍をやっていた父に、「足が速かったら走幅跳も飛べるよ」とすすめられて、なんとなく始めたのがきっかけでした。そうしたら、中学2年生のときにジュニアオリンピック出場がかかった県予選で優勝しちゃって。「出るからにはもっとちゃんと練習しよう」と。だから、初めての全国大会は100mじゃなくて、まさかの走幅跳だったんです(笑)。
そのジュニアオリンピックで入賞したのをきっかけに、本格的に取り組むようになり、その後中学3年生の全中で走幅跳優勝、100m2位の成績を残しました。でも、高校2年生になってから100mの記録がぐっと伸びてきて、それからは100m一本に絞ることに決めました。

 

あの0.005秒。人生を変える“1000分の1秒”

――栁田選手の考える100mの魅力はどんなところですか?

1着でゴールしたら誰の目にもわかりやすく、目立つところ。究極的にシンプルなところです。
でもその一方で、わずか10秒足らずの一瞬の中にいろいろな要素が凝縮されている。見た目には「ただ走るだけ」と単純そうに見えているかもしれませんが、その中には自分がこれまで積み重ねてきた過程が込められていて、成果として明確に「タイム」に表れる。それを自分の目で確認できるところも含めて魅力だと思います。これは陸上全般に通じますが、100mはそれがより濃密に詰まっているように感じています。

――長距離ならタイムが大きく縮まる瞬間があったりする一方で、100mでは変化はごくわずか。なかなか縮まらないことも多いだろう中で、それでも日々目標に向かおうとする原動力は、どこからくるのでしょうか。

昨年の日本選手権で、“1000分の5秒”の差でパリ2024オリンピックの日本代表を逃した経験をしました。2位までが代表入り濃厚の中で、僕は2位の選手と同タイム着差ありでゴール。表示タイムとしては10秒14で同じ。計測の結果、1000分の5秒遅かったことで代表の座を逃してしまった。
日常では気にも留めないような、ほんと~~~~~~にわずかな差。100mの世界では、100分の1秒どころか、1000分の1秒ですら人生の明暗を分けてしまう。今ではこんなふうにケロッと話していますが、あのときは不甲斐なさと悔しさでいっぱいでしたね。僕が経験したのはそれこそ明暗の“暗”の部分ですが、そういう“明”ばっかりではないのも陸上競技です。だからこそ「次こそは」と思えるし、それがモチベーションにつながる部分でもあるんですよね。

不甲斐なさと悔しさがぬぐえなかった2024年

――そうした経験が日々の練習の質にもつながっていくのですね。

そうですね。でも正直、今やっている練習で本当に足が速くなるかどうかなんて、わからないんですよ。4月にシーズンが始まって、レースで初めて答え合わせができる。
それまでは信じて積み重ねていくしかない。速く走るための方法に“これが正解”というものはなくて、100人いたら100通りの練習方法があるはずなんです。そこもまたおもしろいところですし、日々頑張れている要因だとも思います。

――例えば練習してきたことが良い結果につながらないようなときに、競技を辞めたいと思ったことはありますか?

ないですね。一度も。そう思ったら、それが引退するタイミングだと思っています。
もちろん、それなりに落ち込むことはありますよ。感情の波も割と激しい方ですが、ご飯を食べて寝て起きたら、もう半分以上は忘れてます(笑)。昔から、3日以上引きずることはまずないですね。

 

無心で駆け抜ける

――素朴な疑問ですみません。これまで世界大会に何度か出られていますが、スタート前の選手紹介のタイミングってどんな心境なんですか? カメラに向かってポーズを取る選手も多いですが、栁田選手は緊張などされているのでしょうか。

あそこはもう弱気になったら負けですね。「勝てないかも」と一瞬でも思ったら、絶対に勝てない。もちろん、すべてのレースでベストなパフォーマンスができるわけではないので、正直調子が上がり切っていないときもあるんです。でも、いざレーンに立ったら、どれだけ強気でいられるか。それだけです。
たとえ調子が悪いときでも、マイナスなことはいっさい考えません。もう「やるしかない」。でも逆に調子がいいときは感覚でわかるんですよ。「あ、今日(記録が)出るかも」って。

――100mってあっという間ですが、走っている最中はいろいろな考えが巡るものなんですか?

頭に浮かぶときもあるんですが、そういうときはだいたい記録は出ないですね。理想は何も考えずに「気づいたらゴールしてた」くらいの感覚。それでないと、おそらくベストは出ないと思います。
でもそこも人それぞれで、いろいろ頭の中で考える人もいると思いますが、少なくとも僕は何も考えないときの方がいいレースができます。要は何も考えていないときって、意識しなくても自分の理想の動きができている状態。逆に頭で意識しなきゃいけないときは、いい動きを求めて無理やり動かしている状態なんです。だから、僕の場合は“無心”がベスト。

ベストな走りとは・・・

――5月の関東インカレでは追い風参考とはいえ9秒95が出ましたが、あのときはどういう状態でレースに臨んでいたのですか?

あのときは9秒台を出すつもりでスタートしました。実際にそれなりのインパクトはあったのですが、もともと風がない状態での9秒台を目指していたので、あのくらいの追い風(+4.5m/s)なら本当はもっと出さなきゃいけなかったですね。前半の飛び出しについては自分でも良かった感覚があるんですが、全体的に見ていいレースだったかといえば、「うーん・・・」という感じです。

――ご自身の中でのベストレースは?

2023年のアジア選手権ですね。10秒02の自己ベストを出したのですが、まさに無心で走れて、気づいたらゴールしていました。土江先生にもいまだに「あのときのスタートがめちゃくちゃ良かった」と言われるんですが、僕としては「どうやったんだっけ・・・」という感じです(笑)。それくらい何も意識していなかったんですよね。
あのときに重点的に取り組んでいたのが『1080SPRINT』を使ったスピードトレーニングです。その手ごたえもあったので、今でも日本選手権に向けて毎日欠かさず取り入れています。

「気づいたらゴールしていた」。
“無心”をつくる

 

勝ち続ける、その先へ

――栁田選手の走りの強みはどんな部分ですか?

ここ最近のいちばんの武器は“スタート”ですね。
でも、もともとはスタートが苦手だったんです。というより、波があって下手くそだったんですよね。調子のいいときはタイミングよく出られるんですが、たいてい出遅れてしまって・・・。そのまま引きずっちゃうようなレースが、大学に入った頃まで続いていました。その苦手を克服しようとトレーニングを積んだ結果、いつの間にかスタートが自分の強みに変わっていました。

――どんなトレーニングをされたんですか?

いろいろ取り組みましたが、メインでやったのがそれこそ「1080SPRINT」だったり、あとは「マーク走」ですね。世界のトップクラスの選手のスタート時のストライドを再現して、そのマークを追いかけるように走ります。そうしたトレーニングを地道に続けているうちに、大学2年生の夏頃には、自分のイメージ通りのスタートが切れるようになっていました。

――今季は関東インカレ、セイコーゴールデングランプリ、アジア選手権など連戦が続く中ですべて優勝されています。日本選手権に向けて、手応えはどのように感じていますか?

いろいろと思うところはありますが、やっぱりどんなレースでも勝ち続けることが大事だと思っています。アジア選手権では2連覇しているのに、日本選手権はなぜか勝ちきれなくて・・・。鬼門といえば鬼門ですが(苦笑)。でも今季はこれまでしっかり連勝できているので、いつも通りのレースをしようと思っています。出場するレースごとに毎回意識する部分も異なりますが、その課題を一つひとつクリアしながら勝ちを重ねられているので、やるべきことを順調に消化できている実感があります。

今季は連勝続き。
セイコーゴールデングランプリでも快勝を見せた

――課題というと、ご自身の中で理想のレース像みたいなものがあるんですか?

最近は、「スタートしてから60mまでに決着をつける」ことを意識して試合に臨んでいました。後半の40mが苦手というか、まだ手付かずの部分だったんですよね。自分の武器はスタートなので、うまく飛び出せれば60mまでは先頭に立てるはずなんです。それまでにどれだけ後ろを離せるか。苦手な後半をどう補うかではなく、スタートで決着をつけてしまおうという発想ですね。
でも、日本選手権に向けて後半の40mを強化中です。残りの約1ヵ月はそこにしっかり重点を置いて仕上げていきたい。やっぱりどれだけ準備を完璧にできたかで、心の持ちようも変わってくると思うので。

――世界陸上に出場できた場合の目標はどこに置きますか?

100mの準決勝です。もちろんファイナルに残って勝負したい気持ちはありますが、まずは準決勝でベストを更新できるようなパフォーマンスを出すこと。それが世界で戦うための第一歩だと思っています。だから準決勝をまずは一つの目標に、持てる力をすべて出し切るつもりで挑みたいです。

――リレーについてはいかがですか?

出場できたら、もちろんメダルを狙いたいです。オーダーに入れてもらえるかどうかはまだわかりませんが、もし走れることになったら、何走になっても1着でゴールできるような準備をしておきたいと思っています。

 

長男だからこそ見える景色

――ここからは少しプライベートな質問も。栁田さんは、子供の頃はどんなお子さんだったんですか?

やんちゃなクソガキですね(笑)。喧嘩っ早かったので、親にも先生にもよく怒られていました。

――その頃の夢などはあったんですか?

パイロットになりたかったんです。完全にドラマ『GOOD LUCK!!』の影響ですね(笑)。たしかお昼に再放送していたのを見て「カッコいい!」と思ったのがきっかけでした。いまだに飛行機に乗るのは好きですし、ワクワクしますよ。でも周りの友達からは「お前の操縦する飛行機には乗りたくねー」って言われてました(笑)。

――(笑)。陸上一家の三兄弟だそうですが、皆さん小さな頃から陸上をされてきたのでしょうか。

はい。僕が100mで次男が400mハードル、三男が走幅跳をやっています。ちなみに小・中・高・大学まで全部一緒の学校です。今は次男と三男が寮の二人部屋に一緒に入っていて、昨年までは僕と次男が同じ部屋で生活していました。

幼い頃からいつも一緒の“栁田三兄弟”。
右が次男・聖人、左が三男・聖大

――全部一緒とはすごいですね。寮の部屋まで(笑)。三兄弟で世界を目指したい、という目標はあるんですか?

あえてそういうことは言わないようにしています。彼らのプレッシャーになるかもしれませんし、僕も楽しんでやっているので、2人にもとにかく楽しんで競技を続けてほしいと思っていて。だから・・・コソッと気にかけています(笑)。普段の練習に口を出すことはないですが、ふとしたときに影からウエイトトレーニングの様子を見守ったり、「これやってみれば?」とさりげなくすすめてみたり。本当にたま〜にですけどね。
世界を目指すかどうかは彼ら次第。でも、憂鬱な気持ちで練習してほしくないという気持ちがいちばん強いです。

 

陸上だけじゃない、“文章力”も僕の武器です

――最近ハマっていることはありますか?

めちゃくちゃ最近ですが、F1にハマってしまって! 3月ごろ何気なくNetflixでF1の番組を見ていたら、そこからドハマりです。先月末に発売されたPS5のF1ゲームも買って、どっぷりやりこんじゃってます。

――F1とは意外ですね。ゲームはお好きな方なんですか?

好きですね。実は・・・Nintendo Switch 2も当たったんです。世界陸上が終わったら、ご褒美にたっぷりプレーしたいですね!

――陸上以外で得意なことはありますか?

実は、文章を書くのが得意なんですよ。意外だって言われますけど。文学部なのでレポート課題が多いんですが、集中して書き始めると何千字も一気に書けちゃうんですよ。課題が出てもあまり苦にならないので、やっぱり文学部に入ってよかったですね。
ちなみに・・・卒論のテーマはスターウォーズです(笑)。

――栁田選手の卒論、読んでみたくなりました(笑)。大学の授業との両立は大変ではありませんでしたか?

大変でしたけど、最初の2年間でほとんどの単位を取り切ったんです。陸上に打ち込める時間を少しでも増やしたかったので。
勉強も含めて日々の生活でやるべきことをちゃんとやれるかどうか、そこで陸上に対しての向き合い方にも差が出てくるかなと思っています。もちろん、すべてを真面目に向き合いすぎるのも、それはそれでしんどくなってしまうので、適度な息抜きや調整はもちろん必要ですが。

 

キャプテンとして駆け抜けた1年――そして、世界陸上へ

――ご自身の性格はどのように分析していますか? または周りからはどのような人だと言われますか?

よく「うるさい」って言われます(笑)。自分で自覚しているところでは、何でもストレートに言ってしまうタイプです。例えばリレーってチーム競技なので、メンバーの士気を下げるようなことは普通言いませんよね。でも「お前、おっそ!」とか「何してんの!?」とかつい言っちゃう。それでよく怒られたりもしています(苦笑)。良くも悪くも、周りが言いづらいようなことでもはっきり伝えてしまう性格なんでしょうね。

――それは、4年生になってキャプテンを任されるようになったからではなく?

いや、もともとです(笑)。キャプテンになったときに、「いろんなことをはっきり言えるのはいいけど、余計なひと言は言うな」って土江先生に言われました。あと、トムヤムクンのパクチーみたいに「無かったら困る存在」とも言われました(笑)。

4年間苦楽を共にした恩師・土江寛裕先生

――この1年、短距離部門のキャプテンを務めてきていかがでしたか?

一貫して伝えてきたのは、「練習がある日はちゃんとやろう」ってことだけです。もちろん自分も遊ぶときは遊びますが、練習ではしっかり切り替えて集中する。中途半端なのが嫌なので、そこはブレずにやってきました。それ以外では結果で少しでも引っ張っていけるようにと思ってやってきましたが、特にキャプテンらしいことはできていないですね。正直、キャプテンって何をすればいいのかわからないまま終わってしまった感じです。
でも自分なりに気を張っていたのか、6月に日本インカレが終わったときには肩の荷が降りた気がしました。最後のマイルリレーの決勝では、キャプテンとして最後の大会かと思うと感慨深いものがありました。

――短距離部門で特に仲のいいメンバーはいるんですか?

同期はみんな仲がいいんですが、あえて挙げるなら400mハードルの小川大輝ですね。「憧れ」という意味も込めて。去年の日本選手権で、彼は最後の最後で自己新記録かつ参加標準記録ぴったりのタイムでゴールして、パリオリンピックの代表内定を決めたんですよ。それ以外にも、明らかに劣勢のレースでベストを出して優勝するような場面を何度も見てきたので、あいつの勝負強さというか肝の座り具合は、本当に見習いたい部分ですね。面と向かっては言いませんけど(笑)。

「憧れ」でもある同期・小川選手と

――普段の小川選手はどんな方なんですか?

頭のネジが一本外れたようなアホなやつです・・・あまり詳しくは言えないですけど、ほんとにヤバイ(笑)。
キャプテンを決める際に、最後の候補に僕と小川が残ったんですね。それでどっちが最後に手を挙げるか・・・ってときに、あいつがスッと手を挙げて。「おれは副キャプテンやる!」って言ったんですよ。そうしたらもう僕がキャプテンやるしかないじゃないですか(苦笑)。ほんの一端ですけど、そんなやつです、あいつは。

――もっと聞いてみたいですね(笑)。本日はたくさんのお話をありがとうございました! 最後に世界陸上を楽しみにしている読者の方へ、メッセージをお願いします。

出場できたら、必ず観ている人を興奮させるレースにします。世界陸上をきっかけに、来年インカレを見に行ってみよう、日本選手権を見に行ってみようと、陸上競技に興味を持ってくれる人が少しでも増えたら嬉しいですね。「日本陸上界、すごい!」と思ってもらえるようなパフォーマンスができるように頑張りますので、応援よろしくお願いします!

 

text by 開 洋美
photographs by 椋尾 詩

共同制作:公益財団法人東京2025世界陸上財団

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