閲覧支援ボタン
文字サイズ
コントラスト
言語
ATHLETE
選手を知ろう

陸上競技・山西 利和|普通の中学生が、世界一の競歩選手に。自分なりの答えを探して、今日も歩く。

2023.10.30

高校時代に競歩に出合い、メキメキと頭角を現していった山西 利和選手。自国開催が決まった東京2020オリンピックでメダルを獲ることを夢見て競歩に邁進し、見事銅メダルを獲得。世界陸上では2019年のドーハ大会、そして2022年のオレゴン大会で金メダルを獲得。世界トップレベルの競歩選手となった今、東京2025世界陸上にかける思いを尋ねました。

  • シェアする

©Getty Images for World Athletics

山西 利和(やまにし・としかず)

1996年、京都府生まれ。京都大学卒業後、愛知製鋼に入社。高校から始めた競歩でインターハイ優勝、大学時にはユニバーシアード優勝と、世界でも世代を代表する選手へと成長する。社会人になり、初出場のドーハ2019世界陸上では20km競歩で金メダル。続くオレゴン2022世界陸上で2大会連続の金メダルに輝く。東京2020オリンピックでも銅メダルを獲得。


競歩には、僕のような普通の陸上選手でもチャンスがある

――山西選手は、なぜ陸上競技を始めたのですか?

中学生になったとき、自分ができそうなスポーツを始めようと考えた結果、その中では得意と言えるものが陸上競技でした。走るのは楽しく、練習もそれなりに真面目にやりましたが、陸上で何者かになろうなんてまったく考えたことはありませんでした。京都府の府下大会にも出られずに負ける普通の選手として3年間を終えました。高校でもその延長線上で陸上部に入りました。

――高校で競歩に出合ったのですよね。どんな出合いでしたか?

僕が中学生の頃は、中学校では全国大会につながる地方大会がなく、学校の部活動としてもほとんど行われていなかったと思います。だいたいの競歩の選手は全国大会につながる地方大会がある高校時代に、競歩と出合っているはずです。僕もそうです。
競歩をやっている1つ上の先輩がいたことや、熱心に指導している顧問がいたという、競歩にまつわる人との出会いがあったことと、競歩は競技者もそれほど多くない種目なので、上の大会を目指しやすいと言ったら語弊があるかもしれませんが、僕のような普通の陸上選手でもチャンスがあるのではないかという下心もあり、競歩を始めました。競歩の動きを見様見真似でやってみたら、思ったほど下手ではなかったような気もしたので、挑戦してみようかなと。

秋晴れの青空の下でインタビューに応えてくださった山西選手。

――高校時代は日々、どんな練習を行いましたか?

競歩は文字どおり、歩きを競う競技で、速く進むことと、ルールに則って歩くことの2点を両立させることが重要になります。たとえば、踏み出した足が着地した後、膝をまっすぐに伸ばしておかなければいけませんが、そのルールばかりに気を取られていると速く進むことができません。逆に、スピードだけを求めて歩くと、膝が曲がってルール違反になったり、フォームが崩れてしまったりします。そのバランスを保ちつつ、自分の理想とする競歩をつくりあげていくために練習を積み重ねます。

練習の一つに「ドリル」と呼ばれる反復練習があります。競歩の動きのエッセンスは10種類ほどあり、その一つひとつの動きを切り取って反復し、最後に10種類ほどを一度にまとめて行って、自分の動きをつくり上げていくのです。

――瞬く間に強くなり、3年生のインターハイで優勝。京都大学工学部へ進学しますが、学業に打ち込むか、競歩を続けるか、悩まれたそうですね。

ただただ夢中で取り組んだ3年間で、それに結果がついてきてうれしかったことを覚えています。その後の進路については悩みましたが、高校2年のときに東京2020オリンピックの開催が決まり、金メダルを獲るという夢を見たくなり、大学でも陸上を続けました。

しかし、金メダルを獲るには、4年間で大学日本一になるという目標ではだめで、もっと急な放射角で未来への道筋を打ち出すことが求められます。フォームの洗練度や歩く技術、練習の質、量、強度などすべての設定を変えないと金メダルは獲れないと考え、練習に励みました。

10月某日、愛知県内で山西選手(右)と同じ愛知製鋼所属の丸尾知司選手(左)と諏方元郁選手との合同練習が行われた。
練習前、時間をかけて全身をストレッチする山西選手。

――その設定どおり、東京2020オリンピックでは見事に日本人初の銅メダルを獲得されました

高い目標設定が功を奏したのでしょう。ただ、目標設定が思ったとおりにいかなかったのが2023年8月に開催したブダペスト2023世界陸上でした。

ふだんは20kmを歩いているのですが、35kmに挑戦することは僕の競歩人生のなかで必ずやいい経験になると判断して、2022年10月に第59回全日本35km競歩高畠大会に出場しました。多くの収穫や気づきが得られた一方で、本来ならブダペストに向けてじっくりと練習を積み上げていく時期にそれができず、足踏みをしてしまったのも事実です。ほかにもさまざまな要因が重なったこともあり、ブダペストに向けての準備が想定以上に遅れてしまいました。歩きの土台づくりがしっかりとできないままブダペスト大会に出場したことで、24位という敗北につながったというのが僕なりの結論です。

3連覇を目指すも、厳しい戦いとなったブダペスト2023世界陸上。©Getty Images for World Athletics

――今後、2024年にはパリオリンピック、2025年には世界陸上が東京で開催されます。23年9月に行われた「TOKYO FORWARD 2025 シンポジウム」で、東京2025世界陸上への思いを問われた際、「理想を追う」と答えられました。山西選手の「理想」とは?

ブダペスト大会で勝てなかったので、東京大会では勝ちたい!という強い思いはあります。自国開催なので、大勢の人に見てもらえることも楽しみにしながら、準備していきたいです。
僕の理想は東京2020オリンピックでメダルを獲ることでした。それが実現した後は、自由に目標を設定できるようになったので、「自分の競歩を探す」と言ったらかっこよすぎますが、それを今の理想にとらえているところはあります。自分の納得がいく競歩をつくり上げ、競歩に対して自分なりの答えを出すことが僕の理想であり目標です。

この日は、3kmを5本行うインターバルトレーニングを行った。数を重ねるごとにタイムが短くなっていく。
見惚れてしまうほど美しいフォーム。
現在も試行錯誤を繰り返しながら自分なりの「競歩のカタチ」を探し、追い求めている。

小学校のマラソン大会に向けた日々の積み重ねが、「スポーツの楽しさ」と出合うきっかけに

――ここからは、選手としてだけではなく、山西さん個人としてのお話も含めてお聞かせいただければと思います。競歩に出合う前、子どもの頃はどんなスポーツをされていたのですか?

幼稚園で体操教室、小学1年生でサッカー、3年生くらいで水泳です。水泳は2年間ほど習いましたが、それ以外は長く続きませんでしたし、スポーツは得意ではないと思っていました。小学校3年生のとき、学校で行われたマラソン大会に出て、下から数えたほうが早い順位でしたが、4年生のときに、走った分だけ印がもらえる「すごろく」のようなカードを先生からもらったことで、そのカードを進めたくて走るようになりました。短い期間でしたが日々の積み重ねの結果、4年生のマラソン大会では10番台になれて。「自分にもできるスポーツがあるんだ」とうれしくなりました。

ただ、5、6年生になると、付け焼き刃で2、3週間練習をしても、ふだんからサッカーなどで鍛えている同級生には勝てず、順位を下げた記憶があります。ただ長距離走は嫌いではなかったので、中学校では陸上部に入り、長距離を走るようになりました。

小学4年生のマラソン大会で見事15位に。(写真:山西選手提供)

――陸上競技以外の時間は何をされていることが多いですか?

今もそうですが、子どもの頃から本を読むのが好きでした。当時、好きだったのは江戸川乱歩の「怪人二十面相」!人が亡くならない物語なので安心して読んでいたことを覚えています。最近読んだのは、森見登美彦さんの「熱帯」です。
ただ、僕は元々、大きな変化を好まないので、放っておくと同じ作家の本ばかり読んでしまいがち。凝り固まろうとする自分に抗うために、最近はあえていろいろな作家を読むようにしています。小説以外で最近刺激を受けたのは、将棋の羽生善治さん。勝負を仕事にされている方の哲学は学ぶところが多いです。

さまざまなジャンルの本が置かれているご自宅の本棚。(写真:山西選手提供)

――本以外で好きなことは?

動きがパターン化された動きをしていて、頭では何も考えずにボーッとリラックスできる時間が好きです。たとえば、やり方を覚えてしまったルービックキューブを回転させているときとか(笑)。折り紙も好きですね。小さなパーツを六十数個つくって組み立てるくす玉みたいな折り紙。ひたすら同じ作業、パターン化された作業を行う時間が好きです。

上/実際に山西選手が折って作った、同じ形のパーツを30個折り、組み合わせてつくるくす玉。
下/無心になってできるという、ルービックキューブ。(写真:山西選手提供)

メダルを取っても優勝してもプレッシャーはある。その対処法とは

――休日はどんなふうに過ごしていますか?

独身時代は、家から出かけて、何もしないで帰ってくることもちょくちょくありました。街なかを目的もなく散歩したり、デパートに入っても何も買わずに出てきたり。「何かあればいいな」と思って出かけるのですが、何もなく帰ってくるという(笑)。そういうことは試合前によくありました。大会前のプレッシャーから逃れるためなのか、競歩とは別のことをしたり、考えたりしようとするのですが、結局何もできなかったりします。

この春散歩中に見かけた、桜が綺麗な小道。(写真:山西選手提供)

――迫りくるプレッシャーからは逃れようがないということですね。試合前にルーティンとして行っていることはありますか?

スタートラインに並ぶ前に、空を見上げます。スタートは緊張するので、レースに意識が集中しすぎて内面に意識が向きがちなので、自分を一回外に飛ばすというか、一度大きな空を見渡して、「いっちょ前に緊張しているけど、思っているほどお前は大したもんじゃないよ」と言い聞かせると、小さな自分に戻れて、気持ちが楽になったりしますね(笑)。
あと、試合前にはお米を食べます。海外に行くときは、お湯を注ぐだけでご飯になるパックの白米と赤飯を数日分、持っていきます。フリーズドライの味噌汁も。競歩は長時間、休みなく体を動かすし、僕はパンやパスタだと体力が持たないので、レース前にはお米を食べます。

愛知県内にある定食屋にて。和食好きという山西選手。(写真:山西選手提供)

――最後に、この記事を読まれ、初めて競歩を観戦しようという方もおられると思います。競歩の楽しみ方を教えてください。

競歩はきれいなフォーム、バタバタしているけど意外と速いフォーム、ランニングのようなフォームなど、いろいろな歩きのフォームがあり、それを選手ごとに見比べるのも競歩を観る楽しさです。フォームの違いをより理解したいと思ったら、一度、競歩を体験してみることをおすすめします。自己流で全然かまわないので、公園や安全な道を競歩で歩いてみてください。競歩の動きを理解するヒントが得られるかもしれません。

また、20km競歩はいかに先頭集団に交じり、余力を残しながらラストの勝負に入っていくかが見どころですが、35km競歩は先頭集団から落ちても、追い上げれば3位くらいに食い込むことができるので、最後までレース展開から目が離せません。20km、35km、それぞれの見方で楽しめるでしょう。

長年のトレーニングによってつくられた、鍛え上げられたふくらはぎと足首。

X(旧・Twitter)@Yamanishi_Toshi
Instagram:yamanishi0

photographs by Yusuke Abe
text by Kentaro Matsui

共同制作:公益財団法人東京2025世界陸上財団

新着

デフ柔道・佐藤正樹|「きこえなくても人生は明るい」次世代に伝えたい柔の道

2024.06.27

柔道着を着れば僕も憧れのヒーローになれる――そんな純粋な子ども心から始めた柔道がきっかけで初めての友だちができた。大人になった今ではデフ柔道界で初の世界一になった。
自身の柔の道をロールモデルにして、人生と柔道の楽しさを同じろうの子供たちに伝えたいと、佐藤正樹選手は瞳を輝かせます。東京2025デフリンピックで金メダルをとるために、転職するほどひたむきに競技に打ち込む柔道家。一方で畳を下りたその素顔は一途な愛妻家でもありました。

デフ柔道・佐藤正樹|「きこえなくても人生は明るい」次世代に伝えたい柔の道

2023.08.18

デフ柔道・佐藤正樹|「きこえなくても人生は明るい」次世代に伝えたい柔の道

2024.06.27

柔道着を着れば僕も憧れのヒーローになれる――そんな純粋な子ども心から始めた柔道がきっかけで初めての友だちができた。大人になった今ではデフ柔道界で初の世界一になった。
自身の柔の道をロールモデルにして、人生と柔道の楽しさを同じろうの子供たちに伝えたいと、佐藤正樹選手は瞳を輝かせます。東京2025デフリンピックで金メダルをとるために、転職するほどひたむきに競技に打ち込む柔道家。一方で畳を下りたその素顔は一途な愛妻家でもありました。