ENTERTAINER
2025をつくる人たち

Landらんど Heyへいさん

姉妹ユニット

Land Hey(姉妹ユニット)|姉妹で届ける“手話言語のチカラ”

2025.10.09

「手話言語をもっと身近に感じてほしい。」
そんな思いから活動を始めた姉妹ユニット『Land Hey』。
現役大学生でろう者の妹・平嶋萌宇(もね)と、聴者の姉・沙帆(さほ)の二人だ。
キャッチーな楽曲にのせて手話言語を届け、世代を問わず親しめる動画コンテンツで手話言語に触れるきっかけを創っている。
天真爛漫な明るさと、周囲を惹き込む弾ける笑顔。
デフスポーツの世界にも独自の視点で光を照らす二人。
その活動の原点と、目指す未来とは―。

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“きこえない自分”を受け入れるまで

――幼少期は実家のある福岡で過ごされたそうですが、どんなお子さんでしたか?

萌宇 負けず嫌いで、怪我をたくさんするようなおてんばな子供でした。姉が5歳、兄が2歳上なのですが、二人が遊びに行く所へはどこでもついて行っていましたね。あるとき、二人の真似をして自転車に乗って手放しで坂道を降りていたら、大きな石を踏んで転んでしまったんです。その拍子に横にあった石垣に額をぶつけて、縫うことになるという・・・(苦笑)。そんな調子でしたので、両親はいつも心配していました。

おてんばな幼少期を振り返る妹の萌宇さん

――聞いてるだけで痛いです・・・(笑)。萌宇さんの耳がきこえないことは、いつ頃わかったのですか?

萌宇 1歳になる前に、両親が音への反応に違和感を覚えて病院に連れて行ってくれました。そこで検査を受けたところ、きこえていないことがわかったみたいです。そこから療育センターに通い始め、その頃からコミュニケーション手段の一つとして家族で手話言語を覚え始めたそうです。

――沙帆さんが手話言語を覚えたのは、いつ頃だったのですか?

沙帆 妹がきこえないことがわかってからですね。家では簡単な手話言語でやり取りすることが多く、私も子供の頃から簡単な手話言語や指文字を覚えて使っていました。でも本格的に手話言語の勉強を始めたのは、今の活動を始めるようになってからです。だからまだ「覚えた」と言えるほどではなく、まだまだ勉強中です。

精力的に手話言語を学ぶ、姉の沙帆さん

――萌宇さんは、小・中・高とろう学校に通われたのでしょうか。

萌宇 そうですね。ただ、中学生のときに1年半だけ地域の中学校に通っていました。

――それはどうしてですか?

萌宇 小さな頃から姉と兄のことが大好きだったので、私だけ違うことが「寂しい」という思いがどんどん強くなっていったんです。上の二人には同じ学校での共通の話題があるのに、自分だけ仲間に入れないのが悔しくて、うらやましくて・・・。どうしても同じ学校に行きたいと思うようになりました。それで兄が中3、私が中1になるときに両親が教育委員会に相談して、兄の通う中学校に入学できることになったんです。
1年間は兄がいたので、何か困ったときは兄やその友達が協力してくれました。でも私が中2になると、兄が卒業して頼れる人がいなくなってしまったんです。それからは「自分で頑張らなくては」と思ったのですが・・・、周りとの違いを改めて突きつけられて、自分のアイデンティティに悩むことが増えていきました。

――そうだったのですね・・・。

萌宇 当時は私自身、“きこえない”ということをまだ受け入れられていなかったんです。手話言語を使うことにもどこかためらいがありました。じゃあ筆談もしながら・・・となるかと思いますが、素直な気持ちを思い切って担任の先生に伝える中で、筆談だと言葉が文字として残りますよね。会話では流れていくような何気ないやり取りが記録として残ってしまうことに、さらに現実を突きつけられているような気がしてしまいました。それで、だんだんと学校から足が遠のいて・・・。最終的には、中2の6月頃からは学校に全く行けなくなりました。

――その後、ろう学校へ戻ることにしたんですね。

萌宇 はい、中学校の担任の先生のアドバイスで、一日だけろう学校に通ってみたんです。そうしたら、授業の内容や友達の言っていることが、一言一句手に取るようにわかるんですね。そのことにすごく感動して、やっぱり自分はろう者として、手話言語を使って生きていきたいと思いました。転校することは、それまで通っていた中学校から逃げるような形になってしまうので、最初はとても悩みました。でも、私が手話言語を使って活き活きとコミュニケーションをとる姿を見て、「もう一度ろう学校で頑張るのも一つの選択だよ」と、先生が背中を押してくれたんです。

「手話言語を使って生きる」と決めた
子供の頃から大好きで、いつも一緒

 

挑戦が拓いた新たな景色

――萌宇さんは、高校生の頃に手話スピーチコンテストで入賞されたそうですね。

萌宇 そうなんです。福岡高等聴覚特別支援学校に通っていたときに、一人の友人に出会ったんです。手話言語には「日本手話」と「日本語対応手話」という2つの言語があって、私がそれまで使っていたのは、日本語の音声に合わせて手話単語を置き換える日本語対応手話でした。でも友人が使っていたのは、日本手話だったんです。どちらも基本は同じなのですが、日本手話には独自の語順があって、かつ表情や体の向き、視線なども重要な要素になるので、頭の中にあるイメージをよりリアルに表現できるんですね。それを見たときに、同じろう者なのにこれだけ違った表現ができるなんて「素晴らしいな」「うらやましいな」と思いました。そのときから、手話言語の奥深さに強く惹かれるようになったんです。いろいろ調べるうちに、全国の高校生が参加できる手話言語のスピーチコンテストがあると知り、ぜひチャレンジしたいと思いました。

――ご自身のアイデンティティに悩んでいた頃の萌宇さんからすると、大きな一歩ですね。

萌宇 それまでの私は、自分に自信が持てませんでした。でも、「行動を起こすことで何か変わるかもしれない」と思ったんです。高校2年生で初めて挑戦したときは、二次試験で落ちてしまいました。聴者も出られるコンテストでしたが、ろう者である自分が入賞できなかったのはすごく悔しかったですね。

――そこからまた挑戦を続けたのですね。

萌宇 悔しさをバネに、「もっと表現を磨こう」と1年間必死に練習しました。そのとき、そばで見守ってくれた先生方の存在は本当に大きかったですね。先生方と過ごす中で、手話言語は単なる「伝える手段」ではなく、言語としての深さや文化的な豊かさがあることに気付くことができました。そして高校3年生のときに再挑戦し、そこで上位5人の入賞者に選ばれたんです。その瞬間は、本当にうれしかったですね・・・。「きこえなくても自信を持っていい」――そう確信できた大きな出来事でした。この経験をきっかけに手話言語に対する考え方も変わりましたし、SNSでの発信にも挑戦してみたいと思うようになりました。

転機となった高校3年時のスピーチコンテスト。
今につながる原点だ

 

まさかの100万回再生の裏側

――スピーチコンテストでの入賞が、現在の活動のきっかけになっていたんですね。

萌宇 そうですね。いろいろな人の投稿を見ていると、きこえないことが「かわいそう」といったニュアンスのものがこれまでは多いと感じていました。「きこえなくても楽しい」というポジティブな発信がほとんどなくて・・・。だから、自分の発信を通じて、ろうに対するネガティブなイメージを払拭したいと思ったんです。そこでSNSを始めたいと姉に相談したら、すぐに賛同してくれました。

――沙帆さんは、そのときどう思われましたか?

沙帆 私自身も、「きこえないことがマイナス」だと捉えている部分が正直ありました。でも妹と過ごす中で、決してそうではないと感じる部分がたくさんあるんです。萌宇は観察力や表現力が人一倍優れていて、ボキャブラリーも本当に豊富です。私が到底言い表せないようなことを、手話言語と表情で表現してしまう。スピーチコンテストを見たときも、心から感動したのを覚えています。
私が高校生のとき、早瀬憲太郎さん(デフ自転車日本代表/映像作家・手話言語演出)の手話言語に感銘を受けて、東京で開催されるワークショップに福岡から一人で参加したことがありました。実際に早瀬さんの手話言語を生で見て、こんなに表情豊かで楽しそうに、しかもきれいに手話言語を表現できる方がいるんだと衝撃を受けたんです。萌宇の手話言語にも、それに通じるポジティブなものを感じるんですよね。だから「ろうのネガティブなイメージを払拭したい」と聞いたとき、私も強く共感できたんです。彼女の明るい素の部分や、ありのままの魅力を多くの人に見てもらうことで、何か感じる人がいるかもしれない。そのために、自分も何かできることをやりたいと思いました。

妹の魅力の発信とともに、ろうのイメージを変えていきたい

――実際に配信を始めてみて、お二人の感想や視聴者の反応などはいかがでしたか?

沙帆 正直・・・始めた頃はここまで続くとは思ってなかったよね(笑)。

萌宇 うん(笑)。いちばん最初に動画の配信を始めたのが2020年だったんですが、そのときはまだ私一人で、TikTokで配信していました。その1年後に二人で配信を始めたのですが、当時はまだフォロワーも全然いなくて。さらにその1年後の2022年5月に、今度は二人でGReeeeNの『あいうえおんがく』に指文字をつけて “手話歌”という形で投稿してみたんです。そしたら再生回数がどんどん伸びて、まさかの100万回超えで! すごくびっくりしました・・・。

沙帆 本当にね! でも裏話があって、実はあの動画を撮る前に大ゲンカしたんです(笑)。投稿した動画では私がアカペラで歌っていますが、最初はそのはずじゃなかったんですよ。ちゃんと音源を使おうとしてたのですが、当日になって使えないことがわかり・・・。お互い事前に調べていなかったんですよね。どっちが悪いというわけではないんですが、「音源使えないじゃん・・・」「どうすんの?」みたいな感じで険悪になり、あれこれ言い合いをしていたら、とても撮影するような雰囲気じゃなくなってしまって・・・。でも「今日撮る」と決めていましたし、私が大学まで音楽を専攻していたのもあって、歌は私がアカペラでつけることで落ち着いたんです。

思い出し怒り(?)からの結局笑顔

――あのにこやかな笑顔の裏にはそんな経緯があったんですね(笑)。

沙帆 そうなんです。もう、二人とも無理やりニコニコして撮った感じでしたね(笑)。歌の練習なんてもちろんしていなかったのに、ケンカしていたのもあって一発撮りで。それがあれだけ反響をいただけて、正直「えっ!?」ってなりました。あの動画をきっかけにフォロワーが一気に増えて、「接客の手話言語をやってほしい」などのリクエストをたくさんいただくようになったんです。『Land Hey』という名前を決めて、インスタを始めたのもそれからですね。
今は発信するテーマや歌の雰囲気に合わせて服も変えたりしているんですが、『あいうえおんがく』のときはそんなこだわりも一切なくて家着のようなラフな格好で(笑)。まさに“素”でした。それでもあの動画の再生回数を超えるものはいまだにないので、わからないものですね。

 

Land Heyは二人のもの?

――日々の発信ではどんなことを大切にしていますか?

萌宇 誰にとってもわかりやすいものにすることは、いつも大切にしています。動画配信というと、やはり音声言語が多いですよね。そこで私の手話言語に姉の声、そして字幕もつけることで、きこえない人にもきこえる人にも伝わりやすい形にしています。内容も「ちょこっと手話」という日常生活の中で使える手話単語の紹介や、手話歌、姉妹の対話など、子供から大人まで楽しめるように、できるだけバラエティ豊かな企画を考えています。

誰が見てもわかりやすいものに

――企画は二人で一緒に考えるんですか?

沙帆 基本は二人で話し合いますが、必ず母にもアドバイスをもらっているんです。そういう意味では、母も“Land Heyの一員”と言えるくらい大きな存在ですね。表には出ませんが、私たちのアイディアに対して「もっとこうした方がいい」と具体的に指摘してくれるんです。二人だけだとどうしても考えが偏ってしまうので、母の客観的なイチ視聴者としての視点はとても助かります。意見が食い違ってケンカになることもありますけど(笑)。でも最後はやっぱり母なしではできないなと思うくらい、母のサポートは欠かせないものですね。萌宇はどう?

萌宇 うん、そうだね。自分たちだけの力でやりたい気持ちがある一方で、やっぱり母がいないとダメなんですよね。一度母と離れて二人だけでやってみようとしたことがあったんですが、全然進まなくて・・・。投稿も軒並み止まってしまい、「どうすればいいんだろう」と悩むばかりでした。結局母に謝って、これからも協力してほしいとお願いしました。

――どんなお母様なんですか?

萌宇 珠代姉さん(島田珠代)みたいな人です!(笑)

沙帆 珠代姉さん!(笑) ちょっと違う気もするけど・・・でもそのくらい明るくて発想もぶっ飛んでいるんです。「え、そこ!?」みたいな。かなりおもしろい人なんですよ。例えるなら、女版・松岡修造みたいな感じかもしれません。一緒にいたらちょっと暑くなるような(笑)。

――熱い方なんですね!

沙帆 そうですね。妹がろう学校の幼稚部に通い始めてからは、毎日欠かさず絵日記に取り組んでいました。お盆も正月も、インフルエンザになっても、絶対一日も休まず。「書いて覚える」ということを繰り返していたんですね。まずは正しい書記日本語を覚えてほしいという思いがあったようで、全部手書きで、イラストも描かせていましたね。その絵日記が今でも何十冊も家にあります。
また、東京に来て「ダイアログ・イン・サイレンス」のSIとして楽しんでいる母を見てると「伝え方」って大事だなと思いますね。

萌宇 母だけでなく父もいろいろな意見をくれますし、家族全員で支えてくれます。意見が食い違うときは、みんなでとことん話し合います。ちなみに手話歌でたまに入るギター演奏は、兄なんですよ。だからLand Heyの活動は、家族の協力なしには語れないですね。いつも忙しい中で音声をつけてくれる姉にも、本当に感謝しています。最近はお風呂場で録音してくれることもあって・・・。

沙帆 はい、私の作業スペースです(笑)。子供がまだ小さいので、最近は寝かしつけたタイミングで起こさないように、お風呂場にこもって音入れをしています。ちなみに、動画で私が妹の声をするようになったのは、字幕が見づらい祖父母のために声をつけたことがきっかけだったんです。

女版・松岡修造(?)の頼れる母!
(写真左上がお母さま)

 

しっかり者と楽天家

――お二人は普段から一緒にいることも多いと思いますが、お互いどんな存在だと感じていますか?

萌宇 姉には言ったことがないんですが(笑)、私は相手が姉だからこそ今のような活動ができていると思っています。例えば何か苦しいことや失敗したことがあったら、両親はやっぱり心配してしまうんですよね。でも姉は本当に明るいというか、物事をプラスに捉えて笑いに変えてしまう人なんです。私が学校に行けなかったときも、「もし映画に出ることがあったら悲しい役の気持ちがわかるからいいじゃん! いい経験だよ!」と、意表をつくような励まし方をしてくれました。

沙帆 え〜〜、そんな意地悪なこと言った!?(笑)

萌宇 言った言った(笑)。逆に私は「失敗したらどうしよう」と心配になりがちなので、「問題が起きたら、そのときに考えればいいよ」と言ってくれる。いつも救われているんです。姉は本番にも強くて、イベントの仕事でも始まった瞬間に切り替わって、難なく終えてしまうんですよ。私は本番が始まっても緊張や不安を引きずってしまうのに・・・。

沙帆 確かにそこは萌宇の方が緊張しいだね。私は本番直前まで何か食べたりしてるかも(笑)。

萌宇 悪くいえば能天気みたいなところもあるんですが(笑)、そんな姉のおかげで苦しいことも乗り越えられてきました。

なくてはならない存在

――だそうですが、沙帆さんはいかがですか?

沙帆 いや〜、反対に私は妹の方が明るい性格だと思ってきましたけど・・・(笑)。でも一言で言えば、本当にしっかり者です。私はちょっと抜けているところがあるんですが、妹は「人様に迷惑をかけない」をモットーにしているみたいなところがあるんです。仕事をいただいても、場所はどこか、時間はどのくらい必要か、最終的には私の子供のことまで「ここに預けよう」と考えてくれるんです。さらに、これが遅れるとあの人にもこの人にも迷惑がかかるとか、周りのことまでちゃんと配慮しているので、本当に毎回助けられています。私はなんとかなるだろうとあっけらかんとしてやってきたので、妹に怒られることも多いですよ(笑)。

――どんなことで怒られるんですか?

沙帆 例えばLINEでやり取りをしていて、それまで楽しい会話をバンバンしていたのに、いきなり「ところで(動画に)声入れましたか?」って敬語で聞いてくるんですよ(笑)。私は「この日までにやるよ」と伝えていても、少し遅れてしまうことがあるんですね。でも妹はちゃんと覚えているんです。「わー、やばい!」と慌てて、「ごめん、ちょっと子供から手が離せなくて」と返すと、「そんなの言い訳にならないよ」ってバッサリ!(笑) 私がちょっと言い返すと倍になって返ってくることがあるので、怖いんですよ・・・。

――そうなんですね(笑)。よくケンカもするんですか?

萌宇 ケンカは子供の頃から日常茶飯事です。なんなら今朝も軽くケンカしてきました(笑)。でも、たいてい数分で終わるんです。険悪になっても自然とほかの話題に切り替えて、すぐ仲直りしちゃいますね。あとはお互い寝たら忘れる性格なので、そこまで大ゲンカみたいなことにはならない・・・かな(笑)。

沙帆 そうだね。時間が経ったらお互いすぐ忘れて、次の日には何事もなかったように「おはよう!」ってLINEが来る。結局「可愛いやつめ」って思っちゃうんですよね(笑)。

――きっとお互い違うからこそバランスが取れているし、姉妹だからそこの素敵な関係ですね。

沙帆 確かにそうですね。これがほかの人だったらお互い遠慮して踏みとどまったりすると思うんですが、逆に姉妹だからとことん言い合えますね。動画のクオリティだったり手話言語のことだったり、そこはもう遠慮なく。たまに母も挟んで三つ巴です(笑)。でもやっぱり家族なので、何を言っても離れることはないという安心感は大きいですね。だから私も「違う」と思ったことは負けずに言いますが、最終的には妹に論破されます(苦笑)。

話を伺うたびに、お互いから愛が漏れてくる

 

泣くのではなく“大丈夫”と言える社会へ

――これまでの活動を通して感じていることや、印象的だった出来事などはありますか?

萌宇 幅広い年齢層やいろいろな背景を持った方など、この活動のおかげで出会えた人たちがたくさんいます。その時々の出会いに本当に恵まれていると感じますし、活動を通して自分自身が成長させてもらっている実感があるので、続けていて本当によかったなと思えるんです。
印象的だったのは、昨年姉と一緒に、日本デフ陸上選手権の手話言語実況の仕事をさせていただいたことです。それまでに全日本ろうあ連盟主催の「手話言語アナウンサー養成研修」に参加し、手話言語の伝え方や魅せ方を勉強させていただいていたのですが、その研修をきっかけにスポーツ関係の仕事も少しずつ増えてきました。そこでいただいたのが、この手話言語実況です。
アナウンサーは、ニュースを読むために言葉選びや話し方の勉強をしますよね。手話言語も同じように、実況のような公式な場にふさわしい表現があるんですね。初めての実況だったこともあり、毎日朝と夜に「今日の一言」をテーマに鏡に向かって手話言語表現の練習をしていました。表現を磨くいい機会にもなりましたし、とても学びの多い経験でした。
本来、人前に立つことはあまり得意ではないのですが、きこえなくても活躍の場があることを一人でも多くの方に知ってほしいと思い、挑戦しました。結果として、自分自身の大きな成長にもつながったと思います。

手話言語実況という新たな道も拓いた昨年

沙帆 私は、2022年に福岡の無印良品でアパレルブランドのイベントに参加したときのことが忘れられません。東京や広島からわざわざ会いに来てくださった方がいたんですよ。SNSへの応援コメントも本当に励みになっているんですが、わざわざ私たちに会いに来てくれたというのは本当に感慨深いものがありました。大きなホワイボードとペンを持参して、妹にも伝わるようにメッセージを書いてくれる方もいましたし、皆さんの優しさがあふれていたんです。私の友人たちも、簡単な手話言語を覚えて会場に来てくれました。きこえる人からすると、普段手話言語に出会う機会ってほとんどないと思うんです。でも、妹にとっては大切な“言語”です。だから、手話言語も音声言語と同じくらい『身近なもの』なんだと、一人でも多くの方に知ってもらえたら嬉しいですね。

遠方から会いに来てくれる方々の、優しさにふれられた

――活動を通して伝えていきたいことはどんなことですか?

萌宇 初めて私たちの動画を見る人に、きこえない=「大変そう」「かわいそう」と感じるのではなく、むしろそんなことを忘れるくらい「楽しい」という気持ちになってほしいんです。私の耳がきこえないとわかったとき、両親は泣いたそうです。それももちろん仕方のないことですが、これから生まれてくる子供がきこえないとわかったときに、「全然大丈夫だよ!」と思えるような社会になってほしいと思っています。もちろんきこえなくて大変なこともありますが、それはろう者でも聴者でも同じこと。だから「きこえないことはマイナスではないんだよ」ということを、私たちの活動を通して伝えていきたいです。

――活動の幅は着実に広がっていますが、今後目指すことや目標などがあれば教えてください。

沙帆 もちろんこれからも二人で活動していきますが、主役は妹で、私は「少し後ろからともに歩む存在」だと思っています。動画を見ていただければわかるように、妹のポジティブなマインドにパワーをもらう人は、きっとたくさんいるはずです。そういう方をもっと増やしたいので、妹の背中を押すような形で、これからも活動を続けていきたいですね。
あと、今後も手話言語の楽しさや大切さを多くの人に伝えていくために、私自身も手話言語をもっと深く学んでいきたいと思っています。子供が生まれてから、以前のように一人でワークショップやイベントに行く時間がなかなか取れなくなったので、本で勉強しているんです。でも本を何十回見るよりも、実際にろうの方とふれ合ったり手話言語のイベントに参加したりする方が、自然と身につくんですよね。だからそういう機会もなんとか増やしていきたいというのが、個人的な目標です。

萌宇 今挑戦しているのが、ミス日本コンテストです。8月に東日本地区大会が開催され、ファイナリスト7人のうちの1人に選んでいただきました。2026年の1月に本大会が開催されるので、今はその準備に全力を注いでいます。ミス日本への挑戦を通して手話言語の可能性を発信したいのはもちろん、きこえない人が「自分も何かにチャレンジしてみよう」と思える一つのきっかけをつくれたらと思っています。

 

デフリンピックを重要な契機に

――いろいろなお話をありがとうございました! 最後に、11月に開催されるデフリンピックへの思いをお聞かせください。

沙帆 ここ数年、デフ陸上やデフサッカーの仕事を通じて、デフアスリートの皆さんの並大抵ではない努力を間近で見させていただきました。できることなら、デフリンピックでも妹の手話言語と私の声での実況を通して、その素晴らしさを伝えることができたら本当に幸せです。
また、今はデフリンピックが東京で開催されることで盛り上がっていますが、果たしてその後はどうなるのかな・・・というのも正直な思いです。だからこそデフリンピックを良いきっかけにして、手話言語が身近なものだと感じてもらえるように。私たちらしく、フランクな形で伝え続けていきたいですね。

萌宇 本当に姉の言う通りだと思います。デフリンピックが終わった後のことは、私も同じように少し不安が残ります。第100回という記念すべき東京大会。一時の盛り上がりで熱が冷めてしまってはもったいないですよね。デフリンピックを通して、多くの方に希望を感じてもらいたいと思っています。そしてデフスポーツの存在やデフアスリートの活躍を知っていただき、次の大会も楽しみにしてもらえるように。
私たちLand Heyの活動は、これまで本当にたくさんの方の想いや支えによって繋がれてきました。だからこそ受け継いできたバトンをしっかり握り、感謝の気持ちを忘れずに、これからも未来へ繋げていきたいと思います。

Land Hey(らんど へい)
妹・平嶋 萌宇(ひらしま もね)/2003年福岡生まれ
姉・平嶋 沙帆(ひらしま さほ)/1998年福岡生まれ
姉妹ユニット

生まれつきろう者の妹・萌宇と、聴者の姉・沙帆の二人で、2022年5月より『Land Hey』として活動を始める。ろう者にとって欠かせない言語である手話言語を「もっと身近に感じてほしい」と、TikTokやインスタグラムで手話言語を紹介する動画の配信を行う。また、2024年には日本デフ陸上選手権などで手話言語実況(妹が手話言語、姉が通訳)を担当。2025年4月にはデフサッカー男子日本代表エキシビジョンマッチで手話言語でのピッチリポートを行うなど、着実に活躍の幅を広げている。8月には「デフサッカー応援サポーター」への就任も発表。
妹・萌宇は筑波技術大学総合デザイン科でクリエイティブデザインを専攻する現役の大学生。2025年8月には「第58回ミス日本コンテスト2026」のファイナリストに選出され、来年1月の本大会を控える。
姉・沙帆は大学まで音楽を専攻し、2019〜2021年まで福岡親善大使を務める。現在Land Heyの活動の傍ら、フルート・ピアノ講師を兼務。

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text by 開 洋美
photographs by 椋尾 詩

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