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2025をつくる人たち

三浦みうら 宏之ひろゆきさん

株式会社プラスヴォイス代表取締役

三浦 宏之(株式会社プラスヴォイス代表取締役)| “本当のコミュニケーション”への気づき

2025.06.25

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ろう者がいつでも、どこでも、自分らしくコミュニケーションできるように、情報格差のない社会の実現を目指す株式会社プラスヴォイス。
その代表を務めるのが三浦宏之だ。
1998年の設立以来ICTを活用した通信サービスを世に送り出し、ろう者の困り事を解決すべく奔走し続けてきた。
プラスヴォイスが見据えるのは、「誰にとっても生きやすい社会」。
“ろう者を取り巻く現状を知る” それが明日を変えるアクションの一つかもしれない。

始まりは人生最悪のMC

――プラスヴォイスは主にどのようなサービスを届ける会社でしょうか。

三浦 ろう者がいつでもどこにいてもコミュニケーションに困らないように、ICT(Information and Communication Technology)を活用した通信サービスを提供しています。その一つが「代理電話サービス」です。例えば「美容院の予約を取りたいけど電話番号しか載っていない・・・」といった場合にこのサービスを使うと、テレビ電話で手話通訳オペレーターが間に立ち、双方の発言を手話⇄音声に変換してリレー形式で届けます。また、法人や行政向けの「遠隔手話通訳サービス」は、店舗などの窓口にきこえない方がいらした際に利用できます。サービスに繋がるコードを記載したポップ等を窓口に設置するだけで、当社の手話通訳オペレーターまたは自治体の通訳者が、お客さまと職員との会話をビデオ通話で通訳します。両者にとって安心できるサービスということで、現在行政機関や自治体、大手企業などの多くの窓口に設置していただいています。

◼代理電話サービス

◼遠隔手話通訳サービス

あなたの「伝えたい」を伝えたい。
ろう者のコミュニケーションを、場所を超えてサポートする
※画像提供:プラスヴォイス

――なぜ、ろう者の方々に向けた支援をされるようになったのですか?

三浦 きっかけは、以前やっていたMCの仕事での出来事です。大学卒業後は保険会社に入社して、地元の仙台で営業マンとして働いていました。でも、人から「ありがとう」と言われる仕事がしたくて、保険会社と並行しながらフリーランスでMCの仕事を始めたんです。保険会社の営業をやっていたくらいなので、もともと話すのは好きでした。結局、保険会社もMCの仕事も10年くらい続けましたね。あるとき、結婚式の司会の仕事が入り、新婦がろう者だったんです。手話サークルで出会った二人で、参列者もろう者の方々が多く、もう会場中が手話なんですよ。初めての経験でした。当時、披露宴では最低3回は会場を笑わせるというモットーがあったのですが、それもまったく通用しません(苦笑)。疎外感や何もできない悔しさ、いろんな感情がないまぜになって、まさに人生最悪のMCでした・・・。でも不思議なことに、それまではろう者と接したこともなかったのに、目の前で楽しそうに手話で話す方々の様子を見ていて「手話っておもしろそう」と、ろう文化に興味が湧いたんです。そこから独学で手話を勉強し始めました。

――独学で! そのときのMC経験がよほど鮮烈だったのですね。

三浦 そうこうしているうちに、保険会社を辞めてイベント業に乗り出しました。ちょうど電子メールが使える携帯電話が登場したくらいの時期で、PHSの無料配布のようなキャンペーン企画を始めたんです。そのときにふと思ったのが、「音の情報が得られないろう者にとって、メールの機能は便利かもしれない」ということでした。実際にPHSをろう者に渡してみると、ものすごく喜んでくれました。だって、遠く離れた家族や外出先ですぐに誰かと連絡が取れるなんて、画期的なことですよね。そこから本格的にろう難聴者にも使いやすい携帯電話端末をつくれないかと、バイブレータ機能や直送メール、国内外どこにいても使える文字送信機能など、彼らが使いやすい機能をメーカーに提案し標準搭載してもらった端末の販売を始めました。これが予想以上に反響があり、あっという間に全国に6,000人規模のユーザーができました。ところが、「福祉を食い物にしている」といった心ない声もあり、端末の販売はストップ。でも、全国にいるユーザーたちのために何かしたい・・・。そこで、ろう者に物を売るという形ではなく、企業や行政を巻き込むことで、ろう者の困りごとを解決できないかと考えたんです。これを機にそれまで続けていたMCの仕事も廃業し、1998年に有限会社プラスヴォイスを設立しました。35歳のときです。

「ありがとう」と言われる仕事がしたい。
動機はいつでもシンプルだった

――そこから代理電話サービスのようなシステムは、どのように事業化に結びついていったのでしょうか?

三浦 これもきっかけは、ある日の私の経験からでした。2000年頃のある夜、遠くに住むろう者の友人から「三浦、助けてくれ!」とメールで連絡があったんです。テレビ電話をつなげて手話で要件を聞くと、歯科技工士である彼のラボがガス漏れしているので、消防に電話をかけてほしいとのことでした。私は急いで119番通報し、駆け付けた消防と彼との対面でのやり取りを、遠く離れた仙台からテレビ電話で通訳したんです。この出来事が、代理電話サービスや遠隔手話通訳サービスのきっかけになっています。
2002年からは電話リレーサービスの事業を、総務省(NiCT)の助成金をいただきながら提供してきました。
※プラスヴォイス公式Webより:https://plusvoice.co.jp/company/award.php

 

情報から取り残される現実
災害現場から浮き彫りになる課題

――三浦さんはこれまでに、ろう者を対象にした被災地支援も多くされていますね。

三浦 プラスヴォイスとして最初に被災地支援を行ったのが、1999年に茨城県で起きた東海村JCO臨海事故です。当時は今のようにテレビの字幕がなかったので、ろう者は事故の情報を得られず、何が起こっているのかわからず出かけてしまうんです。だからこのエリアに住むユーザーのろう者100人くらいにFAXを一斉送信して、家から出ないよう呼びかけを行いました。これはニュースにも取り上げられましたが、25年前はまだそんな状況だったんですよ。
2004年の新潟県中越地震では、Microsoftと協力して情報提供のためのメーリングリストを立ち上げました。その後の東日本大震災や熊本地震、近年日本各地で起こった集中豪雨などの際には、遠隔手話通訳と電話リレーで支援を行いました。特に東日本大震災の直後には、岩手、宮城、福島の3県のろう者を対象に、代理電話サービスと遠隔手話通訳サービスを無料提供していたんです。その後ボランティアでの支援に行き詰まっていたときに、日本財団に支援事業を引き継いでいただきました。2019年には電話リレーサービスが公的インフラになり、長年の悲願が実現しました。

――災害の現場へも入られていますが、被災地でろう者を取り巻く状況というのは、実際どのような感じなのでしょうか?

三浦 昨年1月の能登半島地震の際には、翌日に現地に入りました。本来なら金沢市内から奥能登まで車で2時間くらいなのですが、道路が寸断されていたり道路状況が悪かったりと、12時間かかりましたね。特に珠洲市あたりは家屋の損壊もひどく、生き埋めになっているかもしれないと不安に思いながら、ろう者の家を1軒1軒回って探しました。避難所を周り大きな声で名前を呼んでも、彼らは聞こえません。また、見つけ出したろう者は誰ともコミュニケーションが取れず、状況が分からないまま不安そうにしていました。取り残されるろう者はまだまだいる。これは遠隔通訳を被災者に提供するどころの騒ぎじゃないと思って、県や情報センター、全日本ろうあ連盟などと連携して、1.5避難所(高齢者など配慮が必要な人たちを対象に一時的な受け入れ先となる避難所)にろう者を集める場所をつくってもらい、彼らを車で運びました。ただ結局家が潰れて自宅に帰ることができず、そこから2次避難所を探して移るところまでサポートしました。

東日本大震災時の宮城県南三陸町防災庁舎。
非難の呼びかけも、ろう者には聞こえない
2024年元旦に発生した能登半島地震では翌日に現地入り。
まだまだ課題が山積みであることを突きつけられる
金沢市から奥能登地区まで12時間を要した

――日本は地震の多い国です。今後も大きな災害が起こらないとは限らないので、そのあたりは課題ですね。

三浦 代理電話サービスや遠隔手話通訳サービスのようなコミュニケーション手段があることを、もっと広く知ってもらう必要があると思っています。そうすれば、例えば交通事故で電話リレーサービスや弊社の代理電話サービスを使って警察を呼んだり、病気になって救急車を呼んだりした場合でも、手話通訳を介して警察や救急隊員と手話で話すことができますよね。やはりろう者にとっては、手話でないと伝わらないこともあります。こうしたサービスを使う環境が当たり前になってくれば、これから起きうる震災や緊急時でも、彼らが情報から取り残され、コミュニケーションが取れずに孤立することが減るのではないでしょうか。
“きこえなくても、いつでもどこでもコミュニケーションが取れる”という現状をもっと知ってもらいたい。それこそが、今私たちがやっていくべきことだと思っています。

 

通訳をもっと気軽で日常的なものへ
当事者の固定観念を壊したい

――代理電話サービスや遠隔手話通訳サービスのようなコミュニケーション手段がまだ広く浸透していないのには、どんな理由があるのでしょうか。

三浦 多くの人がサービス(=コミュニケーション)のニーズに気づけていないことが大きな要因だと考えています。例えば銀行に行ったときに「ろう者の方とのコミュニケーションに困っていませんか?」と職員に尋ねると、「困っていません」って言うんです。なぜなら、筆談があるから。一方で、当事者であるろう者自身も同じなんです。要するに、「相手と深くコミュニケーションしなくても要件だけ伝わればいい」という感じになってしまっていて、日常的にある“本当のコミュニケーション”という枠から離れてしまっていることに気づけていません。本来は言語同士の会話が当然なのに、悪い意味で、お互い環境に慣れてしまっているように感じています。もちろん、「慣れているわけじゃない! 仕方なくやっているんだ」というろう者のサイレントマジョリティも多いと思いますが。
ただ、それに気づく人たちも当然いて、いざサービスを利用した際には「顔見知りの人と初めてしっかり話せた」「タクシーに乗ったときに運転手さんといろんな話ができて楽しかった」などの声も入ってきています。でも、やっぱりピンときていない人がまだまだ多い・・・。
2023年にスタートした「えんかく+」という個人向けのサービスは、自分のスマホからすぐにプラスヴォイスの手話通訳オペレーターに接続できるようになっています。トラブル時の緊急対応はもちろん、ちょっとした聴者との雑談やレストランでの注文など、幅広いシーンに対応しています。ろう者の中には、「手話通訳サービスを利用するのは本当に困ったときだけ」という固定観念があるのかもしれませんが、そんなことはありません。コミュニケーションの重要性にもっと気づいてくれる当事者が増え、こうしたサービスが日常的かつ気軽に使われる世の中に変わっていくといいですね。
外国語が話せなくてもスマホの機能を使ってお互いの言語でコミュニケーションができる時代です。にもかかわらず、ろう者とのコミュニケーションで行われてしまうのは筆談だったりしますよね。これは、言語のコミュニケーションではないです。“日本語”と“手話”。いつでもすぐにコミュニケーションできる方法があるのです。

個人がよりライトに遠隔手話通訳を利用できるサービスも。
“言語同士”の会話が基本となれるように

――そうなれば、手話通訳者の活躍の幅ももっと広がりますね。

三浦 はい、手話通訳者の平均年齢は60歳くらいで、特に地方などは通訳者自体の数も少なく、若い登録派遣者がほぼいないのが現状です。大きな災害時に、高齢の通訳者を現場に派遣するのは容易なことではありません。でも遠隔通訳なら、豪雪地帯や離島、当事者がどこにいようと通訳者が何歳だろうと、モニター越しに手話通訳ができる。そんな時代なんです。スキルを持っている人を、どんどん活かせるような環境にしていかないともったいない。さらに遠隔通訳なら、例えば医療や法律、車など、その状況に応じて専門性の高い通訳者を用意することができます。しかし、地方などは特に地元の通訳者への配慮から、遠隔通訳のような新しい風を吹き込むことに後ろ向きな部分があります。良き活用例としては、鳥取県では日中は地元の通訳者が役割を担い、時間外や休日は我々が遠隔通訳で対応しています。本当に考えるべきは、ろう者の困り事を解消して、暮らしを良くしていくことです。

――まだいろいろな面で課題も多いのですね。

三浦 やっぱり“出る杭は打たれる”みたいなところもあって、こちらとしては明確な意思を持ってやっていることでも、「パフォーマンスだ」「あのプラスヴォイスか・・・」と非難する人たちも少なからずいます。だから被災地支援に行くときはいつも覚悟を決めて行くのですが、最近はもう慣れてきました(苦笑)。でも我々は当たり前のことをやっているだけで、わかってくれる人はわかってくれますし、理解者のほうが多い。だからめげずに続けられています。それゆえに社員とともに力を合わせてここまでこられた。私たちの思いを理解してくれて、誇りを持ってサービスを導入してくださる企業や行政が多いのは、本当にうれしいことです。

穏やかな表情の奥には揺るぎない信念が感じられる

 

運命に導かれて?
デフ仲間と繋がるライフワーク

――三浦さんはフリーランスのカメラマンという顔も持ち、デフカメラマンなどの人材育成もされているそうですね?

三浦 そうなんです。デフカメラマンやデザイナーを育成し、写真撮影やWebコンテンツの制作を行っています。聴覚障害者就労支援事業として仙台のオフィスにメディア事業部を立ち上げ、2005年からスタートしました。主には宮城県や福島県・山形県・青森県などの高校野球連盟と契約し、デフカメラマンに高校野球の撮影をしてもらっています。最初は技術や理屈などわからないまま撮っていた部分もあるのですが、ストロボを預けて撮影させると向上心を持ってどんどん勉強するようになり、今ではとても良い写真を撮ります。ろう者はきこえない分視覚的な能力が高い。写真を撮る上で大きな長所ですよね。私自身カメラマン歴も長く、今もバイク雑誌などで撮影しているので、職業を聞かれるとつい「カメラマンです」と答えることの方が実は多いんです(笑)。

誇りを持って仕事に当たるデフカメラマンたちと。
三浦さんも一緒に現場入りし、手話で指示を出す

――写真も独学ですか?

三浦 独学です。写真にはちょっとした因縁がありまして。私は高校までずっと野球一筋で、プロ野球選手になりたくて夢中になり打ち込んでいました。高校1年のときに、父親が一眼レフカメラを持って野球をする私の様子を撮りに来たんです。父の年齢は先輩たちのお父さんよりもずっと年上でした。なおかつ、持病持ちだったのでいつも背中を丸めて歩いていて、その姿が体の弱いおじいちゃんのようで。多感な時期だったのもあり、どこか恥ずかしかったんですよね。私は先輩たちの手前もあって、父に「来ないで!」と言ってしまったんです。おそらくひどい言い方をしたと思います。それで父は3年間、私の写真を撮りに来なかった・・・はずでした。そんな父が大学受験の年の元旦に亡くなったのですが、遺品を整理すると、野球をする私の姿を木の陰から撮影した写真がたくさん出てきたんですよ。父は撮りに来てくれていた・・・。結局、野球は怪我をして高校で辞めてから一切やらなくなったのですが、その後、図らずも高校野球連盟から声がかかり、その写真を撮る仕事をしている。不思議なものですよね。父に導かれているような思いになります。

野球と写真。
亡き父が導いてくれた縁なのか・・・

――それは何か運命的なものを感じますね。バイク雑誌でも撮影されているということは、バイクもお好きなんですか?

三浦 野球ができなくなってからバイクに乗るようになったのですが、バイクはろうの友人たちとの大切なコミュニケーションになっています。写真と同じように、もはやライフワークですね。「サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー」という有名なツーリングイベントが毎年開催されていて、これにデフライダーの仲間たちと一緒にエントリーして参加しています。太平洋側の海岸から日の出とともにスタートして、日没までに日本海側の千里浜(石川県)にゴールするというもので、毎年5月末〜6月初旬にかけて行われます。今年はバイク41台で参加しました。
また、現在「LIM」という活動も行っています。LIMというのは「LIFE IS MIRACLE」の頭文字をとったもので、LIMのロゴが入ったTシャツやパーカーを着てデフライダー仲間と一緒に走っています。これらのアイテムは 、“奇跡のハーレー”のエピソードをもとにつくられているんです。東日本大震災による津波で、宮城県の山元町から流されたハーレーが、1年後にカナダの海岸で見つかりました。そのバイクの持ち主というのが、震災時に災害FM放送を立ち上げてくれた山元町の職員でした。そのラジオ放送を私たちが文字化して、ろう者に情報提供していたんです。それがわかったときは、またもや何か運命的なものを感じました。その職員が退職後に立ち上げたアパレルブランドがLIMです。震災を忘れずに伝えていきたいという思いから、LIMを通じてチャリティー活動を行っているんです。流されたハーレーはミルウォーキーのハーレーミュージアムに展示されていますが、私が撮影してきたその写真が、山元町の道の駅に展示されています。

今年の「サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー」。
デフライダーの友人たちと
”奇跡のハーレー”。
いろいろな因果が、つながる

――プライベートでもろう者の皆さんとのつながりが深いのですね。

三浦 どうしてなのか、私にはろう者の友達の方が多いんですよ。ひとまとめにするつもりはありませんが、彼らの多くは表現がとてもストレートで、仲の良さに関わらずはっきりと思いを伝えてくれます。いわゆる忖度のような言い回しもしないし、まっすぐな言葉のやり取りが気持ち良いんです。だからなのか、私のことを理解してくれる人が多いように思います。
プラスヴォイスの事業をやっていると私が彼らを助けているように見えるかもしれませんが、違うんです。私が日ごろ彼らに助けてもらっているから、そのお返しをしている。それだけなんですよ。

 

このチャンスに当事者自らが積極的にアピールを

――デフリンピックへの思いについても聞かせてください。今回東京で開催されると知ったときは、どのように感じましたか?

三浦 ビジネスチャンスだとよく言われるのですが、それよりもデフリンピックが地元開催されることへの単純なうれしさのほうが大きかったですね。東京2020オリンピック・パラリンピックのときもそうでしたが、生きている間にこんなに貴重な瞬間に立ち会える。ましてやデフリンピックなんて100周年の記念大会ですから。思わずガッツポーズでしたね。

――今大会で楽しみにしている競技や選手は?

三浦 あえて挙げるなら、陸上の男子100mでしょうか。今年の2月に「スタートランプと世界を繋ぐプロジェクト」の一環で、佐々木琢磨選手らと一緒にドミニカ共和国に、デフ陸上で使うスタートランプを寄贈してきました。ドミニカ共和国といえば、クリストファー・メレンシアーノ選手。佐々木選手は昨年台湾で行われた世界デフ陸上選手権で彼に負けているので、リベンジに燃えていると思うんです。「誰が金メダルを獲るんだろう!」と今からとてもワクワクしています。

――デフリンピックを通して知ってもらいたいことや、大会に期待するのはどんなことですか?

三浦 選手を含め海外からたくさんの人が訪れますので、電車の中で海外の方が手話を使っている場面を見かけるかもしれません。そうした光景を見て、手話が一つの言語だということを多くの方に知っていただきたいですね。ただ、開催地の東京だけが盛り上がってもいけないと思っています。地方のろう者も、デフリンピックを通じて積極的に自分たちの言語を知ってもらう機会にしてほしい。何より「デフ」という言葉を知らない人も、まだまだたくさんいます。ろう者やそれに関わる人たちが、何らかの形でデフリンピックに関わって周知していくことって、すごく大事なことだと思うんです。今はSNSをはじめいろいろな情報源があるので、それらの力も借りながら、日本中に影響を与えられたら素晴らしいですよね。

三浦社長とプラスヴォイス東京オフィスのスタッフ。
きこえる・きこえない関係なくともに働く大事な仲間

――ありがとうございます。最後に、会社としての今後の展望をお聞かせください。

三浦 通訳、写真、システム開発、コンサル、一人ひとりがプロフェッショナルとして誇りを持って働いている会社です。会社を立ち上げたときからスタッフたちは本当によくやってくれていますが、まだどこか頑張りが外に見えないままになってしまっているところがある。現在60人ほどの社員がいますが、彼らをはじめ、私たちを応援してくれているろう者の方々へよりよい環境をつくることが、私の役目だと思っています。私たちは売り手や買い手だけではなく、社会全体をよくする近江商人の「三方よし」の経営哲学を大切にしてきました。これからもそのマインドを忘れずにいたいですね。

三浦 宏之(みうら ひろゆき)/1963年 宮城県生まれ
株式会社プラスヴォイス代表取締役

ろう難聴者が直面するコミュニケーションバリアの解消を目指し、1998年に宮城県仙台市に有限会社プラスヴォイスを設立。以来、「代理電話サービス」や「遠隔手話通訳サービス」など、ICTを活用したコミュニケーションサービスの開発に力を注ぐ。これまで、茨城県東海村のJCO臨海事故や東日本大震災、能登半島地震など数々の災害現場へ赴き、ろう難聴者への情報提供支援や通信インフラ普及にも努めてきた。また、プロカメラマンとして就労支援にも力を入れ、デフカメラマンやクリエイターを育成することで、ろう難聴者の活躍の場を創造。現在本社である仙台オフィスのほか、東京と大阪、埼玉にも事務所を構える。東京2025デフリンピックを一つの契機に、手話によるコミュニケーションへの理解と周知を目指す。

IG:miura_hiroyuki_pv

《プラスヴォイス》
Web:https://plusvoice.co.jp/
X:@plusvoice_tw
IG:plusvoice_1998
YT:@plusvoice.1998

text by 開 洋美
photographs by 椋尾 詩

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