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陸上競技・落合晃 | 日本新から始まった、かつてない挑戦の現在地

2025.07.22

2024年7月のインターハイ。男子800mで1分44秒80という日本新記録を樹立し大きな話題をさらったのは、当時滋賀学園高校3年生だった落合晃選手。その高校生離れした圧巻の走りは、それまでの記録を1秒近く更新し、全国に鮮烈なインパクトを与えました。
世界を目指す中距離ランナーが次なるステージに選んだのは、駅伝界の名将・大八木弘明総監督が率いるアスリートプロジェクト「Ggoat」。
前人未踏の挑戦に踏み出した18歳は今、何を感じ、どこを見据えているのか。駒澤大学進学の理由、そして世界に懸ける強い思いを語ってくれました。

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落合 晃(おちあい・こう)
2006年滋賀県生まれ。男子800m日本記録保持者(1分44秒80)

中学から本格的に陸上競技を始め、高校は駅伝の強豪・滋賀学園高校へ。高校3年時の2024年6月、日本選手権の男子800mで初優勝を果たすと、7月のインターハイでは1分44秒80の日本新記録を樹立。さらに8月のペルー・リマで行われたU 20世界陸上では銅メダルを獲得した。
2025年4月に駒澤大学に進学し、陸上競技部の大八木弘明総監督が昨年立ち上げたアスリートプロジェクト「Ggoat」に加入。迎えた日本学生個人選手権では1分45秒88の大会新記録、続く静岡国際では1分45秒16の学生新記録(自身の日本記録に次ぐ歴代2位)をマーク。
苦戦が続く日本男子中距離界において、世界と戦える新星として大きな期待が寄せられている。

 

走ることさえ休んだ夏 ――からの「まさか」の日本新

――落合選手といえば、昨年2024年7月にインターハイで、当時の日本記録(1分45秒75)を約1秒も更新する1分44秒80をマーク。鮮烈な日本新記録樹立が記憶に新しいです。あのレースはどんな状態で臨んでいたんですか?

正直、あのときは日本記録を更新できるとはまったく思っていませんでした。インターハイは2連覇がかかっていたので、それを達成したいという思いが強かったです。でも、記録についてはレースがそうさせたというか・・・。先頭に一人で出て序盤からハイペースの戦いになって。そこからは一層「絶対に負けられない」と気持ちが入ったんです。最後は留学生との戦いになって、あの競り合いがタイムを引き上げてくれました。すごく恵まれたレースでしたね。

運命を変えたインターハイ。
まさかの日本記録だった

――まさにレースが記録を引き出したんですね。一方で、直前の日本選手権では、パリ2024オリンピックの参加標準記録に届かず、とても悔しい思いをされたと思います。その悔しさをバネにインターハイへ・・・という流れではなかったのですね。

高校生の僕からしたら、日本選手権はすごく大きな舞台でした。試合前にもプレッシャーがありましたし、試合後には疲労が本当に大きくて。終わってから1〜2週間はまったく走らずに休んでいたほどで・・・。高校の陸上部の監督・大河先生からも、「無理せずインターハイは欠場してもいい」と言われていたくらいです。でも、自分の中ではやっぱり2連覇への想いがあって、出場したい意思を伝えました。そこから気持ちを切り替えて、2〜3週間で調整して試合に臨んだんです。そんな感じだったので、日本記録のことなんて本当に頭になかったですね。

――そんな中での快走だったのですね。思いがけない記録更新だったとはいえ、その前後で意識の変化はありましたか?

意識が劇的に変わったということはなかったんですが、やっぱりうれしかったです。2連覇を達成できて、日本記録まで更新できた。それまではオリンピック出場をずっと目標にしてきて、日本選手権に向けては完璧と言えるくらいの練習を積めていました。それだけに目標に届かなかったのは、めちゃくちゃ悔しかったです・・・。でも、その1ヵ月後に日本記録を更新できて、「今までやっていたことは間違ってなかったんだ」と確信できましたし、大きな自信につながりました。もう、心からうれしかったですね。

日本記録保持者の素顔は、
どこかあどけなさも残る18歳

 

長距離の名門に、ただひとりの中距離ランナー

――中学生から専門を800mに絞ったそうですが、そもそも選んだ理由は何だったのですか?

もともと短距離も長距離も、両方好きだったんです。小学校高学年のときにはトライアスロンをやっていたので、長距離をよく走っていました。中学生になってからは800mや1500mの中距離だけでなく、駅伝や4×100mリレーなどにも出ていて、持久力にもスプリントにも自信があったんです。
その中で全中を目指そうと決めたとき、顧問の先生に相談したら「持ち味のスプリント力と持久力をバランス良く生かせるのは800mではないか」という結論に至りました。特に中学生の頃はスプリント力が伸びていたので、「全国レベルを目指すなら800mだな」と自分でも思ったんです。そこから本格的に800mに絞るようになりました。

――短距離から駅伝まで走られていたんですね! 高校では駅伝の強豪校である滋賀学園に進学されました。その理由は?

中学校を卒業する時点では「駅伝も頑張りたい」と思っていたんです。だから、都大路(全国高校駅伝)を走りたい思いが強くて、滋賀学園を希望しました。滋賀学園には安原海晴さん(現・駒澤大3年)をはじめ、高校駅伝で活躍していた先輩方がたくさんいたので、「この人たちと一緒に練習したい」と思ったんです。念願叶って1年生で都大路の2区を走ることができましたし、駅伝の練習と並行して、800mでもたくさん大会に出ていました。

駅伝も走りたい思いで滋賀学園へ

――滋賀学園を卒業後、今年の4月に駒澤大学に入学されました。きっかけは何だったのでしょう?

高校3年生になって800mのタイムがどんどん伸びたことで、「世界を舞台に戦いたい」という思いが強くなったのが大きな理由です。そのとき、大河先生から「世界を目指すなら、大八木さんのもとで見てもらうのがいちばんだ」と言われて。
Ggoatで練習できるなんてすごく光栄なことでしたし、すでに世界大会に出ている方もいたので、自分も世界という高みを目指す環境に身を置いて、いろいろなことを学びたいと思ったんです。それで大河先生が大八木総監督に、「落合を育ててほしい」とお願いしてくださったんです。

――駒澤大学といえば、駅伝や長距離の強豪というイメージがあります。そこに800m専門として一人で入ることに不安はなかったのですか?

高校も駅伝の強豪で、長距離を専門にしている選手が多い中で、800mをメインでやっている選手は自分くらいだったんです。そんな環境で大河先生に指導してもらっていたので、駒澤の練習環境も、実はそれほど大きくは変わらなかったんですよ。だから、不安や戸惑いはまったくなかったです。

――もう駅伝への未練はないんですか(笑)?

いや、今でも興味はありますよ(笑)。でも、800mを専門にしながら箱根や全日本などの距離を走るのは、さすがに厳しいなぁと・・・。だから今は「出たい」よりも「応援したい」気持ちの方が強いですね。 今後は800mに加えて1500mでも世界で勝負したいと思っています。ただ、1500mはスタミナの比重が大きくなるので、まだまだ練習量も足りていないですし、現状は正直、勝負になるレベルには届いていません。この巡まれている環境の中で、しっかり鍛えていきたいです。

駅伝には「今でも興味はあります(笑)」

 

あの「男だろ!」の総監督とマンツーマンの日々

――駒澤大学に入学して3ヵ月ほど経ちましたが、Ggoatでの練習は高校時代と比べていかがですか?

まだ入ったばかりなので、練習量自体は高校のときとそこまで大きくは変わっていません。でも、ポイント練習の質は確実に上がっている実感があります。400mや600mの設定タイムが2〜3秒上がっていて、よりスピードに特化した内容になっているので、強度の違いを感じています。

――練習は、大八木総監督の指導のもと一人で行っていると聞きました。素人質問で恐縮ですが、一人での練習は寂しくないですか・・・?

アップは陸上部のみんなと一緒にやるんですが、それ以降は総監督が考えてくださったメニューに沿って、一人で練習するのが基本です。ペース走など長めの距離を走るときには、コーチの方に並走してもらうこともあります。高校時代からほぼ一人で練習していたので、正直それがつらいと感じたことはあまりないんです。
でもこの前、先輩が1500mの試合に出るというので、たまたま一緒にスピード練習をさせてもらったんですよ。そのとき・・・やっぱり一人のときよりも楽しみながら走れた気がして(笑)。「誰かと一緒に練習するのっていいな〜」という感覚は正直ありました。

練習の中でみんなと過ごす唯一の時間がウォームアップ

――練習中に総監督からの檄は飛んできますか。

はい、結構飛んできます(笑)。走っているときにタイムを読み上げてくださるんですが、そこで指示がバーッと飛ぶんですね。でも、速すぎて聞き取れないときもあって・・・。早く慣れないといけないですね!

――そうなんですね(笑)。総監督は落合選手から見てどんな方ですか?

入学前はもうテレビの中の存在でしかなくて、僕からすると芸能人のような方でした。あの「男だろ!」のいかついイメージがやっぱりあったので、最初は話すだけでも緊張して震えていました・・・。
でも、いざ接してみると本当に穏やかな優しい方で! 練習中も練習後も、逐一コミュニケーションを取って、体調や足の状態など常にコンディションに細かく気遣ってくださいます。もちろん厳しい面もありますが、それ以上に選手への愛情と、陸上への熱意にあふれた方です。
僕はやっと慣れてきたところなんですが、ほかのGgoatメンバーは普段からフランクに話をされていて、「すごいな〜」「僕もいつか話せるようになるのかな~」と思いながら見ています(笑)。

練習に来られない日でも、
大八木総監督とは密にやりとりする

――まだ3ヵ月足らずではありますが、Ggoatで印象的だった練習やエピソードはありますか?

やっぱり、3月に連れて行っていただいたアメリカのアルバカーキでの合宿ですね。

――まだ入学前でしたよね? Ggoatのそうそうたるメンバーといきなり海外合宿って、貴重な経験ですが緊張もされましたよね・・・。

めちゃくちゃ緊張しました(笑)。まだ入寮して1週間くらいのタイミングでしたが、総監督が「高地での反応を見たい」ということで、高校時代から「一緒に行こう」と言ってくれていたんです。
標高1900mくらいの場所での練習で、僕にとっては初めての高地でした。自分にはスタミナがまだまだ足りていないので、酸素が薄い中でのトレーニングはものすごく苦しくてしんどかったですね・・・。
練習中は一人で別メニューをこなしていたんですが、それ以外の時間はGgoatメンバーといろいろな話をして、少しずつ打ち解けられたのがとてもうれしかったです。本当に充実した3週間でした。

進学前から飛び込んだGgoatの世界

 

連戦を重ねる中での手応え

――大学進学以降、この数か月で大会記録や学生記録を更新されていますが、手応えはどのように感じていますか?

最初に金栗記念から始まって、日本学生個人選手権、静岡国際くらいまでは、自分なりに順調に走れていたと思います。特に5月3日の静岡国際の800mでは、1分45秒16(日本歴代2位)で走ることができたので、自信につながりました。

――その中で、5月末のアジア選手権の決勝は悔しいレースだったのでは?

そうですね。静岡国際までは入学して勢いのまま走れていたのですが、アジア選手権は「やらかしたな・・・」という結果に終わってしまって。大学生活が始まり2ヵ月くらい経って、授業や日々の生活、練習の疲労が、自分でも気づかない形で出てきてしまったのかもしれません。振り返れば、もっとできたことはあったし、悔しいレースでもあったんですが、「まあ仕方ないか」とも感じています。これも一つの経験として次に生かそうと、改めて気持ちを引き締めるきっかけになりました。

次への糧に

――切り替えは早い方ですか?

うーん・・・どうなんでしょう。落ち込むこともあるんですけど、そこまで引きずることなく切り替えられるタイプだと思います。たぶん(笑)。

――ちなみに、金栗記念はなぜ1500mで出られたんですか?

高校生の時点で、総監督から「金栗は1500mでいこう」と提案があったんです。800mの両サイドの種目(400mと1500m)をそれぞれ強くなることが大事だとおっしゃっていて、僕自身もその考えに納得していました。だから1500mにも積極的にチャレンジしていきたいという気持ちで、金栗記念では1500mに出場しました。

――800mの強化の一環だったんですね。

はい。やっぱり、世界陸上の参加標準記録である1分44秒50に少しでも近いタイムを出すことが、直近の目標です。でも正直、それを突破できるようにならないと、海外の選手たちと本気で勝負するのは難しいと思っています。

 

たった2周に詰まった“戦略と駆け引き”

――落合選手の活躍で、800mに注目する人も増えてきています。ズバリ、レースの見どころはどこでしょう?

最初のポジション取りも大事なんですけど、勝ち負けを左右する“本当の山場”は、やっぱりラストスパートですね。

――そのスパートって、どのタイミングで仕掛けるんですか?

それが難しいところなんですよ。レースにもよりますが、だいたいラスト100mか150mか・・・。それより早く200mくらいでスパートをかけると、失速してしまうリスクもあるんですよね。でもあえて200mからかけることによって、相手が疲れて離れていくパターンもある。本当に“駆け引き”なんですよ。

――ラストスパートにも、そんな駆け引きがあるんですね。

めちゃくちゃありますよ。スパートに自信のある選手は1周目をわざとスローペースで回って、最後の200mで一気に前に出るんです。トラック2周ですが、その中に戦略がぎゅっと詰まってる。そこが800mのいちばんおもしろいところだと思います。

――駆け引きしながら、周りの選手の動きを見て展開を判断するということですよね?

そうです。でも僕の場合、海外のレースだと、最初から「1周目はハイペースで」と決めて走ることが多いです。国内のレースだとラストスパートには自信があるんですけど、海外のスプリントに強い選手にはまだ勝てないことが多くて。

日本で一番、から、その先へ

――800mは選手同士の接触も多くて、日本選手は体格の面でどうしても不利な部分もあるかと思います。海外勢の存在感に圧倒されたりすることはありますか?

海外の選手は背も高くて体格もいいので、確かに圧倒される部分もあります。でも、そこはもうどうしようもないので。今から自分が大きくなるわけではないし、この体を最大限に生かして戦うしかない。体が大きい分、どこか劣っているところも必ずあるはずなんですよ。そこを見極めて、自分の強みをどうぶつけるか。そこが勝負だと思っています。

――落合選手の強みは、ズバリどこでしょう?

一つは、1周目をハイペースで入って先頭を引っ張っていけるところ。もう一つは、後半の200m〜150mでしっかり切り替えてラストの伸びを出せるところ。この二つは自信があります。まだまだ強化も必要ですが、ぜひそこを注目して見てもらえたらうれしいです。

――レース前は緊張する方ですか?

まったく緊張しないですね(笑)。というか、周りの選手を見ないで自分の世界に入り込んでます。頭の中で何度もレース展開をシミュレーションしながら、ずっと深呼吸しています。

――大八木総監督も「中距離も長距離も、ラストの切り替えにまだ海外選手と差がある」と話していました。その差を埋めるには、どういった練習を積んでいくことが必要でしょうか?

毎日のジョグやポイント練習が終わったあとに、さらに150mや200mを、ある程度のスピードで走ることが大事になってくると思います。僕はまだGgoatに入ったばかりでそこまでの余力がないのですが・・・。そういったプラスアルファの練習も余裕を持ってこなせるように、スタミナをつけていくのが直近の課題ですね。

 

東京からロスへ ──描く“未来図”

――世界陸上への代表権を獲得できたら、これから9月までの約2ヵ月間はどのように調整しながら過ごしていかれますか?

今のところ、日本選手権が終わったら約2週間後にユニバーシアードに出て、そのあと夏休みにスイスのサンモリッツで合宿する予定です。4月にもアルバカーキで高地トレーニングをして、その後のレースでいい感触をつかめました。サンモリッツでしっかり仕上げて、ベストな形で世界陸上に臨みたいですね。

――世界陸上に出場できた場合の目標はどこに置いていますか?

もちろん「出場するだけ」では終わりたくないです。ちゃんと“戦えるレース”にしたい。決勝で勝負したい思いはもちろんありますが、まずは準決勝に残れるような走りをしたいですね。1分44秒台前半から43秒台あたりを狙わないと厳しいと思うので、そこをひとつの基準にしています。

――この先のロードマップみたいなものはありますか?

現時点では、2028年のロサンゼルスオリンピック出場までを視野に入れています。今年は東京で世界陸上、来年は名古屋でアジア大会、再来年には北京でまた世界陸上。こうした主要な大会で一戦一戦しっかり結果を残して、ロサンゼルスではメダル争いに食い込めるような選手になりたいです。そのためにも、東京2025世界陸上では少しでも爪痕を残したいですね。

――憧れの選手や目標にしている選手がいれば教えてください。

やっぱり800mのレジェンドといえば、世界記録保持者のデイヴィッド・レクタ・ルディシャ選手(ケニア)ですよね。あの走りはやっぱり魅了されるというか・・・。今のトップ選手でいえばマルコ・アロップ選手(カナダ)やエマニュエル・ワニョンイ選手(ケニア)なので、彼らに少しでも近づける走りができるようになりたいです。
あとは1500mの選手ですが、ジョシュ・カー選手(イギリス)も尊敬していて。実はこの前のアルバカーキ合宿で会えたんですよ! 思わず「本物だ…!」って心の中で叫びました(笑)。世界の舞台でメダルを獲る選手の空気感って、やっぱり違いましたね。僕もああいう存在感のある選手になりたいです。

 

「毎日がパニック(笑)」 習い事まみれの小学生時代

――ここからは、落合さんのプライベートな部分についてもお聞きできればと思います。小さい頃はどんなお子さんでしたか?

地元は自然豊かな滋賀県の高島市で、いつも山や川を走り回っていたような子供でした。習い事もたくさんやっていて、保育園の頃には体操を始めて、小学校に入る前には水泳も始めました。その水泳教室のコーチがトライアスロンを始めたのがきっかけで、僕も挑戦するようになったんです。ほかにもスキーや習字も習っていて、小学生の頃は習い事だけで毎日がパンパン。頭の中がパニックでしたね(笑)。

ひたすらアクティブな小学生時代

――大忙しの小学生だったんですね! ご自身がやりたかったんですか?

いえ、水泳は完全に両親のゴリ押しでした(笑)。習字は兄の影響で、スキーは父の影響。体操は・・・流れで始めたような気がします。多すぎてあんまり覚えてないです(笑)。

――多彩な印象ですが、周りからはどんな人だと言われますか?

今回、陸上部の同級生に聞いてみたら、「メリハリがしっかりしてる」とか「かわいい」って言われました(笑)。自分ではまったくメリハリを意識しているわけではないんですけど、「トラックに入ると目つきが変わる」ってよく言われます。「かわいい」に関しては・・・うーん、自分ではよくわかんないですね(笑)。

――(笑)。ご自身の性格をあえて言語化すると?

「粘り強い」ですかね。自分が決めたことは必ずやり遂げたいタイプなんです。目標を達成するまで、とことん貪欲に取り組む性格ですね。

――陸上以外で、最近ハマっているものがあれば教えてください。

うーん・・・僕、ハマっているものとかがあんまりなくて。それこそ東京で何か見つけられたらいいなと思っているんです。強いて言えばサウナやお風呂が好きなので、休みの日は近くの温泉に行ったりしています。今のところ、それがいちばんの癒しですね。

 

大学1年生。いま切実にほしいのは・・・

――仲の良い選手はどなたですか?

Ggoatメンバーの佐藤圭汰さんです。Ggoatの中でも年齢がいちばん近いというのもありますが、とにかくよく話を聞いてくださるんです。頼れるお兄さん的な存在ですね。

――佐藤選手の好きなところを3つ教えてください!

うーん、そうですね・・・(笑)。
まず、とにかく優しくて面倒見がいいところです。圭汰さんとは地元も同じ関西なんですが、僕がこっちに来たときからすごく気にかけてくださって。アルバカーキでも「練習どうだった?」「体調大丈夫?」っていつも声をかけてくれたんです。
そして走りのフォームがすごくダイナミックなところ。全身を大きく使って、ダイナミックにぐんぐん前に進む感じがかっこよくて。自分も圭汰さんのような走りができたらと憧れます。
あとは、競技への向き合い方です。サプリメントを欠かさず飲んでいたり、日々の生活の中でも常に競技を最優先にされています。その姿勢が本当に尊敬できます。

“兄貴”のような存在の佐藤圭汰選手

――頼れる先輩ですね。大学1年生ということで、授業と競技の両立は大変じゃないですか?

・・・めちゃくちゃ大変です。というか、今ほんとにやばいです(苦笑)。経済学部なんですが、授業を聞いていてもたまに「何言ってんねん・・・」ってなるときがあって、ついていけない瞬間があるんですよ。

――Ggoatの先輩方は3年で単位を取り終えて海外合宿などに参加されているそうですが、落合さんもそれを目指すんですよね?

はい、ちょうど4年生のときにロサンゼルスオリンピックがあるので、それまでに単位を取りきって、競技に専念したいなと思ってるんですけど・・・正直、それが今いちばんのプレッシャーです(苦笑)。
先輩たちには「そういうときは友達に頼るんだよ!」とアドバイスをいただくんですが、まだ同じ学部にそんなに親しい友達がいなくて・・・。

――人見知りするタイプですか?

最初はちょっと緊張しちゃうんですよ。自分からあまりガツガツいけないタイプなので、どうしても構えちゃうんですよね。だから・・・ここでひとつお願いしてもいいですか?

――もちろんです!

駒澤大学の経済学部1年生の皆さん!
もしこれを見ていたら・・・ぜひ僕と友達になってください! 一緒に単位を取りましょう! よろしくお願いします!!

――たくさん友達ができることを祈っています(笑)。最後に、世界陸上を楽しみにしている読者の方にメッセージをお願いします。

東京開催ということで、日本中の方々が注目してくださる大会になると思います。出場することができたら、いつも応援してくださる皆さんや支えてくださっている方々への感謝を胸に、観ている人に勇気を与えられる走りをしたいです。熱い応援、よろしくお願いします! あと友達になってくれる方、お待ちしております!(笑)

Instagram:@ochiaikou

〈Ggoat〉
Web:https://g-goat.com/
X:@Ggoatpt
IG:ggoat.pt

text by 開 洋美
photographs by 椋尾 詩

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