はじめまして!わたしは卓球選手です
こんにちは!デフ卓球をしている亀澤理穂です。わたしは、デフリンピックという大会にこれまで4回出場し、銀メダルと銅メダルをあわせて8つもらいました。
卓球をはじめたのは、お父さんとお母さんがやっていたからです。兄といっしょに近くの体育館でやってみたら、とても楽しくて。必ず自分のサーブの順番があるし、一人じゃなくて相手と一緒に楽しめる。それがすごく素敵だなって感じて、「もっとやりたい!」と思うようになりました。
きこえない世界の卓球
デフ卓球では、試合中に補聴器をつけてはいけません。だから、音がまったくきこえない中で試合をします。ボールの音がないので、飛んでくるボールのスピードとラケットをうまく合わせることに、頭と体と、特に目を使います。練習から、目でボールをしっかり見て、体でリズムをおぼえるようにしています。
日ごろは補聴器をつけてきこえる状態で練習をして、まずは音の力も使って、体にリズムをしみこませていくんです。
あこがれが目標になった日
中学1年生のとき、デフ卓球の合宿に参加して、元チャンピオンの話をききました。そのとき、初めてデフリンピックという大会を知って、「わたしも出たい!」とあこがれたんです。そうしてがんばっていくうちに大会で良い結果を出せるようになって、「夢」がだんだん「目標」になっていきました。初めてデフリンピックに出られたのは、台北2009大会。女子団体では銀メダル、シングルスでは銅メダルをとることができて、「努力はうらぎらない」と感じました。
くやしさと再スタート
2013年のソフィア大会では、ダブルスの決勝でけがをしてしまい、金メダルはとれませんでした。すごくくやしかったです。そのあと、卓球を一度やめたんです。
でも、そのあと好きに遊んでいたら太ってしまい・・・。ダイエット目的で久しぶりに卓球をやってみたら、やっぱり楽しくって! 再開してみると、やっていくうちに「金メダルを目指したい」という想いがどんどん強くなったんです。それで、またがんばることに決めたんです。
お母さんとして、アスリートとして
今は、6歳になる娘がいます。休みの日は一緒にたくさんあそびます。試合を見に来ることもあるけれど、まだ「つまらない〜」って言われちゃいます(笑)。娘にはちがうスポーツをやってほしいけれど、もし卓球をやりたいって言ったら、全力で応援します!
家族といえば、父がむかしデフ卓球の日本代表の監督をしていて、一緒に大会で金メダルをとったこともあるんです。大切な思い出です。
みんなへのメッセージ
東京2025デフリンピックでは、最後まであきらめずに戦うわたしのすがたを見てほしいです。そして、今まで一つの大会で2つまでしかとれていないメダルを、3つ以上とること、そして今度こそ金メダルをとることが目標です!
デフスポーツには、がんばっている仲間がたくさんいます。大会を通して、デフリンピックのことをもっと知ってもらえたらうれしいです。ぜひ会場に来て、応援してください! いっしょに東京を盛り上げましょう!