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陸上競技・佐藤 拳太郎 | 32年ぶりに日本記録を更新。“400mの星”は「再現力」を武器に世界で飛躍する

2024.02.05

2023年8月に開催されたブダペスト2023世界陸上で、32年間止まっていた時計の針が動きました。男子400m予選に出場した佐藤拳太郎選手は44秒77をマーク。1991年の日本選手権決勝で高野進さんが出した44秒78を0.01秒上回り、日本のトラック種目最古の記録を更新しました。陸上競技を始めたのは高校に入学してからという佐藤選手は、明晰な頭脳と経験に基づく「再現力」を武器としています。プライベートでは、星空を見に行くのが好きな29歳。日本の“400mの星”は、世界の舞台でさらなる飛躍を見据えていました。

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佐藤 拳太郎(さとう・けんたろう)
1994年埼玉県生まれ。男子400m日本記録保持者(44秒77)。

埼玉県立豊岡高校で陸上を始め、城西大学を経て富士通に入社。
オリンピックではリオデジャネイロ2016・東京2020大会に出場。世界陸上には20歳で初出場した北京2015大会から4大会出場。
2023年7月、アジア選手権で日本歴代2位の45秒00を記録し金メダルを獲得。続く8月のブダペスト2023世界陸上では44秒77を記録し、32年間破られなかった日本記録を0秒01上回る歴史的快挙を見せた。
パリ2024オリンピック、東京2025世界陸上での活躍が期待される日本短距離界のエース。

 

最初は「こんなきつい種目があるんだな」と感じた400m

――陸上競技を始めたきっかけを教えてください。

競技を始めたのは高校に入学してからで、最初は天文部に入っていました。その後、兼部という形で陸上部に所属することになり、今に至ります。当初は天文部の活動が中心だったのですが、中学まで野球をやっていて、体を動かしたい気持ちもあったところ、陸上部のクラスメイトから「人数が少なくてリレーも出られない。数合わせでいいから入ってほしい」と頼まれたこともあり、兼部することになりました。

――400mは「最も長い短距離種目」です。始めたときはどう感じていたのですか?

初めて400mに触れたのはマイルリレー(4×400mリレー)でした。高校の陸上部は人数が少なかったので、短距離の選手全員が4継(4×100mリレー)もマイルリレーも走ることになっていました。それで400mを走ったのですが、最初はこんなにきつい種目があるんだなと(笑)。でも人間は慣れる生き物なので、回数を重ねるごとに400mに対する恐怖心も薄れてきました。400mは距離も長く、走っている途中でも修正ができるので、それが楽しいと感じるようになってきて、今も続けています。

400mについて「最初はこんなにきつい種目があるんだな」と感じたという佐藤選手

――ご自身のどういう特長が400mに向いていると考えていますか?

向いていると感じたことはないです(苦笑)。スプリント種目はある程度、自分の核となるものがあり、レースでそれを当てはめれば記録が出る。その核をしっかり自分で構築することが大事だと思っています。私はこういう動きをしたいという形を再現することが得意だったので、その「再現力」が陸上競技をやる上で私の根幹にもなっています。

 

経験と科学のハイブリッドで日本記録を更新

――リオデジャネイロ2016オリンピックは代表に選ばれながら出場なく、東京2020オリンピックはマイルリレーで日本タイ記録を出しながら決勝には出場できませんでした。

リオはスタンドで見ていました。マイルチームとして一緒に過ごしてきた仲間が、大舞台でパフォーマンスを表現してくれて嬉しい気持ちもあったのですが、自分の中で満足感や充実感はなかったです。
東京では私がマイルチームの最年長ということで、チームを引っ張っていく立場だったのですが、最大目標に掲げていた決勝進出を逃してしまった。日本タイ記録ということで周りの方からは「よくやったよ」という言葉をかけていただいたのですが、自分の中ではもう少しやれたことがあったと思います。両大会とも自分の中では達成感はなく、もっとできたという気持ちしかないです。

日本記録に並ぶ好走も、目標を達成できなかった東京2020オリンピック
©Getty Images for World Athletics

――23年7月のアジア選手権で日本歴代2位(当時)となる45秒00、8月のブダペスト2023世界陸上で44秒77をマークし、32年ぶりに日本記録を更新しました。連続で好記録を出せた要因は何だったのでしょうか?

一昨年、アキレス腱を痛めて試合に出場することができず、その期間に大学院に行きました。そこで文献を通じて400mや陸上競技について学ぶことがすごく多かったんです。そのとき、400mにおける走りの核ができたんですよ。
自分が構築した400mを「再現するだけ」という状態ができ、高いアベレージで記録を出せるようになったんです。ただ、自分の中ではまだ6割くらいの完成度だと思っています。それを100%に近づけることが今の課題です。

大学院で知見を積み重ね、自身の走りの「核」を構築

――休んでいる間に理論を学び、昨年それを練習で固めていったというイメージですね。

そうですね。今までは経験値に頼っていて、自分の走りを説明できなかった。ある程度はこう走るというものはあったのですが、科学的なデータとして実証できていなかったので、再現性の低さにもつながっていました。ただ、経験と科学をハイブリッドさせた結果、8年ぶりに自己ベストを出して、日本記録も更新できました。とはいえ記録を出した瞬間も、達成感や満足感はなく、世界陸上でも決勝に残ることができなかったので「まだまだ」という気持ちが今は強いです。

 

無駄ではなかった8年間の苦しみ

――アジア記録は43秒93です。そのタイムを超えるために改善すべきことはどんなところだと考えていますか?

44秒77のレースを振り返っても、世界陸上の空気感で、あの競技場だったからこそ出せた記録だと思っています。まずはこの記録を自分の力で出せるようにしたい。そう考えると、昨年一番良かったのは、アジア選手権の決勝で45秒00を出したレースだったと思います。
400mをパーツで分けると、自分の動きをしっかり考えて表現できたのが、あのレースでした。そのときは最初の200mが遅かったので、そこのスピードを上げながら、200mから300mでは速度を落とさず、最後の100mは体をぶらさない。100mから200mの間はトップスピードを出せていると思うので、その動きを最後の100mで再現できれば、絶対に速度の低減は少ない。そういう動きができるようにトレーニングをしています。

ブダペスト2023世界陸上では32年ぶりにトラック種目最古の日本記録を更新
©Getty Images for World Athletics

――記録と向き合うことは苦しさも伴うかと思います。日ごろからご自身とどのように向き合っていますか?

昨年、自己ベストを更新するまでに8年かかりました。どうやったら記録を更新できるのかをずっと考えてきたので、苦しい8年間ではあったのですが、その期間にいろいろなことを試せたのは良かったと思っています。
例えば最初のスピードを上げて200mまで全力で走ってみる。その上で最後の200mはどういう動きになるのかを経験できたのもそうですし、逆に最初の200mをゆっくり走って、後半200mはどれだけタイムを落とさず走れるかを試すこともできた。400mに対して、自分の引き出しが増えた8年間だったと思います。

自己ベストを更新するまでの8年間は苦しかったとも

「見たいですね、国立競技場が満員になるところを」

――今年はパリ2024オリンピックが開催され、来年は東京2025世界陸上が行われます。将来のロードマップはどう考えていらっしゃいますか?

今年のオリンピックは個人種目での決勝進出、マイルリレーではメダル獲得が目標です。それが達成できれば世界陸上では、個人種目でのメダル、そしてマイルリレーでの金メダルも目指せる位置にいくと思っています。

――世界陸上が東京で開催される意義はどんなところだと感じていますか?

個人的には、この大会が将来の日本陸上界の分岐点になると思っています。見てくださるみなさん、これをきっかけに陸上競技に触れるジュニア世代にとっても、陸上競技の今後を左右するくらい、重要な大会です。何を持って成功とするかは難しいですが、この世界陸上は誰が見ても良い大会だったと言ってもらえるように、私自身も頑張っていきたいと思います。

――東京2025世界陸上で楽しみにしていることや期待していることがあったら教えてください。

どれだけ自分のパフォーマンスを表現できるかはもちろん楽しみですし、この大会をきっかけに陸上競技を見てみたいと思ってくださる方が増えると嬉しいです。見たいですね、国立競技場が満員になるところを。そのための施策や取り組みは、日本陸上競技連盟や東京都の方々も考えられているかと思うので、私も協力できればと思っています。

ブダペスト2023世界陸上のように、満員の観客で埋まる景色を東京でも
©Getty Images for World Athletics

無類の「星」好き。海外遠征でもこっそりと…

――ここからは佐藤さんのパーソナルな部分をお聞かせください。休日はどのように過ごされていることが多いですか?

トレーニング期や、シーズン中で変わってくるところはありますが、できるだけ疲れがたまらないように過ごすようにしています。その上で、高校時代に天文部だったこともあり、車の中にキャンプ道具も入っているので、どうしても星を見たいときは、それを使って夜に見に行くこともあります。

――天文観測が好きになるきっかけは何かあったのですか?

父親がキャンプ好きだったので、そこで星空を見る機会が多く、「空に絵が描いてある。あれが星座なんだ」と感じたのがきっかけです。最初に認識できた星座はオリオン座でした。それが砂時計のように見えて…。その後、自分でいろいろな星座を見て、いつの間にか星空にハマっていました(笑)。

――少し長いオフがあったらキャンプに行って星を見ているのですか?

そうですね。泊まらなくても、夜に明かりが少ないところに行って、眺めています。流星群シーズンはそれを見に行きます。星明りは小さいので、明かりがあるとすぐに見えなくなってしまう。できる限り、光源が少ないところに行きます。流星群を見る会も企画されているので、それに参加するのも面白いですよ。専門の方がレクチャーしてくださって、「あちらの方角に流星群が流れてきます」と教えてくれたりするんです。

――写真も撮られるのですか?

いや、私は見ているだけです。曇っているときは、YouTubeで流星群をライブ配信してくれる人もいるので、それを見たりします。ハワイのマウナケア山に大きな展望台があるのですが、日本で見られない流星群は、そこからのライブ配信を見ています。南半球でしか見られない星座もたくさんあって、オーストラリアに遠征したときは夜にこっそりと見ていました(笑)。

遠征中にこっそり見に行くほど無類の「星」好き
(写真は長野県にある国立天文台野辺山の45m電波望遠鏡と)

家具が大好き。中学生のころから一人で『ニトリ』に?

――星以外でも、最近ハマっていることがあったら教えてください。

家で過ごすことが好きなので、「どれだけ家での生活を良いものにできるか」をいつも考えています。部屋の模様やデスク周りをどうするか考えたり、どんな家具があるか調べる時間に充てています。

――部屋のレイアウトにも凝っていますか?

自分が生活する場所なので、とにかく妥協はしたくないですね。一回やり始めると凝り性なんです。自分が100%納得いくまで満足できないので、なかなか終わりが見えない(笑)。

本邦初公開(⁉) 貴重な自宅のリビングルームの写真
黒と茶色で揃えられた統一感のあるシックなお部屋

――それは小さい頃から?

中学生のころから一人で『ニトリ』に行ったりしていて(苦笑)。家具を見るのがすごく好きなんです。「この家具いいな」と写真に撮って、勝手に図面を作ったりしていました(笑)。『IKEA』も大好きですよ。

――家もすごくきれいなんでしょうね(笑)。

きれいにしたいなと思っています。基本的に「これはこの位置」と決めているので、人が来ると少し大変かもしれないです。もちろん「これをここに戻して」とかは言わないですよ?(笑) あくまで自分の家だけで、他人の家では気にならないです。自分のテリトリーに、どれだけ生活しやすい城を作れるかが重要だと思っています。

――代表の合宿などでは相部屋も多いと思いますが?

そのときはある程度、自分の中で境界線を決めて、「ここから先はとにかくきれいにする」と決めて、そこに何か物が入ったときはこっそりどけたりします(笑)。

 

何かを思っても8秒間我慢する

――周りの方からどういうふうに思われていると感じますか?

普段あんまり騒ぐタイプではないので、騒がない人だと思われているとは感じます。今話したようなことは極力出しません(笑)。なるべく平常心でいるように心がけて、何かを思ってもしっかり8秒間我慢します。そうすると怒りの気持ちもなくなります。
強制もしないようにしていますね。自分はこう思うだけで、相手には相手の考え方もある。自分自身だけを意識するようにしています。

――ご自身以外で、おすすめの選手を紹介するならどなたですか?

400mは戦略性が高い種目です。私は200m以降が得意なのですが、最初の200mが得意な選手で言うと、佐藤風雅選手や川端魁人選手、ウォルシュ・ジュリアン選手はその部類に入ります。後半の200mだと中島佑気ジョセフ選手ですね。いろいろな戦術パターンの選手がいるので、それを意識しながら前情報として持っていると400mのレースが楽しくなると思います。

おすすめの選手はオレゴン2022世界陸上の4×400mリレーを戦った選手たち
国内での彼らとの熾烈なレースも注目ポイント
(左から川端魁人選手、ウォルシュ・ジュリアン選手、中島佑気ジョセフ選手、佐藤風雅選手)
©Getty Images for World Athletics

――最後に、東京2025世界陸上を楽しみにしている読者のみなさんへメッセージをお願いします。

日ごろからご支援、ご声援をいただきありがとうございます。私たちが競技をできるのもみなさんのおかげなので、まずはそれを伝えたいです。
どうしたら東京2025世界陸上を成功させられるのか、みなさんが「開催して良かった」と思える大会にできるかを日ごろから考えながら行動したい。そのための努力を私たちは惜しまない覚悟ですので、みなさんと一緒に、東京での世界陸上をつくり上げていきたいと思います!

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text by Moritaka Ohashi
photographs by Kiyoshi Sakamoto

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