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デフ自転車・早瀨 憲太郎&久美 | 「失敗を畏れて、挑戦は迷わず」デフリンピックで頂点へ

2024.01.22

早瀨憲太郎選手と早瀨久美選手は、ソフィア2013デフリンピックから3大会連続でデフ自転車の日本代表入りを果たしている夫婦です。競技を始めたのは共に30歳を過ぎてから。久美選手は3大会でメダルを獲得(銀1つ、銅2つ)し、憲太郎選手もサムスン2017デフリンピックでは6位入賞とメダルまであと一歩に迫りました。またアスリートとして活動する一方で、お二人は別のキャリアも歩んでいます。久美選手はろう者として日本初の薬剤師、憲太郎選手はろう向けの塾を経営する傍らで、映画監督としても活動されています。そんな「二刀流」「三刀流」のお二人にデフリンピックへの思いや、プライベートについて伺いました。

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右:早瀨 憲太郎(はやせ・けんたろう)
1973年奈良県生まれ。サムスン2017デフリンピック自転車男子スプリント6位入賞。
横浜市内で学習塾早瀨道場主宰。映画監督も務めるなど手話エンターティナーとして様々な分野で活躍している。

左:早瀨 久美(はやせ・くみ)
1975年大分県生まれ。自転車女子マウンテンバイクで銀メダルとなり3大会連続メダル獲得。
サムスン2017大会では日本選手団主将を務めた。2001年法律改正によりろう者として初めて薬剤師となる。

 

まさか夫婦でデフリンピックに出場するとは

――自転車競技を始めたきっかけを教えてください。

憲太郎 20歳のときに自転車のお店でアルバイトをしていて、そこで自転車の魅力にはまりました。当時は自転車に乗って美味しいものを食べに行くという趣味程度でした。本格的に競技を始めたのは2009年です。塾の教え子が台北2009デフリンピックに出場したので、妻と二人で応援に行きました。デフリンピックを実際に目の当たりにして国を代表するデフアスリートの闘いに心が震えました。この舞台に自分も立ちたいと強く思いました。35歳からの挑戦です。

久美 台北2009デフリンピックで私はスポーツファーマシスト※という立場だったので、デフリンピックにはまず薬剤師として関わりました。夫から一緒に目指さないかと言われたときはあまり自転車競技に興味は沸かなかったんです。夫が自転車競技を始めて大会に出るようになって、そこでのデフリンピックに向かう真剣な姿に感動したんですね。それで私も一緒に目指そうと競技を始めました。

※認定薬剤師の一つで、最新のドーピング防止規則に関する正確な情報・知識を持つ薬剤師。アスリートを含めたスポーツ愛好家などに対し、薬の正しい使い方の指導、薬に関する健康教育などの普及・啓発を行い、スポーツにおけるドーピングを防止することを主な活動とする。

競技を始めたきっかけについて話す久美選手(右)に、憲太郎選手は…

憲太郎 少し事実と違いますね(笑)。僕は今ロードの選手なのですが、元々はマウンテンバイクを先に始めました。妻が応援に来てくれたとき、僕が失敗して転倒したんです。心配してくれるかと思ったら「私の方がうまくできる!」と。「それならやってみろよ」と言ったら、本当に始めてしまったという感じです。まさか夫婦でデフリンピックに出場するとは。しかも3大会連続でメダルを獲得するなんて思ってもみませんでした。また、二人ともスポーツが好きで、バドミントン、テニス、卓球、ボーリング、山登りといろいろやってきたのですが、僕は全部負けています(笑)。

久美 私は負けず嫌いなので、自分が負けると思う勝負はやらないんです(笑)。

憲太郎 僕は将棋が得意なのですが、やろうと言っても妻は絶対にやりません。妻が自転車を始めたとき「あ、本気で勝ちにきた」と思いましたよ。

久美 負けたくないので(笑)。もちろん一人のろう者としてリスペクトしています。大学生のときに出会ったのですが、当時から自分の信念を持って目的に向けて地に足をつけて歩んでいる。教育関係の活動を軸にNHKに出演したり映画を作ったりと、他の人にはない天才的なものを持っているなと。なんでもできる夫にコンプレックスを感じることもありますが、夫から学ぶことはたくさんあって、すごくリスペクトしています。でもスポーツでは私が上に立ちたい(笑)。

負けず嫌いな久美選手は、憲太郎選手をリスペクトしつつ「スポーツでは負けたなくない」とも

情熱、時間、お金…今の自分のすべてを懸けて

――競技を本格的に始めてから変わったことはありますか?

久美 競技では普段の準備や練習があって、その延長上に本番がある。デフリンピックのマウンテンバイクは1時間少しくらいなんですが、その1時間のために4年間もかけるんです。時間で言えば35,000時間。でもたくさん練習したからとか努力したからとかは結果には関係ない。どれだけの時間を自分と向き合っていけるか、だと思います。私は誰かに負けたくないという性格だったのが、競技を始めて勝ち負けではなく自分との対話なんだと考えるようになりました。夫は本番に向けてよりストイックになっていき、その結果に対して正面から向き合っています。そんな夫に影響を受けているところが多いと感じます。そこは変わったかもしれません。

憲太郎 昔と変わってきたなと思うことが二つあります。以前は競技をやっていることに対して「趣味ですよね?」と聞かれることが多かった。「趣味ではないです。僕の人生を託すものです」と答えていました。オリンピックの選手に「趣味ですか?」ときく人はいないですよね。オリンピックの選手と同様に情熱、時間、お金と自分のすべてを懸けて取り組んでいます。今はデフリンピックの知名度も上がってきたので、「趣味ですか?」ときかれることは少なくなってきました。
 もう一つは意識の部分で、これは母からの教えなのですが、「失敗を畏れて、挑戦は迷わず」という言葉がすごく好きなんですね。失敗を畏れ「ず」ではなくて失敗をきちんと怖がるんです。怖がるからこそそれに向き合って何が必要かを考える。その結果、失敗したとしても自分の中で納得できる。その積み重ねが挑戦を続ける大きな力になる。私は性格的にケセラセラ(なるようになる)で、良くも悪くも失敗を畏れずにやってきたのですが、今はきちんと失敗を畏れるようになった。そういう部分が、競技を始めてから僕自身が変わったところかもしれません。

「失敗を畏れて、挑戦は迷わず」という母の教えを胸に、競技を続ける憲太郎選手

大会数カ月前に競技開催が決まり、メダルを獲得

――出場したデフリンピックにどのような思い出がありますか?

憲太郎 ソフィア2013デフリンピックは初めての出場だったので、何もかも新鮮でした。結果はダメでしたが、世界を知ることで自分の力を知ることができました。次のサムスン2017デフリンピックは、本当にメダルまであと少しだったのですが、落車をして大ケガをしてしまった。それから国内の大会でいくら良い成績を残しても、そのときの悪夢を忘れることができないし、今でも寝ているときにフラッシュバックします。これを消し去るためにはデフリンピックで自分が納得できる結果を出すしかない。そういう意味でも、忘れられない大会です。一方で、カシアス・ド・スル2022デフリンピックについては、戦う相手がコロナになってしまったので、今までとはまったく違うものでしたね。

サムスン2017デフリンピックでの憲太郎選手

久美 ソフィア2013デフリンピックでは当初、女子はロードだけだったんですが、大会の数カ月前にマウンテンバイクも初開催されることが決まり、スタッフ兼選手として参加することになったんですね。初めてということもあり緊張して何が何だか分からない状況でしたが、有力選手のパンクに救われて、なんとかメダルを取れました。サムスン2017デフリンピックでは、ロード4種目に加えてマウンテンバイクにも出場しました。前回の経験を生かしてしっかり準備できたので、ロードで入賞、マウンテンバイクではメダル獲得と自分自身でも納得のいく結果となりました。カシアス・ド・スル2022デフリンピックでは、コロナの影響もあり、スポーツファーマシストとして選手全体のことも考える必要があった。デフリンピックという大会で銀メダルを取れただけではなく、自分の薬剤師という職業をうまくリンクさせることができたという喜びを感じましたね。

久美選手はカシアス・ド・スル2022デフリンピックで
選手としてもスポーツファーマシストとしても大活躍だった

憲太郎 サムスン2017デフリンピックで、妻は日本選手団の主将を務めました。主将はメダルを取れないというジンクスがあったので、ものすごいプレッシャーを感じていたと思います。ただ結果的にメダルを取れて、しかも主将を務めたことで様々な競技の選手と関わることができた。その経験が今も生きていて、スポーツファーマシストとして各競技団体からたくさん相談を受けています。あのとき信頼を勝ち取ったことが大きいのかなと思います。

 

デフリンピックは「音のない競技の世界一を決める大会」

――お二人は東京2025デフリンピックをどのような大会にしたいと思っていますか?

憲太郎 自分としては年齢的にそろそろ肩を叩かれる時期かもしれません(笑)。ただ競技の世界で年齢は関係ないですし、純粋に誰が一番強いかだと思います。若い選手にとっての高い壁になりたいです。今はまだまだ負けるという気持ちはありません。

久美 私にはどうかしら?

憲太郎 君には負けるかな(笑)。アスリートとして、国を代表してデフリンピックに挑めることはとてつもなく光栄なこと。その一方で違う立場でもデフリンピックを盛り上げたいという気持ちがあります。例えば、今やっていることは、ろう者がろう者に向けて競技の実況・解説をすること。これはデフリンピックに限らず、デフスポーツの中でろう者の実況・解説がつくのが当たり前の状況にしたいです。大会をただのお祭りで終わらせてはいけない。デフリンピックが終わってからの未来が私にとっての本当の挑戦だと思っています。

国を代表して戦いたい気持ちは今も強く、若手に道を譲るつもりはない

久美 選手としてだけではなく、100年目のデフリンピックで運営委員としても関わることができるのはとても幸せなことです。100年後の社会をどうデザインし、レガシーを残していくか。そういう役割もあると思っています。
 競技の面では、体が大きい外国の選手に対してパワーで劣っていますが、今回はスキルが重要なコースになっているので、最後は技術で勝ちたいと思っています。また裏方としては、夫と同じように様々なことに関わっていきたいです。夫とはやりたいことが違うので、お互いに「そういうことをやりたいんだ。面白そうだね」と盛り上がっています。

憲太郎 デフリンピックは「音のない競技の世界一を決める大会」です。視覚をスポーツの中で生かす能力がずば抜けているんです。もし音のないルールできこえる選手と同じ大会に出場したら僕たちきこえない選手が大活躍すると思います。きこえる選手はどの競技でも音で判別している部分があると思うんです。すべては「音のある競技」なんですね。
自転車競技も例えばギアチェンジをする音をきいて相手選手のアタックが始まると分かる。僕たちデフアスリートはすべて視認で判断する。デフリンピックでは、もうみんなの視線が身体中に刺さるくらいすごい。
 どちらが良い悪いではなく、音のある競技のやり方、音のない競技のやり方、それぞれ違いあるということです。音のない世界での競技があること、それがデフリンピックの魅力であり、デフリンピックを通してデフアスリートの凄さを知ってもらいたいと思います。

 

好きなことは「前人未踏」

――ここからはパーソナルな面をきかせてください。お休みの日は何をされていますか?

久美 自転車ですね(笑)。二人ともずっとオフはなくて、一日休んだことはないです。平日は二人とも仕事をしていて、土日はレースや講演があります。もちろん夜はちゃんと寝ています(笑)。

――もしお休みを二人で取れるとしたら何かしたいことはありますか?

憲太郎 練習ではなく、ちょっと遠くまで200kmくらい一緒に走って温泉入って美味しいもの食べようかというぐらいですかね。

出会ったときの第一印象は「最悪だった」と笑う二人

――それは仲良くなりますね。

憲太郎 いや、仲良くはないです。

――「新婚さんいらっしゃい」かと思いました。

久美 それなら司会者がひっくり返らないと(笑)!

――では競技を始める前はどのようなことをお二人でされていましたか?

久美 夫は基本的に並ぶのが嫌いなので、人の多いディズニーランドとか遊園地は行かないんです。私は絶叫系の乗り物も好きなのですが、夫は苦手。お化け屋敷とかも嫌い。美術館とか博物館も嫌がる。映画は一人で観にいきたがるし。出会いから相性は最悪でした。

憲太郎 そもそもデートでどこか行った記憶があんまりないような(笑)。二人でスポーツはよくやってましたね。

久美 旅行は二人とも好きで海外にはよく行ってました。誰もあんまり行きそうにないところや国を調べて行くというのはありましたね。

憲太郎 僕が好きなのは、「日本初!」とか、「世界初!」とか(笑)。誰もやったことがないとか、前人未到とかいうことが大好きなんです。そんな話が来たときはもう即「やらせてください!」です。
 誰も行ったことがないところに行きたい。誰も食べたことがないものを食べて、たとえまずくても、それはそれとして楽しめばいいんです。

 

法律を変え、ろう者として初の薬剤師に

――久美さんはろう者初の薬剤師ということで前人未到のことをやり遂げたと思います。その道のりで得たことや感じたことはありますか?

久美 国家試験に合格した後に申請を却下されたときは本当に悩みました。このまま薬剤師を本当に目指すのか。途中でやめた場合、今まで勉強してきたことが無駄になってしまうのは絶対に嫌だと思ったので、両親ともきちんと相談しました。法律ではろう者の薬剤師は認められていませんでしたが、それを一人で変えるのは難しい。だから周りを巻き込んで一緒に力を合わせて進めていきました。禁止されている条件は60個以上あったんですね。結果的には、それらをすべて変えるという大きな運動になりました。資格を取れるようになったことで、人が生きていくための道をつくれたと思いますし、そのための貴重な役割を果たすことができたのは自分としても大きな経験でした。

憲太郎 私だったら法律でダメと言われたらそこで諦めちゃいます。本当に前人未到なことだと思います。しかも自分一人だけではなく、その後に多くの医療従事者が生まれていった。そんな妻を心から尊敬しています。

薬剤師として日々働く久美さん

――憲太郎さんは映画を制作されていますが、きっかけは何だったのでしょうか?

憲太郎 教え子の高校生たちから、映画やテレビドラマで恋愛モノにはほとんどきこえる人だけ出演しているので、ろう者の恋愛ドラマを観たいと言われたんですよ。確かにきこえない人だけの恋愛ドラマって当時はなかった。「おっ!前人未到がここに!」と思って自分でつくろうと映画制作を始めたのがきっかけです。

――映画を通じて伝えたい思いやメッセージはありますか?

憲太郎 映画にはメッセージ性を入れないようにしています。映画を観た人の心の中でメッセージが生まれるような映画を作りたい。エンターテインメントとして映画を楽しんでもらいたい。
ただ映画を観た方からよく言われるのは、3作とも「家族の絆」がテーマになっているんじゃないかということです。狙ってはいませんでしたが、言われてみると確かにそうかもです。また、「なんで主人公みんな医療関係者なの?」と言われます。1作目は薬剤師の女性がヒロインの一人、3作目の「咲(え)む」では、看護師の女性がヒロインです。それも実はあまり考えていなかった (笑)。妻の影響を知らず知らずのうちに受けているかもしれません。僕は「家政婦は見た」や「科捜研の女」とか好きなので、次は「科捜研のろう」みたいな映画を作りたいですね(笑)。

 

「できるか、できないか」ではなく「やりたいか、やりたくないか」

――お二人は競技と仕事を両立されていて、素晴らしいキャリアを送っていると思います。自分のキャリアに迷っている人がいたら、どのようなアドバイスをしますか?

久美 やると決めたらやる。もちろん途中で失敗や後悔をすることもあると思いますが、そこから得ることは大きいと思います。私の両親がそういう考え方で、そうした環境で育ったおかげもあって、夫の言葉を借りれば「失敗は畏れて、挑戦は迷わず」です。何でもやってみてほしいなと思います。

憲太郎 何かに迷ったときに、僕が考えるのは「できるか、できないか」ではなく、「やりたいか、やりたくないか」です。純粋にやりたいと思ったらやる。人の心理としては損をしたくない思いがあって、できるかどうかで考えてしまうと思います。ただそれを考えると行動に踏み出せないし、そうするとチャンスが逃げちゃう。まずやりたいと思ったらやると決めて即行動。悩むらなそのあとに悩めばいい。何事もタイミングだと思います。一瞬のタイミングをものにするには自分の「やりたい」という思いがすべてです。

競技と仕事を両立し、素晴らしいキャリアを歩んでいる二人の言葉は、含蓄に富んでいる

――最後にデフリンピックに向けて一言お願いします。

憲太郎 デフリンピックについて、デフリンピックが「自分に何をしてくれるか」ではなく、デフリンピックに「自分は何ができるか」を皆さんに考えてもらえたらと思います。一人ひとりがやろうと思えば、様々な形でデフリンピックに関わることができる。何ができるか考えるところからスタートすれば、デフリンピックが終わったあとも、その思いはつながっていくのかなと思います。

久美 他の誰でもない自分自身が関わることで、社会を変えるきっかけの一歩になると思います。ボランティアでもいいし応援でもいいんです。デフリンピックから帰国して家に戻ったら「祝!メダル獲得」の垂れ幕がありました。町内の皆さんが「元気をもらえた!」とつけてくれたんです。「デフリンピックが社会を変えるってこういうことなんだ」と涙が出ました。
ぜひどんな形でもいいので、東京2025デフリンピックに関わってもらえたら嬉しいです!

早瀨憲太郎
Instagram:kentaro.hayase
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X:@kentarohayase

早瀨久美
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text by Moritaka Ohashi
photographs by Kiyoshi Sakamoto

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