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ATHLETE
選手を知ろう

陸上競技・寺田明日香|人生最高の濃密な時間に。今、誇れる“最終章”を刻む

2025.06.27

「本当に辞めるの?」――。35歳になる女子100mハードルの寺田明日香選手にはそんな声が寄せられています。今年4月に競技の第一線から退くことを表明したにも関わらず、6月の布勢スプリント(12秒85で優勝)、台湾オープン(13秒04で2位)と立て続けに好成績を残したからです。
それでも彼女の決意は揺るがない。「限られた時間だからこそ、濃密に過ごしていきたい」。一度は陸上を離れ、結婚・進学・出産、ラグビー挑戦を経て2019年に復帰。同年には当時の日本記録(12秒97)を樹立し、東京2020オリンピックにも出場しました。
そんな波乱万丈の競技人生を送ってきた寺田選手に、最後の挑戦となる東京2025世界陸上へ、今だからこその想いを伺いました。

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寺田 明日香(てらだ・あすか)
1990年北海道生まれ。女子100mH元日本記録保持者(12秒86|日本歴代4位 ※2025年5月時点)

小学校で陸上を始め、高校では100mハードルでインターハイ3連覇を達成。2008年、社会人1年目には日本選手権で同種目史上最年少優勝を果たし、以降3連覇。2009年ベルリン世界陸上出場、アジア選手権銀メダル。
相次ぐケガや摂食障害で2013年に引退後、結婚・進学・出産を経て2016年に7人制ラグビーで現役復帰。2019年に陸上競技へ戻り、同年12秒97の日本新記録を樹立。東京2020オリンピックでは日本人として21年ぶりに準決勝に進出。2023年には自己ベストを更新し、再び世界陸上に出場した。
現在は、競技と並行して株式会社Brighter Hurdler、一般社団法人A-STARTの代表を務め、現役続行の傍ら後進の育成にも取り組んでいる。

 

布勢で見えた手応え もう一段階進むための新たな指標

――6月の台湾オープンでは13秒04で2位に入りました。タイムや結果についてご自身ではどのように評価されていますか?

タイムに関してはそんなに良いとは思っていません。でも、予選で過去に経験したことのないようなスコールに見舞われて、まるでシャワーを浴びたような状態で走ることになってしまったんですね(苦笑)。それもあってこのレースは「良い感触をつかめれば」という思いで走りました。
今シーズンはずっと、スタートから3台目までの前半に課題があって、スピードにうまく乗れず「ある程度のところで収まるけど、攻めきれない」レースが続いていました。でも、その前週の布勢スプリントで、ようやく光が見えたというか。少し「これだ」という感触がつかめたんです。だからこそ、台湾ではその感触を再現したいという思いで決勝を走りました。前半は思い描いていた展開で走れましたが、中盤から後半にかけて、フォームの歪みが出てきてしまった・・・。まだ精度が整っていない、ここから詰めるべき要素がまだあるなと実感しました。

――布勢スプリントでは12秒85(追い風参考)で優勝されています。レース後には「いろいろ見えたことがあった」とおっしゃっていましたね。

はい、本当に気づきのあったレースでした。今まで自分が走っていたリズムでは、目指しているタイムには届かない。それが布勢スプリントではっきり分かったんです。
「(ハードルごとの)ここの区間タイムをこの数値にできれば、こういう展開にできる」というのがすごく明確になりました。そこに向けてリズムを再構築することで、何か所かで理想的な区間タイムを出せる。自分の中に新しい指標ができた感覚がありました。

――日本選手権や世界陸上に向けて改善すべき点はどう考えていますか?

まずはスプリントそのものを洗練させて、質をもっと高めていくこと。それが第一です。でも、そのスプリントが良くなってきたからこそ、ハードリングがうまく噛み合わなくなっている部分もあるんですよね。そこを合わせていくことが大きなポイントです。
前半は良くなってきているので、中盤や後半に歪みが出ないように精度を上げていくこと。崩れずに最後まで走り切るために、一つひとつの精度を上げていく。今はその作業の真っ只中です。でも、それができれば、きっと自分の中でもう一段階、壁を超えられると思っています。

スプリントとハードリングの精度を上げていくことが
迫る日本選手権に向けての課題

 

別れじゃなく、感謝を伝えるラストランへ

――4月に今季限りで競技の第一線から退くことを表明されました。その後、ご自身や周囲に何か変化はありましたか?

自分自身は特に変わっていないんですが、ニュースを見た周りの方々がたくさん声をかけてくれました。布勢スプリントでは優勝、台湾オープンも2位だったので、「本当に辞めるの?」という声も最近はいただきます。ありがたい限りです。ただ、自分の中では今年で日本代表を目指すのは終わりと決めています。だからこそ、この最後の限られた時間を、より濃密に過ごしていきたいと思っています。

――来年は地方の大会で学生やマスターズの皆さんとともに走りたいということですが、そのような思いを持ったのはいつごろからですか?

2019年に陸上競技に復帰してから、ずーっと考えていました。最初に陸上選手を辞めたときにできなかったことや後悔したことがあって、それを取り戻したいんです。そのときはフェードアウトするような形で辞めてしまい、お世話になった先生方や皆さんに何も恩返しができませんでした。だからこそ、まずはそうした方々へ“挨拶回り”をしたいというのが一つ。そしてその場で、次世代の選手たちにも刺激を与えたいなと。日本代表を目指していると、どうしてもグランプリレースで決まったところにしか行けないんですね。私は北海道出身ですが、地元で走る機会も全然なかった。しっかりと走れるうちに、昔からの友達や両親、先生方に、自分の走りをちゃんと見てもらいたいなと思っています。

今季限りで競技の第一線から退くことを表明。
来年は挨拶回りの地方行脚にしたい

 

走り終えた後は「やりたい」と「必要とされる」こと

――どれくらいの時間をかけて地方の大会を回ろうと考えていますか?

来年1年くらいかなと思っています。

――その後はもう走らないと?

体の状態もありますし、自分にどれだけのニーズがあるかも正直分からないので(苦笑)。体が動いて同じクオリティが保てればまだいいんです。単に走る姿ではなく、「今の自分の走りのクオリティ」を見てもらいたい。それこそが、一緒に走る選手たちにとって一番の刺激になるはずだと思うんです。

――今後のビジョンはありますか?

陸上に関わらない道も含め、もっと広い視野で考えています。自分が「やりたい」と思うこと、人から「必要とされる」こと、そのバランスを見極めながら進んでいきたいですね。だから今は、今まで行ってきた陸上教室や講演活動、メディアでの出演の他、コーチの資格取得やナショナルコーチへの申し込み、法人での啓発活動、さらには会社員として働くことまで、いろいろな準備を並行して進めています。時間に縛られた生活がどれだけできるかはちょっと不安もありますけど・・・(笑)。

今後も陸上に関わっていくかはまだ分からない。
詰んできたキャリアが、選択肢を増やしてくれている

 

「陸上がすべて」だった私が、もう一度走り出せた理由

――引退、出産、ラグビーへの挑戦、陸上復帰とこれまで多くの選択をされてきました。人生の中で一番の転機となった出来事は何でしょうか?

けっこう盛りだくさんですからね(笑)。やはり陸上を最初に辞めたときと、もう一度陸上に戻ろうと思ったときの二つが大きな転機でした。最初に辞めたのは23歳のとき。「陸上選手じゃない自分には価値がない」と思っていました。勝てなければ、記録が出なければ意味がない。勝つのが当たり前という感覚の中で、勝てなくなったときには競技をやっている意味も分からなくなってしまって。そのころはコーチの故・中村宏之先生との関係もうまくいっていなくて、「結果を出さなければ人から見放されるんだな」と思い込んでいました。とにかく、自分に自信が持てなかったんです。
ただ、競技を辞めたことで企業で働かせていただいたり、大学に進学したりと、新しい出会いがたくさんありました。そんな中で、陸上選手でなくても「寺田明日香」を認めてくださる方々と出会えたことは、私にとって本当に大きかったです。「陸上がなくても、私は誰かの役に立てる」と思えるようになりました。
そして娘が生まれて、子育てもスタートしました。最初は分からないことだらけで、不安もあったんですけど、いろいろな方々が助けてくださった。競技を辞めるという決断、そして辞めてからの一歩を踏み出せた自分の勇気、そして支えてくれた多くの方々との出会いは、私の人生を大きく変えてくれたと思っています。

これまで迎えた数多くの転機

――そうした勇気が陸上復帰にも繋がったのかもしれないですね。

そう思います。実は、何かを変える、自分の状況を打破する一歩を踏み出す勇気は、最初に陸上を辞めたときが一番必要だったんです。あのときの決断が、人生で一番勇気が必要だった気がします。それを経験していたから、ラグビーを始めるときや、陸上に復帰するときの方が少しライトだったかもしれません(笑)。

――競技に復帰した後は、日本記録を更新し、東京2020オリンピックにも出場しました。年齢を重ねながらも進化を続けられた要因はどこにあると思いますか?

まずは、純粋に「走ることが楽しい」と思えるようになったことですね。勝ち負けはもちろん大事ですけど、それだけじゃない。自分が目標に向かう中で、たくさんの人が応援してくれたり、協力してくれたりしていて。その想いも一緒に乗せて走っている――そう実感できるようになったから、結果だけに縛られず、プロセスそのものも楽しめるようになったと思います。それは1回目の頃にはなかった、全く違うモチベーションでした。
あとは、やっぱり家族の存在です。何があっても味方でいてくれて、背中を押してくれる。結果が出なくても、「ママはママ」「妻は妻」という揺るがない場所がある。それだけで、どれだけ救われたか分かりません。いつでも帰れる場所があると心の底から思えることが、競技を続けるうえで本当に支えになっていました。

復帰後は日本記録も更新し東京2020オリンピックにも出場。
想像を超える進化を見せてくれた

 

世界陸上で追い求める“最高の走り”

――世界陸上にはこれまで3度出場されています。ご自身にとってどのような舞台でしたか?

やはり、特別な場所です。私はダイヤモンドリーグやグランドスラムに出場できる位置にはいなかったので、世界陸上やオリンピックに出ることが、世界のトップ選手たちと同じトラックで思い切り走れる、数少ない機会でした。彼らがどんなウォーミングアップをしていて、どんなことに気を配ってレースに臨んでいるのか――それを目の前で感じることができる、かけがえのない舞台でしたね。
中でも印象に残っているのは、初めて出場した2009年のベルリン大会です。あのときはウサイン・ボルト選手が9秒58の世界記録を出したんですよね。あんな満員のスタジアムを見たのは、あのときが初めてでした。ボルト選手がスタートラインに立つと、周囲は一気に静まり返り、スタートの合図とともに地響きのような歓声が響き渡った。そしてゴールでは余裕の表情で横を向きながらも、世界新記録・・・。あの瞬間、“人類の進化”を目の当たりにしたような気がしました。それくらい、世界陸上は私にとって衝撃と感動の連続でした。

過去3度出場した世界陸上。
初出場したベルリン2009大会の衝撃は忘れない

――東京2025世界陸上に出場できたとき、どこに目標を置きますか?

過去3大会よりも上を目指したいですし、東京2020オリンピックは準決勝の組6位で敗退してしまったので、それよりも前で走りたい。今の世界のレベルは本当に高くなっていて、私が競技に復帰した2019年は、12秒6を出せれば決勝に行けたんですけど、今は12秒3~4台が当たり前。なかなか難しいとは思うんですけど、それでも“最高の走り”をとことん追い求めたいと思っています。
東京2020オリンピックでは、家族やお世話になっている皆さんに、現地で走る姿を見てもらうことが叶いませんでした。だからこそ東京2025世界陸上では、国立競技場でその姿を見せたい。そこが今の自分にとって、一つの大きな目標になっています。

――東京2025世界陸上で楽しみにしていることや期待していることはありますか?

やっぱりまずは・・・国立競技場が満員になってほしい(笑)。ラグビーやサッカーだとあっという間に埋まるのに、陸上ではなかなかそうはいかないのが現実です。だからこそ、絶対埋まってほしい。満員の国立競技場で走るという経験を、選手も、観客の皆さんにも全員が体感してほしいです。
あとは、女子やり投の北口榛花選手や、男子110mハードルの2人(泉谷駿介選手・村竹ラシッド選手)がメダルを取るかもしれないので、そこは注目ですよね。世界のトップ選手の人生を懸けた走りを日本で見られるなんて、そうそうあることではないので、ぜひ多くの方にその魅力を感じてもらいたいです。
競技だけでなく、イベントや体験企画などを通して「陸上ってこんなに面白いんだ」と思ってもらえる機会が、東京2025世界陸上にはたくさんあるはず。私自身も、そんな空気を一緒に盛り上げていけたら嬉しいです。

 

意外な“職人肌”な一面も?

――ここからは寺田さんのプライベートについてお伺いさせてください。最近ハマっていることはありますか?

ずっとハマっているのはカリカリ梅です。高校生のころから大好きで、今でもよく食べています。あと、娘がリカちゃん人形に夢中なので、暇なときにミシンでリカちゃん人形の洋服をつくったりしてます!

――ミシンで・・・! すごいですね。お裁縫は昔から得意だったんですか?

けっこう好きなんです。娘の学校で使う袋とかも普通につくりますよ。昔からミシンに触れていて、夏休みの課題とかでスカートや手提げ袋をつくったりしていましたね。

――細かい手作業は得意なんですか?

そうですね、ハマれば何時間でもやれちゃうタイプなんですよ。ただ、同じ作業の繰り返しとか、変化がないものは苦手で(笑)。難しいことや工夫して乗り越えるものだと、むしろやりたくなるんですよね。どうしてもアスリート気質があるので、「簡単にできること」は物足りなくてつまらない(笑)。できないことに挑戦したくなっちゃう。

自作のリカちゃん人形のお洋服。
豪快さと繊細さを併せ持つ・・・!

――今、挑戦したいことは何かありますか?

英語をしっかり勉強したいです。特にTOEICの点数を自分でどこまで上げられるかは、一度ちゃんとやってみたい。今まで海外に行ったときは、ある程度使えるフレーズがあるので、その使い回しで喋っていました。それは全く苦じゃないんですが、新しいことを喋ろうと思うと、やっぱりきちんと頭に入っていないと難しいんですよね。その新しいパターンが欲しくなってきていて。もっと喋れると、さらに深いことも話せるんだろうなと思うんです。

――もともと勉強や学ぶことは好きなんですか?

ハマれば本当に集中してやりますね。でもハマらなければ無理です。まったく頭に入ってこない(笑)。例えば、私は日本史の知識が皆無なんですけど、夫は日本史が好きでよく話してくるんです。でも、何回聞いても「へー」で終わっちゃって(笑)。

――興味を持てるかどうかがポイントなんですね。

そうなんです。でも、一度「面白い」と感じたら、ずっとできる。最近だと、娘が塾で習ってきた算数の問題を持ってくるんですけど、自分が学生時代に触れてこなかったような問題があって。頭がカチコチになった大人の脳みそをぐにゃぐにゃにしないと解けない感じが面白くて! 簡単にできないから夢中になっちゃう。娘の方が飽きてきて「まだやってんの?」って呆れてるんですけど、私は完全に理解して解けないと気が済まないから、解けるまでやり続けちゃうんです(笑)。

今、挑戦したいのは英語。
「もっと深いこと」を話せるように

 

「ママは教えない」――娘と陸上をめぐる距離感

――娘さんも陸上を始めたんですよね。寺田さんも教えることはあるんですか?

できるだけ教えないようにしています。私が教えると喧嘩になるので(笑)。布勢スプリントに出ていたときに、ちょうど娘も試合で、夫がリレーの様子を動画で送ってくれたんですね。それで「どうだった?」と娘に聞かれて、つい「何でそんなに回転数を落として走ってるの?」って言っちゃって(苦笑)。
その瞬間にハッとして。本当は技術的なことを言わないって決めていたのに、つい言ってしまって。「ごめん、言っちゃったね」と謝ったんですけど、娘は「別にいいよ」って。娘の方が「ママが教えてくれた方が手っ取り早いじゃん」って言ってくれるくらいで、本当は教えてほしいみたいなんです・・・。でも私はどうしても娘を客観視するのが難しいので、「ママは教えないです」と言ってます(笑)。

――娘さんも教えてほしいという気持ちはあるんですね。

そうなんですよね。でもやっぱり、親子だと距離が近すぎて難しいなと思うことが多いです。例えば田中希実選手はお父様がコーチをやられていますが、希実選手の覚悟はやっぱりすごい。お父様にいくら言われても「私は世界のトップに行くんだ」という思いがあるからこそ、その関係性が成立しているんだと思います。
でも、その覚悟や思いが曖昧だと、ただ母親に怒られるという話になっちゃう。「他の子より何でできないんだろう」とか、どうしても比べてしまうし、私自身も「こう考えて体を動かしている」という感覚が強く言葉にするんですけど、うまくできないときや伝えられないときに「何でできないの?」となってしまう。他の子なら「できないよね。じゃあ一つずつやっていこうか」と言えると思うんですけどね。だからこそ、今は少し距離をとって見守るようにしています。

娘さんも陸上を始めたが、
あえて自分では教えないようにしている

 

推しの彼は「不労所得者になりたい」

――ご自身以外でおすすめの陸上選手を紹介するとしたらどなたですか?

キャラクターが面白いのは泉谷駿介選手(110mハードル/走幅跳)ですね。言語化はあまり得意じゃないと思うんですけど、陸上偏差値はめちゃくちゃ高い。ふと喋ったことがすごく的を射ているんです。陸上に関してはすごいんですけど、他は全然なのでそのギャップがたまらない(笑)。その落差が魅力的なんです。私はああいうタイプ、大好きです。
「陸上選手じゃなかったら何になりたいの?」と聞いたら、「不労所得者っすね」って即答していて・・・。最高ですよね(笑)。他の選手はだいたい「いつか辞めるから、やっぱり何かやっとかなきゃいけないですよね」とか言うんです。でも泉谷選手は「不労所得者」。振り切ってますよね。

「不労所得者」と即答の泉谷選手(右から2番目)。
他選手に同じ質問を投げかけると、登場率が異常に高い

――他にもいらっしゃいますか?

私の近くで言うと、同じ練習場に豊田兼選手(400mハードル/110mハードル)がいますが・・・ヤツはもう存在が反則ですよね。イケメン、高身長(195cm)、高学歴(慶應義塾大卒)で、しかもフランス語と英語も話せちゃう。さらには、走るときに雨が降らない(笑)。「ここまで神に愛されている人いる?」って思います(笑)。
でも、「もう今日は走りたくない」とか言ったり、可愛らしいところも出してくる。完璧ではないところもまた、世の女性たちの母性本能をくすぐるだろうな~と思っちゃいますね。
あと、女子選手で言えばはーちゃん(北口榛花選手)ですね。同郷の北海道の子で、やっぱり強いし、とにかく可愛い! もう会ったら「はーちゃん!」って言って、ぱふぱふしてもらうくらい(笑) 癒しの存在です。

神に愛されている疑惑の豊田選手。
ハードル界はなぜこうもキャラが濃いのか

 

昨日の自分より少しでも前へ

――最後に東京2025世界陸上を楽しみにしている読者の皆さんへ、メッセージをお願いします。

東京に世界陸上が来るのは34年ぶり。世界のトップ選手が一堂に会する貴重な機会です。ぜひ人類で一番速い人、一番高く跳ぶ人、一番遠くへ投げる人たちのパフォーマンスを、生で感じてもらいたいです。
「人間の体ってこんなことまでできるんだ!」と驚かされると思いますし、日本もまだまだ数は多くないですが、世界と戦える力をつけてきています。そうした進化の過程を、ぜひ目撃してほしいですね。
あとは大会に合わせて、街の雰囲気やイベントも盛り上がると思います。陸上は、皆さんが一度は学校で経験していると思いますが、苦手意識があったり、「自分とはあまり関係ない世界だな」と思っている方もいるかもしれません。でも、競うだけでなく「昨日の自分より少しでも前へ」という挑戦のスポーツでもあるんです。
だからこそ、競技を観ることもですが、イベントなどを通じて、自分自身の挑戦や進化にも目を向けられるような時間にしてもらえたら嬉しいですね。「自分ごと」として、陸上の面白さを味わってもらえたら最高です。

 

Instagram:terada.asuka
X:@terasu114

〈Baton Run Tour〉
Web:https://www.a-start.or.jp/

 

text by Moritaka Ohashi
photographs by 椋尾 詩

共同制作:公益財団法人東京2025世界陸上財団

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