亀澤 理穂(かめざわ・りほ)
1990年東京都生まれ。住友電設㈱所属。
先天性の難聴で、日本聾話(ろうわ)学校に通っていた。幼少期から始めた卓球で、全国ろうあ者卓球選手権大会や世界選手権大会といったデフ卓球の国内外の主要大会に出場し、世界一も経験。2024年には全日本卓球選手権大会のデフ部門の出場枠を勝ち取る。
これまで4大会連続で出場するも銀メダルにとどまるデフリンピック。デフ卓球をけん引する存在として、東京2025デフリンピックでの悲願の金メダルを目指す。
体でリズムを覚える
――卓球を始めたきっかけを教えてください。
もともと両親が卓球をやっていたので、その影響が大きかったです。兄と一緒に近くの体育館に行って、卓球をやったら面白かった。卓球はサーブがあるので、必ず一本は自分から始められるし、相手と一緒に楽しめます。それが魅力だなと感じました。
――学生時代は聴者と練習や試合をすることが多かったと思います。聴者のプレーとはどんな違いがあると感じていましたか?
音と体のリズム、ボールのスピードがすごく違いました。デフ卓球では補聴器を付けることが禁止されているので、何もきこえない状況でプレーする。音がないので体でリズムを覚えなければいけないし、ボールのスピードとラケットをうまく合わせることに、頭と体と目を使います。聴者は音がきこえるのでボールが卓球台に当たったかを目で確認することはあまりなく、かつ、足がしっかり地面に付いている。ろう者でも個人差はありますが、私の場合は台に当たった音がきこえないので、どうしても目で確認する必要があり、腰が高くなってしまうんです。『入ったのかなー?』と。そういった違いもありますね。
――聴者と対戦するときは、どう対応したのですか?
日ごろは補聴器を付けて練習をして、試合をする前に長い時間、補聴器を外して練習してみる。それで調子が悪くなった場合はまた補聴器を付ける。その繰り返しで微調整しています。ただ、補聴器を外してプレーすると、音がある状態での感覚を忘れてしまうんですね。イメージがしにくいかもしれませんが、新しい技術を習得するには体で覚えなければいけない。そのためには、まずは音の情報が必要なんです。以前に一度だけ3カ月という長い期間、音をなくした状態で練習をしてみたのですが、調子が悪くなってきてしまって・・・。だからなのか、卓球がつまらなくなってしまいました(苦笑)。なので、補聴器を適度に付けたり外したりして、技術や体のリズムを身につけながらやるのが自分としては合っているかなと思っています。
憧れから夢、そして目標に変わった
――デフリンピックを知ったのはいつごろですか?
中学1年生のときに初めて日本ろうあ者卓球協会からデフ卓球の合宿に呼ばれて、そのお昼休憩に元世界チャンピオンの方の講演がありました。そこでデフリンピックを知り、純粋に憧れを持ったという感じです。その後、デフ卓球の全国大会に出場し3位という結果を残すことができたので、「私もデフリンピックに出られるかも」と夢に変わったんです。そして様々な大会や強化指定の合宿を経ていくうちに代表の内定をいただき、次は「デフリンピックでメダルを取る」という目標に変わりました。
――台北2009デフリンピックでは女子団体で銀メダル、女子シングルスで銅メダルを獲得しました。ご自身にとってはどのような大会でしたか?
遠かったものが現実となっていき、「努力は裏切らないんだな」と率直に感じましたね。メダルを取ったときは本当に夢見心地でした。メダルは2個でしたが、4年後は金メダルを取りたいという新たな目標も見つかった大会でした。
――ソフィア2013デフリンピックでは銀メダルと銅メダルを獲得していますが、4年前とは違った意味を持つメダルだったかと思います。
ソフィア2013大会は社会人になって初めてのデフリンピックでした。ダブルスのパートナーである上田萌さんと、小さい頃から約束していた金メダルを取ろうと臨んだのですが、決勝の試合中に私が足首をひねってしまい、2位に終わりました。最後まで戦えたので上田さんとの絆は強いものになりましたが、ケガをして足を引っ張ってしまったので、すごく悔しかったです。本当に金メダルを取りたかったという思いが、非常に強く残っています。
国内最高峰の『全日本卓球選手権大会』に初めて出場
――ソフィア2013デフリンピック後、一度現役を退いています。その後、復帰して挑んだサムスン2017デフリンピックでは銅メダルを2つ獲得しました。
もともとソフィア2013デフリンピックの時点で、卓球をやめるつもりでした。同世代の人たちは恋愛をしたり、旅行をしたりと楽しいことをやっていたのに、私はそれができなかった。いろいろな制約がある中で選手生活を続けてきたので、そこから解放されたい気持ちがありました。
ただその後、遊び過ぎで10キロ太ってしまったんですね。これは痩せないとまずいと(笑)。ダイエット目的で卓球をやったら、やっぱり楽しかった。それで再開して、全国大会に出たら優勝することができたんですね。私は目標を達成するまで諦めたくない性格なので、これまで金メダルを取れていなかったこともあり、2017年のデフリンピックにトライしようと思い立ったんです。ただ、実際に出場したら世界のレベルがどんどん上がっていた。「今のままでは勝てない、金メダルも遠くなったな」と感じた大会でした。
――カシアス・ド・スル2022デフリンピックは、新型コロナの影響もあり難しい大会だったと思います。
娘が生まれて、初めての大会でした。サムスン2017大会よりもさらにレベルが上がり、これまで知らなかった若い選手も多く参加していました。二つメダル(銀と銅)を取りましたが、もっとレベルを上げるために、まだまだ自分にできることがあると感じた大会でした。
――2024年1月に行われた全日本卓球選手権大会にも初めて本戦に出場されています。その舞台に立ってみてどう感じましたか?
全日本卓球選手権大会に出場するためには東京都の予選を勝ち抜く必要があります。ただ、実業団やプロの選手もいて、レベルがすごく高いんです。ただ2024年から日本卓球協会が知的・肢体・デフの各部門で男女一人ずつが出場できる制度ができたので、「夢がかなうかも」と思い日々の練習を積ね、代表の枠を勝ち取ることができました。会場も東京2025デフリンピックの卓球が開催される東京体育館で、1回戦で負けてしまいましたが、思ったよりも自分の力を発揮できたので、とても良い経験だったなと思います。次に出場できたときは、きこえない人でもこの舞台で勝てることを証明したいですし、その結果をもって、デフスポーツの認知度を高めたいです。
デフリンピックは「人生最大の財産となる舞台」
――東京2025デフリンピックでは、ご自身のどういうプレーに注目してほしいですか?
自分の武器はラリーなので、それを最後まで諦めないでやり続けるところを見てもらいたいですね。あとは私だけでなく、他の選手も含めて表情に注目してほしい。一本一本の表情が違うはずですし、そういう部分も見ると面白いんじゃないかと思います。
――東京2025デフリンピックでの目標を教えてください。
もちろん金メダルです!加えて、これまで一つの大会でメダルを二つまでしか取れていないので、三つ以上のメダルを取りたいと思っています。
――東京2025デフリンピックで楽しみにしていることや期待していることがあったら教えてください。
なかなか会えていない友達にも見に来てほしいですね。あとは、可能であれば聴者の大会と同じくらいメディアの方に取材に来てもらいたいです。今はデフリンピックの認知度が低いので、取材やメディアの数が少ないんです。あとは街のいたるところに大会エンブレムが掲示されたり、デフリンピック一色になって盛り上がってほしいですね!大会を通してみなさんに障害者アスリートとの関わりを増やしてもらい、住みやすい社会づくりや、あらゆる人が輝くレガシーにつながることを期待したいです。
――デフリンピックはご自身にとってどのような舞台ですか?
私にとっては人生最大の財産となる舞台です。今まで、人生の半分以上を卓球に懸けてきました。東京2025デフリンピックはその集大成だと思っていますし、これまでの人生を懸けて戦いたいですね。
愛娘には好きだからこそ・・・
――ここからは亀澤さんのパーソナルな部分をお聞かせください。休日はどのように過ごされていることが多いですか?
卓球は年中ずーっと試合があるので、土日のどちらかは試合をしていて、試合や合宿がない休日は全力で娘と遊んでいます。所属している住友電設株式会社はパラアスリート雇用なので、土日に試合や合宿があった場合は平日に振替休日を取れるんですね。リフレッシュとして、美容院やネイルに行って女子力を磨くようにしています(笑)。
――娘さんが試合を見に来ることもあるのですか?
たまに連れていくのですが、いつも「つまならい」と言っています(笑)。まだ5歳なので仕方ないかなと。
――娘さんにも卓球をやってもらいたいという希望はあるのですか?
私としては別の競技をやってほしいなと思っています。卓球をやるとなったら、自分が厳しく言ってしまいそうな気がしていて(苦笑)。他の競技をやってくれると、お互いに違うスポーツの話ができるので、それを期待しています。ただ、本人が卓球をやりたいと言えば、もちろん全力でサポートをしたいですね。
――卓球以外だと何かやってもらいたい競技はあるのですか?
七夕に短冊に願い事を書くことがあって、そこに「水泳選手になりたい」と書いていました。もし娘が水泳をやっていたら私はダイエット目的で、水中ウォーキングしたりできるので、それもいいなと(笑)。私はデフスポーツの仲間と会って、情報交換をするのがすごく楽しいんですね。そういう意味でも別の競技をやって情報の共有ができれば、コミュニケーションの質や量も上がると思っています。
父と勝ち取った世界選手権の金メダル
――ご自身が一番影響を受けた人はどなたですか?
やはり両親ですね。親が卓球をやっていなかったらデフリンピックにも参加することはなかったと思います。今も親のおかげで好きな卓球に取り組めています。
――2012年に東京で開催された世界ろう者選手権では、当時日本代表の監督を務められていた父・佐藤真二さんとともに団体戦で優勝されていますね。
父が監督になってから、いろいろとプレッシャーもありました。卓球のときは監督、それ以外では父だったので、切り替えが難しかった。選手も人間なので、監督と考え方が合わないとか、この練習は嫌だという声をきくこともあって、娘としては複雑な部分もありました。父は卓球で家にいないことも多く、一緒にいた思い出があまりないんですね。ただ世界選手権で一緒に金メダルを取ったことで、自分の記憶に残る思い出ができたのは良かったなと思います。
オススメのデフスポーツの選手は「素敵な言葉」を持つ二人
――リフレッシュするためにしていることはありますか?
最近はサウナと岩盤浴にハマっています。心を整えたいときに行ったり、デフスポーツの仲間に会っておしゃべりをすることがリフレッシュになっています。本当は旅行にも行きたいのですが、その時間があったら今は練習をしなければいけないと思っているので、デフスポーツの仲間と会って、お互いに刺激し合っています。
――サウナに行くとやはり心が整えられるものですか?
そうですね。私も「ないない」と思っていたのですが、実際にサウナに入るともやもやが消えて、すごく気持ちいいんです。「10分入って、水風呂に入って、外気浴がいい」と言われたのですが、友達と一緒に行くと喋り過ぎて時間を忘れてしまうことも多いです(笑)。とにかく何も考えないで、頭の中にあるものを全部放り出すイメージで、ボーっとしています。
――オススメの選手を紹介するならどなたですか?
二人いて、一人は同じデフ卓球の選手で4月から高校生になる山田萌心(もえみ)選手です。一緒にデフリンピックや国際大会にも出場したチームメイトの一人です。私にはまだ勝ったことがないのですが、試合をやるたびに「次は負けませんからね」と言ってくる。この若さながら、負けん気の強さはすごいなと思っていて、そこに惹かれるんです。
もう一人はデフバレーボールの長谷山優美選手です。彼女と初めて会ったのはサムスン2017デフリンピックで、現地での移動のバスでたまたま隣りに座ったんです。そこで意気投合してしまって。彼女はコミュニケーション力に優れていて、かつ私と性格も似ていたので、徐々に一緒に遊ぶようになりました。お互い競技がうまくいかなくて落ち込んだときには、すぐに連絡を取り合うくらい仲が良いです。彼女は2000年生まれで若いのですが、素敵な言葉を持っているし、人のために動く行動力もすごい。自慢のデフアスリートであり、自慢の友人です。
――男性の選手ではどなたかいますか?
誰だろう・・・。男性も二人挙げるとしたら、デフサッカーの岡田拓也選手とデフ陸上の森本真敏選手ですね。岡田選手はいろいろな趣味を持っていて、褒めたくないけどオンとオフの切り替えがすごくうまい(笑)。本が好きで、難しい言葉も素敵な言葉もよく知っているんです。たまに私の知らない言葉があるといじってきたりして、ふざけた会話をしています。私が分からなさすぎるのもありますが・・・(笑)。
森本選手はハンマー投げの選手で、台北2009デフリンピックで金メダルに輝いています。東京2025デフリンピックでも金メダルを目指しているのですが、過去に金メダルを取っているのに、また取りにいこうというチャレンジ精神がすごい。SNS発信も積極的にされていて、「私も頑張ろう」という勇気をもらえます。そんな彼は、サウナマニアです(笑)。
――最後に東京2025デフリンピックを楽しみにしている読者のみなさんへメッセージをお願いします!
長谷山選手らオススメの選手はもちろんですが、デフスポーツにも魅力が詰まった選手がたくさんいます。彼女らを一人でも多くの方に知ってもらえたら嬉しいですし、メダルを目指して日々戦っている選手たちのためにも、ぜひみなさんに会場に応援に来てほしいです。デフリンピックやデフスポーツの知名度はまだまだ低いので、2025年に向けて一緒に盛り上げていきましょう!
X:@richam04
Instagram:ripotan_official
text by Moritaka Ohashi
photographs by 椋尾 詩