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陸上競技・廣中璃梨佳|止まりかけた1年間。乗り越えた先にあった再びの“攻めの走り”

2025.08.22

オリンピックや世界陸上の大舞台でこそ結果を出す。世界大会でも臆せず積極的に前に出るレーススタイルと、ラストの粘り強さ。それが廣中璃梨佳選手の代名詞です。しかし、昨年1年間は怪我により競技活動からの長期離脱を余儀なくされ、パリ2024オリンピックへの出場も叶わず。今季が復帰レースとなった彼女が見据えるのは、目前に迫る東京2025世界陸上。「あの時間があったからこそ、今の自分がある」と力強く語るその姿は、またひと回り強くなったようにも見えました。ここに至るまでの道のり、そして、2年ぶりに立つ世界大会への思いとは――。

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廣中 璃梨佳(ひろなか・りりか)
2000年長崎県生まれ。女子5000m 14分52秒84(日本歴代2位 ※2025年8月時点)

長崎県立長崎商業高校卒、2019年より日本郵政グループ所属。
中学生の頃に陸上競技を始め、全中や駅伝で活躍。高校時代も全国大会に出場し、特に3年時にはチームの全国高校駅伝出場に大きく貢献した。
東京2020オリンピックでは、自身初の世界大会で5000mの日本新記録樹立(当時)の9位。同10000mでは、日本選手として25年ぶりの7位入賞を果たす。その後はオレゴン2022世界陸上の10000mで日本歴代2位の記録で好走、翌年のブタペスト2023世界陸上10000mで7位入賞など、世界の舞台で目覚ましい活躍を見せる。
故障期間を含め、1年間のブランクを乗り越えて臨んだ2025年4月の日本選手権10000mで、2年ぶり4回目の優勝を果たし堂々の復活をアピールした。スタミナと安定性を併せ持ち、今後の長距離界でさらなる活躍が期待されるアスリートの一人。

 

私をギリギリまで待ってくれたのが・・・

――高校卒業後に大学で競技を続ける選手も多い中、実業団を選ばれたのはなぜですか?

大学で勉強と競技を両立するという考えはなく、進学ははじめから考えていなかったんです。でも当初は、実業団に行くことも考えていなくて・・・。私が通っていた長崎商業高校は就職率の高い高校で、周りの同級生と同じように、私も卒業したら就職するつもりでいました。高校時代はインターハイにも出場して駅伝でも成果を残せたので、自分の中では「やりきった」という思いも強く、競技には区切りをつけて働こうと思っていたんです。だから日本郵政に入社を決めたのもかなり遅いタイミングで、高校3年の秋ぐらいでした。

インターハイや駅伝で活躍し、
まさに完全燃焼した高校時代

――そうだったんですね。それまでの廣中選手の活躍ぶりを考えると、おそらくたくさんの実業団から勧誘もあったと思いますが・・・。

確かにいろいろな企業の方が声をかけてくださって、高校3年のインターハイが終わるまでには返事がほしいと言われていました。でも、私としては競技を続けること自体に迷いがあったので、高校の陸上部の先生を通じて返事を待ってもらっていたんです。その中で、本当にギリギリまで待ってくださった企業の一つが日本郵政でした。それが信頼につながったというか、そこまで私をほしいと思ってくださるなら、「まだ競技を続けてみようかな」という前向きな気持ちにさせてくれたんです。それでインターハイが終わってから日本郵政の寮を見に来て、先輩方の練習に参加させてもらった上で入社を決意しました。

――そもそも、廣中選手が陸上競技を始めたのはいつ頃だったんですか?

本格的に始めたのは中学生の頃ですね。小学生の頃は水泳をメインでやっていて、走るのは地域のロードレース大会に出るときくらいでした。

――長距離種目をメインで走るようになったのは?

中学生の頃は800mや1500mで全中に出ていたので、長距離に絞ったのは高校生になってからです。一応中学生の頃に、短距離やミニハードルなどひと通りやってみたんですが、短距離的な瞬発力はあまりないなと・・・(笑)。小学生の頃から持久走が好きだったこともあって、自分には長い距離の方が合っているという感覚はずっとありましたね。

競技を続けることを決断できたのは
日本郵政との出会いだった

――長距離の魅力はどんなところに感じますか?

やはり“距離で稼げる”ところでしょうか。短距離だとあっという間にレースが終了するので、最初の出遅れが致命傷になることも少なくないと思うんです。でも、長距離の場合は最初に少し出遅れたとしても、まだ挽回できる可能性があって、戦略次第では後半型でも勝負をかけて勝つことができる。走っていて、その駆け引きの面白さを強く感じます。

 

悔いなく攻める積極的なレースメイク

――廣中選手といえば、世界の舞台でも臆することなくスタートから先頭にたち、レースを引っ張る姿が印象的です。大舞台で自らレースをつくるというのは、誰しもできることではないと思いますが、レース中はどんな思いが巡っているのでしょうか。

あのレース展開でいちばん意識しているのは、ラスト1000mや400mに入ったときの外国人選手のスピードの切り替えに、いかに対応するかです。スパートのスプリント勝負になると、どうしても差を埋めきれず、まだ対応しきれません。じゃあどこで補うかというと、序盤なんです。最初に周りのペースに合わせて集団につくのではなく、自分から積極的に前に出る。最後は力を使い果たしてもどうなってもいいので、とにかくやるだけやって悔いなく1本のレースを終えたい―― その思いだけで走っています。

――最初からレースを引っ張ることに対して、怖さは感じないんですか?

普段はチームメンバーと一緒に、それこそメンバーの力を借りながら練習していますが、大きな大会の前は選抜合宿に入り、メンバーと離れて一人の練習になることが多くなります。その中で誰の力も借りずに、単独で負荷の高い練習をこなしていくことが自信につながっているんですよね。またそれが大きなメンタル強化にもなっていて、最初から前に出ることへの怖さは特に感じません。

持ち前のレース展開は、日々の練習による自信があってからこそ

――その中で5000mと10000mでは、レースをする上での戦略の立て方も違ってくるのでしょうか。

そうですね。10000mの場合は予選がなく1本勝負なので、もちろん記録も大事なんですが、入賞を視野に順位を狙うレースが多くなります。5000mでは予選がありますが最近ルールが変わってきていて、大会によっては着順のみで決勝進出が決まるケースが増えています。だから予選の段階から「これが決勝だ」という気持ちで上位を狙いに行っている感じですね。その中で順位が付いてきて、決勝進出につながるのが理想です。

――レースに挑む際の心の持ちようも変わってきそうですね。

走り方も気持ちも大きく変わってきます。10000mは5000m走ってもまだ半分なので、後半に向けてどうレースを運ぼうかと考えながら戦えるんです。でも5000mは早い段階から勝負をかけることが大事で、3000mの時点でトップ集団につけていないと、その後の展開が厳しくなってくる。スタミナに加えてスピードがより必要になるのが、5000mですね。私自身、現状で戦えているのは10000mですが、5000mのスピード勝負も好きなんです。後半にトップスピードまでギアを上げた以降もそれを維持できるスタミナとスピードが身につけば、5000mももっとおもしろい展開を見せられると思っています。

 

振り切れる“世界”と、重圧のかかる“国内”

――少し遡りますが、東京2020オリンピックの5000mで日本記録更新(当時)、10000mでは入賞、オレゴン2022世界陸上の10000mでは日本歴代2位の自己ベストを出されています。さらに、ブタペスト2023世界陸上の10000mでも入賞といったように、ビッグレースで確実に結果を出されている印象があります。ご自身ではどう捉えていますか?

私の場合、日本のレースだと意気込みすぎて、自分で自分にプレッシャーをかけすぎてしまうところがあるんですね。それで少し動きが硬くなったり、レース前にすごく緊張してしまったりして・・・。でも世界大会では、ある意味割り切ってしまえるというか。この世界の名だたる選手たちに比べれば、自分はまだまだ未熟。その中でどのくらい勝負できるのか、単純に試してみたいという気持ちになれるんです。だから世界の舞台では、あまり細かいことは考えず、思うがままにチャレンジできるんですよね。
あとはやっぱり、出るからには少しでも爪痕を残したいのと、「JAPAN」の文字を世界にアピールしたい!という思いもあって、だからこそ最初から前に出ているのもあります(笑)。

世界の名だたる選手たちとのレースでも、
積極的に前に出て戦うのが強み。
まさに「JAPAN」を印象付ける走り

――国内大会の方が重圧が大きいというのは、「勝たなきゃいけない」という思いからでしょうか。

うーん・・・そうですね。自分の中でそれを無意識に課してしまっているのかもしれません。優勝したい気持ちももちろんある中で、「最低でもいい順位で終わらなきゃ」という気持ちが強くなりすぎてしまいます。それでも毎回笑顔でスタートラインに立つことは心がけているんですが、やっぱりちょっと動きが硬いな・・・と感じることが多いですね。

――ここ最近でいちばんプレッシャーを感じた国内のレースはなんですか?

世界陸上への代表選考を兼ねたレースという意味で、やっぱり7月の日本選手権5000mですね。

――レース展開としては、思い描いていたものだったんでしょうか。

自分のペースで行くというのは決めていたので、最初に前に出たことはよかったと思っています。でも2000m以降の動きが、自分の理想と噛み合うものではなかったんですよね・・・。それでもなんとか粘って、ラストで切り替えようという気持ちを持ち続けて臨んではいました。ただ、後半に思い描いたような展開に持っていけなかったのは反省点ですね。

――2位という結果はどのように捉えていますか?

久々に(田中)希実先輩と一緒に走ることができたのは本当に嬉しかったです。でも2000m以降、自分のペースが落ちてしまって・・・。本当なら希実先輩と前に出たときに、もっと勝負したかったですね。その上でスパート合戦で競り合って負けたのであれば、悔しくても達成感を味わえたと思うんです。順位は2位でしたが、そこまで戦いきれなかったこと自体が悔しく、不完全燃焼のレースでした。

序盤にペースメーカーを追い抜き前へ飛び出す。
しかし、その後の展開に納得いく走りができず、
悔しさの残るレースとなった日本選手権。

 

走れなかった1年がくれたもの

――今季は、廣中選手にとって国内のトラックメジャーレースへの復帰を果たしました。長期間にわたり、怪我でレースから離脱されていましたが、その間はどのように過ごされていたんでしょうか。

2023年の年末頃に、膝を故障してしまい、階段の上り下りにも支障が出るくらいで。翌2024年の4月頃までは練習量を抑えて、治療とリハビリに専念する毎日でした。5月に入ってからはプールやサイクリング、ウォーキングなど、足に負荷をかけないメニューをこなしていたんですが、日本選手権やパリ2024オリンピックも厳しい状況で、メンタル的にもかなり落ち込みました。
それで、6月になってようやく少し走れるようになってきたと思ったら、今度は7月に仙骨を疲労骨折してしまって・・・。仙骨って歩くだけでも結構痛いんですよ(苦笑)。それでまたまた走ることができなくなり、サイクリングやプール、補強の繰り返しでした。そんな状況で8月のチームの夏合宿に合流したのですが、私はトレッドミルのウォーキングからスタート。次に5分のジョギング、後半になってやっと集団走に加わるまでに回復しました。結局、本格的にポイント練習(負荷の高い練習)ができるようになったのは10月からで、クイーンズ駅伝は実質1か月半くらいで仕上げた形でしたね。

膝の次は仙骨の疲労骨折。
回復に向け前を見つつも、とにかく不安と焦りの強かった2024年

――そんな状況だったとは・・・。よく今の状態まで戻ってこられましたね。

本当にそう思います。大きかったのは、昨年10月のポイント練習再開以降、継続して練習が積めていたことです。というのも私は冷え性があって、これまで2月、3月の冬季練習中にアキレス腱や足首を痛めることがとても多かったんです。だから冬季で怪我なく練習が積めたのは、実は今回が初めてだったりします。その走り込みの成果が、日本選手権10000mやトラックシーズンにいい形でつながってきたんだと思います。

――1年間レースから遠ざかるというのは、アスリートにとって相当な焦りがあると思います。怪我の期間中、廣中選手の支えになっていたものはありますか?

たしかに、毎日どこかを動かしていないと不安になるというか、焦りはかなりありましたね・・・。その中で支えてくれたのは、チームのスタッフや監督、そして長崎の母です。母とはとても仲がよくて、ほぼ毎日のように電話で話すんです。母もスポーツ経験者なので競技の話もしますが、それ以外の他愛もない雑談が、毎日の心のよりどころになっていました。一人だとつい悶々と考えてしまうので、一瞬でも陸上を忘れられる時間があることが、あの頃には逆によかったですね。まあ母とは性格が似すぎていて、喧嘩になることも多いんですけど(笑)。

毎日のように電話をするお母さん。
つらい時期をともに乗り越えてくれた

――大きな怪我を経験されたからこそ得られた思いや、気づきみたいなものはありましたか?

今は24歳なんですが、10代の頃も含めて、これまでは「イケイケゴーゴー」でとにかくがむしゃらに練習を積んできました。でも昨年の怪我以降、自分の体の声を聞きながら練習ができるようになったというか・・・。たとえば足の張りを感じたら、「これ以上やると危ないから、少し物足りないけど明日のメイン練習につなげよう!」と判断できるようになった。故障につながる前にセーブすることを意識できるようになりましたね。あの期間があったからこそ、体の状態と冷静に向き合えるようになったので、苦しかったですが得たものもとても大きかったです。

 

世界陸上、そしてその先に見据えるもの

――東京2025世界陸上が目前ですが、出場できた場合の目標を教えてください。

まだ10000mも5000mもわからない状況ではありますが(※取材日の7月下旬時点)、どちらも出場することを想定した練習をこれからの合宿では積んでいくつもりです。まずは故障することなく、ベストな状態でスタートラインに立つことが大前提。その上で、5000mでは決勝に進むことを大きな目標にしています。10000mではこれまで世界大会で2度の7位入賞を経験しているので、次は6位以上の順位で入賞したいですね!

東京2025世界陸上を見据える

――大会で楽しみにしていることはありますか?

東京2020オリンピックはコロナ禍で無観客のレースでした。今回は大勢の観客の方々の声援を浴びながら走れると思うと、それがほんと〜〜に楽しみです!!

――廣中選手が考える、東京2025世界陸上の先のロードマップみたいなものはありますか?

一度オリンピックを経験して、やっぱりあの雰囲気は数ある世界大会の中でも特別だと感じました。その舞台でまた走りたいという思いが強く、2028年のロサンゼルスオリンピックには出場したい。そのためにも、これからもしっかり結果を残していきたいです。ただ、今後も10000mや5000mで勝負し続けるかどうかは、監督とも相談しながら考えていくつもりです。

 

「泣いても挑む」 今につながる原点

――ここからは、廣中さんのプライベートなお話をぜひ聞かせてください。子供の頃はどんなお子さんだったんですか?

毎週公園に連れて行ってもらってボール遊びをしているような、すごく活発な子でした。それに、とにかく負けず嫌いでしたね。保育園のときに逆上がりの練習をしていたんですが、「できるまで帰らない!」と駄々をこねて親を困らせていました(笑)。

――負けず嫌いなところはきっと今につながる原点なんですね。

そうですね。小学生の頃は学童に通っていたんですが、一輪車が大好きで。母が迎えに来ると「今日できたところまで見せるから!」と言って披露していましたね。それでちょっと上手くいかないと泣いて、そしてできるまで何度もやるという・・・。そんな子供でした。

活発で、とにかく負けず嫌いだった幼少期

――逆上がりのエピソードといい、向上心の高いお子さんだったんですね。その頃の将来の夢は何だったんですか?

本当に小さな頃は、「アイス屋さんになりたい」とか言っていました(笑)。でも小学4年生の二分の一成人式のときの夢は、キャビンアテンダントでした。母が沖縄出身なので、夏休みや冬休みになるとよく沖縄の祖母の家に遊びに行っていたんです。母の仕事の都合で私だけ一人で先に行くこともあったのですが、そうするとキャビンアテンダントさんが付き添ってくれるんですよね。その優しくてカッコいい姿に憧れていました。

 

家にいたくない!

――休日はどんなふうに過ごすことが多いですか?

休みの日に部屋にいることが本当に少ないんです。というか、部屋にいたくない性格なんです。だから友達と買い物に行ったり温泉に行ったり、とにかく外に出てアクティブに過ごしています。たまに掃除をしようと思って一日中部屋にいると、周りから「え、璃梨佳さん外に出ないんですか!? メンタル大丈夫ですか・・・?」って心配されます(笑)。

――そこまで(笑)! そんなアクティブな廣中さんが最近ハマっていることは何ですか?

2年前くらいからヨガに通っていて。音楽を聴きながら体を動かすのが楽しくて、ずーっと続けていますね。あと、ベーグルが大好きなんです。最近、最寄り駅の近くにベーグル屋さんができたんですが、そこのベーグルがとってもおいしくて、並んで買うこともあります。チームにもベーグル好きがいるので、一緒に買いに行って近くの公園でピクニックするのが楽しいですね。

オフの日はとにかく外へ!

――料理などもされるんですか?

料理もしますよ。食べたいな〜と思ったもののレシピを調べて、自分でつくるのが得意です。寮では「料理番長」と呼ばれるくらい、よく料理しています!(笑)

――アクティブだし、なんでもされるんですね! 今やりたいことなどはありますか?

実家が長崎県の大村市というところなんですが、夏に帰省するといつも釣りをするんです。海に面した町で、陸からでもいろいろな魚が釣れるんですよ。でも最近はできていないので、時間ができたら地元でのんびり釣りがしたいですね〜。

自然豊かな地元での楽しみは魚釣り。
どこにいてもアクティブ

 

人見知りの「ひ」の字もない

――休日は友達と出かけることも多いと話されていましたが、特に仲の良い選手などはいますか?

最近だと、中距離選手の後藤夢さんと一緒にランチに行きました。マラソンの安藤友香さんとも仲良くさせてもらっています。周りからは「友達がすごく多いね」とよく言われますが、合宿先でほかのチームと一緒になったりすると、自分からどんどん話しかけに行くんですよね。それで住んでいるのが東京近辺だったりすると、「今度遊ぼうよ!」ってすぐに計画を立てちゃいます。

初対面でもすぐに友達に。
気さくな性格も廣中さんの魅力

――人見知りなどもないんですね?

はい、人見知りの「ひ」の字もないかもしれません(笑)。だから自然とどんどん交友関係が広がって、大会でみんなに会えるのがすごく楽しみなんです。ちなみに私は方向音痴なのですが、遠征先でランニング中に道に迷って、ホテルまで帰って来られないことがあるんです。そんなときも通りすがりの人に躊躇なく話しかけて、いろいろな人に道を教えてもらいながら帰ってきます(笑)。

――とても社交的なんですね! そんな廣中さんが尊敬する選手はいるんですか?

やっぱり希実先輩(田中希実選手)ですね。高校時代からインターハイで戦っていて、その頃から強い選手でした。今は一人で練習する中で壁にぶつかることも多いと思うんですが、海外を転戦して、その中で結果も出されています。以前、「自分の本来の走りを取り戻すために海外遠征をしている」と話されていたことがあって、大会のためではなく“自分のため”に挑戦している姿に、世界を見据える覚悟を感じました。たとえうまくいかないときでも常に自分の目標を見失わず、ブレないところを本当に尊敬しています。

――田中選手やコーチに以前お話を伺ったときも、国内で意識するのは廣中選手だとおっしゃっていました。日本選手権では何か話されたりしたんですか?

5000mの決勝が終わったあと、お礼を伝えてハグをしたんです。そのとき、「ここに来るまで大変だったと思うけど、璃梨佳ちゃんだから戻ってこられたんだよ」って言ってくれて・・・。その言葉が本当に嬉しかったですね。私自身も、またレースの舞台に戻ってこられてよかったと、心から思えた瞬間でした。

またともに、世界の舞台へ

――いろいろと深いお話をありがとうございました。最後に、世界陸上を楽しみにしている読者の方にメッセージをお願いします。

1年前の私は、「世界陸上を目指します」とはなかなか口にできない状況でした。それでも、ようやくここまで戻ってくることができました。2年ぶりに、世界の舞台で元気に走る廣中璃梨佳をお見せできるよう、残り1か月弱、しっかり準備をしてスタートラインに立ちます。
出場できた際には、日本代表として、そして一人のアスリートとして、世界の選手たちと堂々と勝負できるようベストを尽くします。魂を込めて走りますので、どうか熱い応援をお願いします!

Instagram:ririka_hironaka

《日本郵政グループ女子陸上部》
公式ウェブサイト
Instagram:@jp_athletics_team

text by 開 洋美
photographs by 椋尾 詩

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