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デフビーチバレー・伊藤碧紀 | 喧嘩上等?笑顔全開! ビーチで輝く“ズルかわ”スマイル

2025.07.09

たった2人でインドアバレーとほぼ変わらない広さのコートを守るビーチバレー。だからこそ、身長や体格にかかわらず活躍のチャンスがある競技でもあります。そんなビーチバレーの世界に飛び込んだのが伊藤碧紀選手。中学時代にインドアバレーからスタートし、その後ビーチバレーに転向。その理由を尋ねると、「インドアは“ひま”だったから」と、なんとも個性的な答えが返ってきました。インタビュー中でもコートの上でも、くるくると変わる屈託のない表情と明るい笑顔が印象的。「ようやくスタートラインに立てた」と語る彼女にとって、デフリンピックとはどんな舞台なのか――。

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伊藤碧紀(いとう・たまき)
2004年東京都生まれ。LIVZON(大成温調株式会社)所属。

先天性の難聴があり、小学3年生からろう学校に通う。現在は都立中央ろう学校を卒業し、大東文化大学に在学中。
中学時代にインドアのバレーボールを始め、その後ビーチバレーに転向。高校時代の同級生・堀花梨選手とのペアで2023年・2024年と全日本デフビーチバレーボール選手権を連覇し、国内トップクラスの実力を示す。世界選手権8位、国際親善大会in田ノ浦では準優勝と、国際試合でも好成績を収めている。
今年4月に行われた東京2025デフリンピック日本代表選考会では準優勝。初のデフリンピックとなる東京大会で、日本勢初のメダル獲得を目指す。

 

インドアは“ひま”だったんです

――最初に始めたのはインドアバレー(以下、インドア)だったそうですが、きっかけはなんだったのでしょうか?

インドアを始めたのは中学1年生のときです。憧れの先輩がバレー部に入っていたから・・・という理由もあったのですが、正直なところ消去法で選びました。私が通っていた中学校には、野球、卓球、バレー、そして生活文化部の4つしかなかったんです。野球部は男子だけなので論外。運動が大好きなので文化部もパス! 卓球は私が個人種目に向かないのと、手汗がすごくてラケットが飛んでいっちゃうんです(笑)。そうなると、残るのはバレー部しかなくて・・・。でも続けているうちに「もっと試合に出たい」「活躍したい」という気持ちが強くなっていって。気づけば夢中になっていましたね。

バレーに出会った中学時代。
やるほどにのめりこんでいった

――その中でビーチバレーに移行したのは、どんな経緯があったのでしょうか?

中学卒業後は都立中央ろう学校に進学しました。受験が終わって部活も引退し、毎日ダラダラしていたら母が怒ってしまって(笑)。それで、川崎にあるビーチバレーのクラブに半ば強制的に連れていかれたんです。そのとき初めてビーチバレーという競技があることを知りました。縁あってせっかく始められたので、高校ではインドアとビーチを両立してやってみようと思ったんです。学校がある日はインドアの部活、休みの日はビーチの練習。高校時代はまさにオフなしで、ずーっと運動していました。
実際に両方やってみて感じたのは、インドアって6人いるので余裕ができるというか・・・“ひま”なんですよね(笑)。でもビーチは2人しかいないので、どちらかが必ず拾わなきゃいけない。ものすごくハードだけど、私の性格的に、忙しく動き回っているほうが合っていたんだと思います。だから、大学進学以降はビーチ一本に絞りました。

くるくると変わる表情

――なるほど、“ひま”はおもしろい表現ですね(笑)。ビーチバレーは足元が砂で、室内と屋外では条件もいろいろ変わると思います。初めてプレーしたとき、戸惑いや難しさはありませんでしたか?

いちばん戸惑ったのは「風」ですね。今でも振り回されています(笑)。ビーチバレーでは、自分たちから見て風上側(=追い風)を「バッドサイド」、風下(=向かい風)側を「グッドサイド」と呼ぶんです。風下のほうが有利で、思いっきりスパイクを打っても風で押し戻されるのでアウトになりにくいんです。でも風向きは試合中もコロコロ変わるので、「さっきはグッドサイドだったのに、また変わった!」みたいに毎回振り回されてしまいます。風向きによって戦術も変えなくてはいけないので、常に風の状態を把握しておく必要があるんですよね。自然を相手にする分、一筋縄ではいかない。そこがインドアとの大きな違いです。

――砂の上を走ることについてはどうでしたか?

それはまったく抵抗ありませんでした。小学生の頃、飼ってた犬と一緒に裸足で野山を駆け回っていたので、それと同じ感覚でしたね(笑)。ただ、砂の上で高くジャンプするのは足を取られて大変でした。だから脚力を鍛えようと、デッドリフトとスクワットをとにかくやり込みました。今でも欠かさず続けています。

――とても元気な小学生だったんですね(笑)。伊藤選手の得意なプレースタイルは?

パワフルなプレーよりも、「うわ、そこか」みたいな“ズルい”プレーが得意ですね。コートの端や、相手の取りづらそうなポイントを見つけたらすかさず攻撃したり、わざとこっちに打つと見せかけて反対側に打ったり。「性格悪いよね」ってよく言われます(笑)。

持ち味は”ズルさ”。
それを支える身体づくりも欠かさない

――そういった戦術に関しては、お手本にしている選手がいるのですか?

“ズルさ”でいうと、松本隠(のん)選手と福田鈴菜選手を参考にしています。ビーチバレーは基本的に騙し合いと駆け引きの競技なのですが、お二人はそのセンスが特に長けていて。とても勉強になるし、何よりおもしろい。福田選手はレシーブの待機体制もとにかくきれいで、憧れですね。

 

身長155cmの武器

――ビーチバレーは個々の技術ももちろんですが、ペアとの相性もとても重要だと聞きます。現在ペアを組んでいる堀花梨選手とは、どのような経緯で組むことになったのでしょうか。

花梨は高校の同級生で、インドアの部活で一緒でした。プレー中の花梨の様子を見ていると・・・“ひま”そうだったんです(笑)。もっとボールに触りたそうに見えたんですよね。だから“忙しい”ビーチに誘ってみたら、即OKしてくれて。それがきっかけでペアを組むようになりました。インドアからビーチへ転向するのってなかなか踏み切れない人もいる中で、その一歩を決断できた花梨はさすがだと思います。

――伊藤選手から声をかけたんですね。普段から仲が良かったんですか?

高校では2年間クラスが別だったので、最初は単なる部活仲間くらいの関係性でした。あまり話す機会もなかったので、周りからしたら「なんでこの二人がペア組んでるの?」って感じだったかもしれません。でもペアを組んでからは本当に仲良くなって、今では練習終わりに遊びに行ったり、LINEやSNSでも頻繁にやりとりしています。

――コート上でのお二人の役割分担などは?

私がレシーバーで、花梨がブロッカーです。花梨は身長が170cm以上あって、私は155cmしかないので、そこははっきり役割を分けています。まさに凸凹コンビですね(笑)。
花梨のほうが始めたのが遅いということもあって、経験値の面でどうしても狙われやすいんです。だから少しでも花梨が打つ回数を減らせるように、レシーブを私が受けるようにしています。ビーチもインドアと同じで基本的に3回で相手のコートに返すので、私が最初に受ければ次に打ち込むのも私になるんです。

ペアの堀花梨選手。
プライベートも仲が良い凸凹コンビ

――低身長を生かした伊藤選手ならではの強みはありますか?

レシーブ力と柔軟性ですね。低い位置に攻めてきたボールを拾いやすいのは大きな武器だと思っています。いろいろな人のプレーを見ても、レシーブに関しては低身長の選手のほうが上手い印象があります。それと、小柄なほうがコート内を柔軟に動けるので、どんなボールでも粘り強く拾える。ビーチバレーの魅力は、低身長の選手でもそこを武器に活躍しやすいところだと思うんです。まぁ、私ほど小柄な選手はあまりいないかもしれませんが(笑)。

 

あの一勝がくれた自信、あの一敗がくれた覚悟

――これまでにいちばん印象に残っている大会を教えてください。

昨年12月に大分県で開催されたデフビーチバレーの国際親善試合ですね。予選リーグで格上のポーランドに初めて2対0で勝って、1位通過することができたんです。その数ヵ月前にチェコで行われた世界選手権では、私たちが8位、ポーランドが5位だったので、リベンジできたのはとても自信につながりました。決勝トーナメントでは負けて準優勝に終わりましたが、予選でストレート勝ちできたのは大きな進歩でした。
もう一つ、悔しさという意味で印象に強く残っているのが、今年4月のデフリンピック日本代表選考会です。代表には内定したものの、「絶対に優勝して内定を勝ち取る!」という強い気持ちで臨んでいたので、準優勝に終わったのがすごく悔しくて・・・1週間くらい引きずりました。

日本選手権優勝ペアとして臨むも、
悔しい2位で終わった代表選考会

――日本代表選考会の際は、何が敗因だったのですか?

決勝戦の相手は境出ゆきえ選手と八木沢美穂選手のペアだったのですが、この二人がペアを組んで試合に出てきたのが初めてで、対策するためのデータが少なかったんです。さらに試合中に境出選手の足が攣ったことで、相手はすべてツー返し(2段攻撃)への攻撃に切り替えたんです。予測できない場所にスパイクを打ち込まれたことで、レシーブミスが増えてしまって。それなのに私がレシーブを受け続けて、すべて背負ってしまったんですよね。そこで少しでも分担して二人で拾うことができれば結果は違ったかもしれません。臨機応変に戦術を変えられなかったのが敗因だったと思います。

――コート内では補聴器が付けられずきこえない中で、堀選手との試合中のコミュニケーションはどのように取っているのですか?

試合中は手話も使いますが、面倒になって大声で叫んじゃうこともあります(笑)。私は口を読むことができるんですが、花梨はあまり得意ではありません。でも「お願い!」「高すぎる!」のような短い言葉なら伝わるので、手話もあれば口頭のときもありますね。試合後は、必ず二人で振り返りと反省会をしています。

――日本代表選考会のあとに1週間引きずったということですが、そのときはどのように気持ちを立て直したのですか?

私の場合、とにかく泣くだけ泣いたら、スッキリして切り替わるタイプなんです。「よし! やるか!」って。結局、超負けず嫌いなんですよね。悔しい思いをするのが大嫌いなので、自分が頑張るしかないんですよね。元オリンピアンの石坂有紀子コーチからは、「勝つためには試合経験を積むことがとにかく大事」といつも言われているので、自信をつけるために、聴者の試合にもたくさん出るようにしています。

結局、自分が頑張るしかない

――とても明るく前向きな印象を受ける伊藤選手ですが、競技を辞めたいと思った経験などもあるのでしょうか?

嫌になって辞めたいと思ったことはないです。でも高校1年生生のときに、左膝の半月板損傷と靭帯の部分断裂という怪我をしたときは悩みました。「次にやったら選手生命はない」と言われるほどで、走るどころか歩くのも大変な状態でした。運動量が激減したことで筋力が落ちて、体重も5キロくらい減ってしまって。元の生活に戻れるかどうかもわからない状況だったので、バレーを辞めて別のことを探そうかな・・・と本気で考えました。
でも、その3ヵ月後に試合を控えていて、「この大会に出るぞ」という目標があったことで、地道にリハビリを頑張ることができました。サポーターやテーピングで補強しながら、なんとか出ることができたんです。
あの大会が一つのモチベーションになっていて、また前向きになることができました。一時はどうなることかと思いましたが、競技を続ける選択をできて、本当に良かったと思っています。

 

憧れから約束へ、そして現実に

――デフリンピックについても伺わせてください。伊藤選手がデフリンピックを知ったのはいつ頃ですか?

2017年のサムスン大会のときです。デフ陸上の山田真樹選手が私の小・中・高の先輩なのですが、山田選手がデフリンピックに出場する際に、後輩みんなで寄せ書きをして応援したんです。そのときに初めてデフリンピックの存在を知りました。

――そうだったんですね。今回初めて日本代表に選ばれたときの感想はいかがでしたか?

デフリンピック出場はずっと目標に掲げてきたので、それを実現できて本当にうれしかったです。「やっとスタートラインに立てた」という感じですね。ここからが本番だと思っています。

――大会で楽しみにしていることはありますか?

昨年の世界選手権で仲良くなったポーランドやウクライナの選手たちと日本で再会できるのが、とても楽しみです! 試合をすることももちろんですが、会ってワイワイおしゃべりするのが楽しみですね。
それから、デフ陸上の日本代表に荒谷太智と村田悠祐という同い年の選手がいるのですが、高校の同級生でクラスも同じだったんです。特に太智とは、私がろう学校に入った小学3年生の頃から一緒に遊んでいた仲で。「デフリンピックに出よう!」と約束をしていたので、幼馴染と一緒に日本代表のユニフォームを着てこの大舞台に立てるなんて・・・胸が熱くなりますね。しかも自国開催の100回記念大会で!

デフ陸上の荒谷太智選手(後列左端)と村田悠祐選手(後列右端)。
同級生とともに立つ東京の舞台は、間違いなく特別な大会

――そんなサイドストーリーがあったとは、とても感慨深いですね。デフリンピックでの目標はどこに置いていますか?

もちろん金メダルです! デフビーチバレーでは、日本はまだ男女ともにメダルを獲ったことがありません。だからこそ、私たちが史上初の快挙を必ず達成したいです。

――デフリンピックの先の夢や目標はあったりするのでしょうか。

山田真樹選手を見ていると、デフリンピックに連続出場して毎回メダルも獲得していて、本当に尊敬できる存在です。だから私も東京大会で終わりではなく、次、またその次と世界を舞台に活躍したいですね。そして、一人でも多くの人にビーチバレーの魅力、デフスポーツの魅力を知ってもらえればうれしいです。

 

喧嘩上等、勝ち気全開――小さなファイターの原点

――ここからは、選手としてではない伊藤さん個人のことについても伺わせてください。子供の頃はどんなお子さんでしたか?

基本このまんまです(笑)。でも子供の頃はもっと尖っていて、「喧嘩上等!」みたいな感じでした(笑)。とにかく勝ち気な性格で、「売られた喧嘩は全部買います」的な・・・。相手が男子だろうと女子だろうととにかく負かして、「よし勝った!」ってガッツポーズしてましたね(笑)。さすがに今はそんなことはありませんよ? でも当時は本当に、筋金入りの“喧嘩上等主義”でした。

常に臨戦態勢な子供時代

――すごいですね・・・(汗)。落ち着いたのはいつ頃ですか?

高校3年生くらいですかね。それまではずーっと尖っていました。

――最近ですね(笑)。小学3年生のときにろう学校に入ったということですが、その経緯を教えてください

私は生まれつき難聴がありました。病院で診てもらったのですが原因がわからず、いまだにわかりません。小学2年生までは聴者の通う保育園と小学校に通っていたんですが、先生が授業中黒板に向かって話すことが多いので、何を言っているかまったくわからないんですよね・・・。それで母に相談して、ろう学校に転校することにしました。ろう学校では先生が前を向いて手話で話してくれますし、補聴器の電池が切れても手話を見れば内容が理解できます。安心して授業を受けられるようになりましたし、手話も本格的に覚えていきました。

――現在は大東文化大学の3年生ですが、学生生活でいちばん楽しいのはどんなときですか?

友達とたわいもないことで笑い合っている時間ですね。ビーチバレーとはまったく関係のないつながりなので、すごくリフレッシュになります。私の耳のことにも変に気を遣うことなく、「こういうときはどうすればいいの?」とストレートに聞いてきてくれます。手話に興味を持ってくれる子もいて、「覚えたいから教えて」と言ってくれたりして、本当に素敵な友達に恵まれているなと思います。

かけがえのない友人たち

 

筋肉とK-POPに恋してます

――伊藤さんの趣味や、今ハマっていることを教えてください。

小学生の頃からK-POPが大好きなんです! その影響で、中学生のときに韓国語を独学で勉強しました。おかげで話す・読むは問題なくできますし、歌の歌詞やバラエティ番組でも何て言っているのかわかりますよ。国語や数学は苦手なのに、好きなことへの情熱はすごいな〜と自分でも思います(笑)。

――それはすごいですね! ちなみに推しは誰ですか?

第2世代から第5世代まで一通り網羅しているんですが、今いちばんの推しはセブチ(SEVENTEEN)のミンギュとDK(ドギョム)ですね。彼らの出ている韓国のバラエティ番組は全部チェックしています! 顔も甘いマスクで好みなんですが、それより何より“筋肉”が大好きなんです。血管が浮き出た腕とか見ちゃうと「キャーッ!」って(笑)。実は、大東文化大学のスポーツ科学科を選んだ理由も、裏テーマはそれだったりします。みんなスポーツをやっているので、肩幅が広くてガッチリしていて、見てるだけでテンション上がります。友達には変態って言われますけどね(笑)。

――(笑)。じゃあオフの日はライブにも行かれるんですか?

はい、Kep1er(ケプラー)のライブにはもう3回くらい行きました。セブチは行きたくてファンクラブに入っているんですが、まだ行けていなくて。こんなにK-POPが好きなのに、実はまだ一度も韓国に行ったことがないんですよ・・・。デフリンピックが終わって落ち着いたら、絶対に韓国旅行に行きたいなと思っています。

“推し活”がモチベーション

――いいモチベーションになりますね。伊藤さんがこれまでに影響を受けた方はいますか?

それもやっぱりK-POPアイドルですね。Red Velvetのジョイです。仕事に対する姿勢がとてもストイックで、とにかく笑顔がきれいでかわいいんです。そんな彼女を見て、「笑顔って人を引き寄せる力があるんだな」って感じて。だから私も、できるだけいつも明るく、笑顔を大切にしようって思うようになりました。

――熱いお話をありがとうございました! 最後に、デフリンピックを楽しみにしている読者の皆さんにメッセージをお願いします。

自分の力をすべて出し切って、メダルに獲得へ全力で頑張ります! 私のプレーは粘り強さと“ズルさ”がポイントなので(笑)、会場ではぜひそこに注目して見てほしいです。
身長が小さくてスポーツを諦めようと思っている方に、「小さくても活躍できる!」という姿をお見せして、前向きにスポーツに取り組んでもらえたらうれしいですね。
これから練習に合宿にますます頑張りますので、応援よろしくお願いします! そして、ビーチバレーはまだまだ競技人口が少ないので、「ちょっとやってみたいかも」と思った方はぜひ一緒にやりましょう。ほどよく日焼けした肌は、健康的で引き締まって見えて最高ですよ!(笑)

 

Instagram:tamaki_dbeachvb12

text by 開 洋美
photographs by 椋尾 詩

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