“POマン(ぽ・まん)”と呼ばれていました。
こんにちは!手話表現者の西脇将伍です。ぼくは生まれつき耳がきこえなくて、手話でたくさんの人と気持ちを伝え合っています。小さいころ、ぼくはよく「ポ?」って言っていました。これは親指と小指を立てて鼻の辺りに持っていく手話で、「なんで?」「どうして?」っていう意味なんです。なんでもすぐに「ポ?」ときくから、「POマン(ぽ・まん)」ってよばれていました。
もっと知りたい!を叶えてくれるのが手話
ぼくが小さいころ、先生が声だけで絵本を読んでくれたことがありました。でも、それだと詳しいお話がわからなくって・・・。なんでも知りたいPOマンのぼくにはそれが退屈で、帰りの車で「何を言っているのかわからない!」って泣いちゃったんです。そのとき、お母さんが手話で絵本を読んでくれました。ようやく「あっ、そういう話だったのか!」ってわかって、すごくうれしかったんです。その笑顔を見て、みんなが手話を使える学校に入ることを決めてくれたんです。
同じ“ことば”で話せる学校生活
入学した明晴学園では、日本手話と日本語の両方を学べるんです。みんなが同じ手話を使うから、友だちともけんかしたり、ふざけたり、自由に話ができました。他のろう学校だと、手話じゃなくて口で話す人や、補聴器をつける人もいて、言葉がバラバラなこともあります。でも明晴学園では、みんなが同じ“ことば”で話せた。だから、気持ちがちゃんと伝わったし、たくさんの楽しい思い出ができました。

高校での新しい挑戦
中学校までろうの環境で育ったぼくは、高校からきこえる人たちの学校に進みました。理由のひとつは、野球。強いチームで野球をしたかったんです。それと、きこえる人たちの世界に興味がわいてきたからです。
最初は、本当に戸惑いました。たとえばメールの書き方ひとつとっても、文化が全然ちがっていて。でも、友だちや先生が助けてくれて、少しずつ慣れていきました。このとき気づいたんです。「きこえる人との間には、ちがいもあるけど、努力や工夫次第で乗りこえることもできる」って。この経験が、のちの活動にもつながっていきました。
手話の魅力を伝えるために
大学生になって、あらためて手話のことを見つめなおしました。でもそのとき、「このままだと手話やろう文化がなくなってしまうかもしれない・・・」と心配になったんです。そこからぼくは、手話やろう文化のすばらしさを、もっと深く考えるようになりました。そしてその魅力を、たくさんの人に伝えたいと思うようになりました。手話を使って舞台に出たり、テレビやイベントに出たり、「手話表現者」として活動するようになったんです。
そして今、東京2025デフリンピックに向けて、手話を使った新しい応援「サインエール」をつくっています。“目”で伝わる応援で、ろうの選手たちに、心から力を届けたいと思っています!
みんなへのメッセージ
知らないことを知るって、ちょっと勇気がいるけど、とても楽しいことです。手話やろう文化も、知ればきっとおもしろいと感じられるはず。デフリンピックを通して、新しい世界をのぞいてみてください!