HERO for Kids:ヒーローずかん

2025.08.01

ろうの子どもたちの未来のために!

川俣かわまた いくさん日本財団にほんざいだんスタッフ

応援アンバサダー!

こんにちは、川俣かわまたいくです。わたしは日本財団にほんざいだんという、世界中の困っている人を助けるために活動している団体で働きながら、東京2025デフリンピック応援おうえんアンバサダーをしています。きこえない子どもたちが手話しゅわで学べるよう、アジアで学校をつくるお仕事もしています。

きこえなくなったけど、何も失っていない

わたしは小さいころ、病気でひどい熱が出て、そのあと耳がきこえなくなりました。お父さんやお母さんが話しかけても返事をしなくて、病院で調べたら、きこえていないことがわかったんです。

でも、わたしは「きこえなくなった」のではなくて、「ろうしゃになった」だけなんです。ろうしゃになって良かったことや新しく学べたこともいっぱいありました。聴力ちょうりょくだけに注目して、「無くなってしまった」というような言い方はしたくないんです。

ちがいに気づいてなやんだこと

小学生のときは、きこえないことをあまり気にしていませんでした。でも中学生になって、少しずつつらくなってきました。クラスで先生の話がよくわからなかったり、みんなといっしょに話すことができなかったりしたからです。「できない人」って見られている気がして、きこえないことはかくした方がいいって思うようになりました。補聴器ほちょうきも髪の毛でかくしていたんです。

川俣さんの写真
川俣さんの子供の頃の写真
(写真:川俣かわまたさん提供ていきょう)

アメリカで見つけた「楽しい」

アメリカの大学にいるときの集合写真
(写真:川俣かわまたさん提供ていきょう)

中学3年生のとき、明るくてかっこいい、ろうしゃの先生に出会いました。わたしと同じろうしゃでしたが、めちゃくちゃ明るくて、きこえないことをまったくかくしていないんです。

わたしはその先生から教えてもらった、アメリカのろうしゃのための大学に入りました。その大学ではみんな手話しゅわができて、どこでもだれとでも自由に話せます。先生の話だけでなく、となりの人のつぶやきも手話しゅわでわかります。今までにない情報量の多さにびっくりしましたし、みんなと話し合いもできて、「学ぶって楽しい!」って思えました。

学校をつくりたい

わたしは、アジアのろうの子どもたちのために、手話しゅわで学べる学校をつくる仕事をしています。これまでに、ベトナムやラオス、フィリピンに学校ができました。

でもまだまだ足りません。そのためには手話しゅわで教えられる先生を育てることや、その先生のための教科書をつくることも必要です。みんながちゃんと学べる環境をつくれるように、一つずつクリアしていきながらがんばっていきます!

(写真:川俣かわまたさん提供ていきょう)

学校で講演する川俣さん

みんなへのメッセージ

笑顔の川俣さん

デフリンピックでは、世界中からすごい選手たちが東京に集まります。音に頼らずにいろいろな工夫がされた環境で、全力で戦うすがたを観ることができます。
ろうしゃに限らず障害者はどうしてもかわいそう、大変そうって見られてしまいますが、それをスポーツの力、デフリンピックの力で「そうではないんだぞ!」と示したいですね!

もし会場でわたしを見つけたら、ぜひ声をかけてくださいね。東京2025デフリンピックで待ってます!