手話との出会い
ぼくの祖父母は、ろう者です。小さいころは、母の手話や筆談で話していたので、ぼく自身は、あまり手話を使うことがありませんでした。
そんなぼくが手話に夢中になったのは、大学の授業がきっかけです。亜細亜大学には、きこえない学生もいて、手話の授業がありました。授業を通して、きこえない友だちと手話で話すうちに、「もっと手話で話したい!」と思うようになりました。

手話は「人と人をつなぐ言葉」
手話は“福祉”のためだけのものではなく、「言語」です。手話で話すと、相手の目を見てしっかりと気持ちを伝えられます。
以前、子どもに手話を教えたとき、その子がけんかしていたお母さんに手話で「好きだよ」と伝えたそうです。声では言えないことも、手話なら伝えられることもある。手話って、そんなすてきな力を持った言葉なんです。
手話通訳士を目指して
大学を出たばかりのころ、すぐには手話通訳のしごとには進みませんでした。アパレルのお店でアルバイトをしていたとき、東京2020パラリンピックで手話通訳をするチャンスがあったんです。
それが、本気でこの道を目指そう!と思ったきっかけでした。
そのとき、大学の先生である橋本一郎先生が、たくさんのことを教えてくれて、今の道を歩き出すことができました。

「通訳」は人の魅力を伝えるしごと

ぼくが手話通訳のしごとでいちばん大切にしているのは、「その人の魅力をそのまま伝えること」です。
きこえない人たちは、明るくてユーモアのある人が多いんです。
だから通訳するときは、話し方や表情まで、その人らしく伝えるようにしています。
ぼくのしごとは、ただ言葉を訳すだけではありません。
「まるで本人が話しているように伝える」ことが、いちばんの目標です。
そして、きこえない人たちの世界を、きこえる人にも知ってもらうこと。
それが、ぼくがこのしごとを続けている理由なんです。
世界で感じた デフスポーツの力
2022年、ブラジルで開かれたデフリンピックを見に行きました。
会場では、観客の人たちが手をひらひら〜っと動かす拍手の手話をみんなでしていて、その光景がとてもすてきでした。
そして次は、東京2025デフリンピック。選手も観客も、みんなが楽しめる大会にしたいと思っています。
手話がわからなくても、笑顔や気持ちはちゃんと伝わります。ぜひ会場で、応援してくださいね!

みんなが同じように楽しめる世界へ

ぼくは、手話通訳が当たり前にある社会をつくりたいと思っています。
きこえない人も きこえる人も、同じように楽しめる世界にしたい。
そのために、手話をもっと身近に感じてもらえるような活動をしています。
みんなも、もし手話に出会ったら、少しでも覚えてみてください。
言葉がふえると、出会える人も、わかり合える気持ちも、ぐんと広がります。
手話は、みんなをつなぐ「もうひとつの言葉」。
その言葉を通して、世界はきっと もっとやさしくなれます。