バスケとの出会い 一瞬で心をつかまれた
わたしがバスケットボールを始めたのは、小学生のとき。友達に誘われてミニバスの練習に行って、初めてボールをさわってみたらとても楽しくて! 一瞬で「やってみたい!」と強く思ったんです。学校の外の友達と一緒にバスケをすることも特別な感じがして、すごくうれしかったです。

受け入れられなかった“デフ”との出会い

高校・大学と、強いチームに入って毎日バスケに打ちこんでいました。
大学のとき、トレーナーに「デフバスケに挑戦してみたら?」と言われたんです。
でもそのときのわたしは、耳がきこえにくいことをまだ自分の中で受け入れられず、
正直、くやしい気持ちになりました。「このチームにわたしはいらないってことなのかな?」と思ったこともあります。
だけど、大学を卒業してから入ったチームで、先輩のお子さんが重度難聴で生まれたんです。それまでの人生でろう者と接する機会がほとんどなかったわたしにとって、衝撃が大きかったですし・・・勇気をもらったような気がしました。
自分の聴力も落ちてきていて、『デフ』という現実と向き合う機会が増えていたこともあり、そこで初めて「デフバスケに挑戦してみたい」という気持ちが芽生えたんです。
音が無い世界でのコミュニケーション
デフバスケの一番むずかしいところは、やっぱりコミュニケーションです。
きこえる人のバスケなら、仲間同士で声をかけ合って動きを伝えるけど、デフバスケでは音が届かない。だから、足でドンドンと床をたたいたり、肩や手で合図をしたり、手話で合図を考えたり。試合中は、動きながらパッと伝えるしかないから、すごく工夫がいります。

挫折と悔しさが力になる

高校時代からメンバーに選ばれなかったり、出場時間が少なかったり、辛い思いをたくさんしました。でも、悔しさをバネにして「見返してやる!」と思って日々の練習をがんばっていたんです。日々応援してくれていた母からの、「大事なのは試合に出ることだけじゃなく、何をやったかどうかだよ」という言葉も本当に大きかったです。
そんな中、インターハイ出場を懸けた県予選で、最後に自分の持ち味を出せて勝てた試合がありました。強みを発揮して結果を出せたことが、すごく自信になりましたね。
日本代表として挑むデフリンピック
2024年にアジア大会で優勝し、MVPにも選ばれました。チームを引っ張る司令塔として、チームを盛り上げ、流れを引き寄せる活躍ができたと思います。
そして2025年、デフリンピックはわたしにとって初めての舞台です。これまでデフバスケに関わってきた方々の想いも胸に、すべて出し切って金メダルを勝ち獲りたいですね。

一緒に歴史的な瞬間を盛り上げましょう!

デフバスケでは、音ではなく“気持ち”でつながる瞬間がたくさんあります。
会場では、静けさの中にあるエネルギーを感じてほしいです。
もしわたしのプレーを見て「自分もやってみたい!」と思ってくれる人がいたら、
それがわたしにとって一番うれしいことです。東京2025デフリンピックで会えるのを楽しみにしています!