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2025をつくる人たち

山本やまもと 典城よしきさん

デフフットサル女子日本代表監督

山本 典城|夢や目標を持ちたいと思ったときに、障害のあるなしに関係なくだれもがチャレンジできる日本へ

2024.01.29

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たまたまの出会いやタイミングから
指導者の道を歩むことになった山本監督。
「楽しくできればいい」と思っていた日本代表選手たちのマインドを変革し
世界一へとたどり着いた10年間の軌跡とデフフットサルの未来についてうかがった。

選手たちに言い続けてきたマインドチェンジが
「世界一」という栄光に結びついたーー

―2023年11月に開催されたデフフットサルワールドカップ※では女子日本代表を史上初の金メダルへと導きましたが、一番の勝因は?

山本 4年前の前回のW杯では、準々決勝でブラジルに負けて5位という結果に終わってしまったんですが、そこから「世界一を獲るために何が必要か?」ということを、あらためてしっかりと整理しました。そのうえで今大会で世界との差を生んだのは、日々の環境とマインドの変化だなと思います。
 今大会の代表選手12名は社会人だったり大学生だったりですが、フットサルチームに所属して日々競技と向き合ってきたメンバーです。企業のアスリート雇用が増えている中で、選手の大半がフットサルに打ち込める環境で日々トレーニングできたこと。そのうえで、活動頻度も含めてチームの一体感をしっかりと創れたこと。そして、監督に就任してからのこの10年間という月日の中で、選手たちのマインドを変えられたことが、世界一という結果を得られた要因です。

※第5回ろう者フットサル世界選手権大会。2023年11月9日~18日にブラジルで開催。

―「選手たちのマインドを変える」とは?

山本 監督になって初めて合宿をしたときに、選手の「日本代表」というものに抱いている価値観や考え方が、ぼく自身が持っていたものと大きなギャップがあると感じたんですね。当時の選手たちは、たまたま自分がフットサルを好きでやっていたら日本代表っていう場所ができた。「じゃあ参加してみよう」というぐらいの意識からのスタートだったんです。そのマインドを変えていく作業に、最初の4年間は費やしたような感じでしたね。
 最終的に大事なのは「どんなマインドで日々の練習に臨み、かつ、どんなマインドでやり続けるか」。マインドを変えていかなければ、いくら練習をしても伸びしろは広がらない。だから、ず~っと選手たちに言い続けてきました。それが10年経った中でようやく、日本を代表して世界に出ていくマインドを持った選手たちが育ってきたのかなと思います。

―選手たちのマインドを変えていくために、どのような方法を?

山本 まず、あらゆることを可能な限り言語化しました。最初は正直ぼくもデフの世界を知らなかったですし、選手たちもメダルを獲ったことがなかったので、共通の目標としてわかりやすく「メダルを獲得する」ことを一つ設定したんです。そこから「メダルを獲得するために必要なことは何か?」を整理していく中で、「日本代表とは?」「なぜ責任を持たなければいけないのか?」などを言語化し、自身に落とし込ませるために耳が痛くなるぐらい言い続けていました。
 ぼく自身はフットサルの選手として日本代表にもなっていなければ、たいした経歴の選手でもなかった。だけど、幸せなことにチームメイトなど身近に日本代表の選手たちがいたんですよね。20年以上前のフットサル自体の認知すらまだ低かったころですが、日本代表選手が競技力や認知の向上のために「どんな取り組みをどんな意識でやるか」を近いところで感じられていたのは、監督をやるうえですごく大きな基盤になっていったと思います。

2013年、代表監督就任時ごろの山本監督 ©JDFA

ブラジル戦の直前に起きていたチーム崩壊の危機!?
互いの感情をぶつけ合った選手たちの結果は・・・

―監督が今大会で優勝を確信したターニングポイントとは?

山本 いろんなドラマがあったんですよ、裏話をすると・・・。一番は、予選4試合目のアイルランド戦で引き分けたあとの、次のブラジル戦までの一日半。ここが大きなターニングポイントでしたね。多分これはチーム全員が言うと思います。それぐらい大きな出来事でした。
 予選グループ初戦のイングランド戦は快勝。ヨーロッパチャンピオンを予想以上に良い内容で勝利し、「自分たちのやってきたことは間違っていなかった」とスタートを切れたんです。2戦目のドイツ戦は引き分けでしたが、3戦目のアルゼンチン戦に勝ったことでまた勢いを増しました。
 ・・・そこで問題のアイルランド戦。「勝てば決勝進出が確定」という、初のメダル確定もかかった大きな試合を1-1で引き分けてしまったんですよ。アイルランドは日本を警戒して、かなり守備的な戦術をとっていたので、なかなか点が入らないのは想定内ではあったんです。だけど、この試合ではウォーミングアップのときから選手たちの気持ちがあんまりまとまってないのを感じてはいたんですね。試合が始まってみると、気持ちがプレーにつながっていかない。結果、1-1の引き分け・・・。一気に天国から地獄に落ちるような瞬間を味わって。「切り替えるしかない」とチームには言い、ぼくも部屋に戻って試合映像を見ながら振り返っていたんですね。そのときにメンタルトレーナーが来て、「監督・・・実は今、選手たちからこういう話がありました」って・・・。

※第5回ろう者フットサル世界選手権大会 女子日本代表 最終結果(参加国:6カ国)
■予選リーグ:3勝2分0敗 2位通過(決勝戦進出)
・第1試合:日本〇 3-0 ●イングランド
・第2試合:日本△ 0-0 △ドイツ
・第3試合:日本〇 4-0 ●アルゼンチン
・第4試合:日本△ 1-1 △アイルランド
・第5試合:日本〇 7-1 ●ブラジル
■決勝戦:
日本〇 4-4(PK 3-1)●ブラジル

―選手たちからの話とはどのような・・・?

山本 「アイルランド戦の前に選手間で問題が起こっていて、選手同士が信頼し合えていなかった」と。「強豪のドイツに引き分けたりアルゼンチンに勝ったけど、本当ならもっと点が獲れた」。その原因を自分自身に矢印を向けるのではなく、外に矢印を向けてしまう選手が多く出てきてしまったんです。それが意見のぶつかり合いに発展し、ぼくやスタッフの知らないところで選手間の信頼関係が崩れてしまった。そのままアイルランド戦に入って、引き分けの結果だったと・・・。
 聞いたときに、まず「ふざけんなよ」と思いました(苦笑)。フットサルは試合の流れの中で、やりたいことが思い通りにいかない時間が多くあります。だからこそ、うまくいかないときにどう切り替えられるかをすごく重要視していて。ぼくはずっと選手たちに言い続けてきたし、選手たちも成長してきた。でも、この大事な本番で他責にするような言い争いが起こっちゃうんだ・・・というのも含めて「ふざけんなよ」っていう感情になったんです。「チームのために何ができるか?」というマインドを常に持ち続けられる選手でないと到底居られる場所じゃない。それを理解して乗り越えなければいけない。バラバラになりかけていたチームをもう一度ひとつにするために、「まず選手たちだけで、とにかく腹を割って言いたいことを言い合え」と伝えたんです。
 そして一晩経って、「みんなすっきりした顔してんのかな」と思って朝ごはんに行ったら、そうでもないんですよ(苦笑)。キャプテンがぼくの部屋に来て「うまくいかなかった」「自分が描いていたような話し合いにはならなかった」って・・・。「じゃあもう1回やれ」とやらせたんです。そしたら、そこで初めて選手たちがそれぞれの感情をぶつけ合って。泣きながら話し感情をぶつける選手もいたようで、しっかり思いを伝え合って、結果としてひとつにまとまった。そういうエピソードがありました。

―そうした苦しみを経て、選手たちはブラジル戦で勝利を?

山本 そうですね。いざブラジル戦を迎えてあの快勝・・・あの勝ちをもぎ取った時点で、「これは優勝できるチャンスがあるぞ」と、確信に近いものを感じたところがありましたね。
選手たちだけで話し合いをさせたことは、本当に賭けでした。チームが崩壊する可能性もあったので・・・。でも、監督として選手たちを10年間にわたって信頼し続けてきて、彼女たちのこの大会に懸ける思いとか、金銭的な負担も含めて本当に苦労してやってきているのを近くで見てきた。だからこそ、その思いに懸けた・・・。これも、思えば勝ったからこうやって美談みたいに言えるんですけどね(笑)。
 でも、何か成功した方の体験談とか人生ドラマって、必ずストーリーがあるじゃないですか。「いろんなターニングポイントを乗り越えた人たちだからこそ、結果を出せるんだ」とすごく実感しました。

W杯優勝の裏側にはチーム崩壊の危機が… ©JDFA

―マインドの変化によって、ブラジル戦では選手たちが互いに信頼し合って存分に力を発揮した試合に?

山本 技術・戦術があってというのはもちろんですが、その土台にあるのは気持ちであり「どんなマインドでやるか」というのは確実に影響してきます。ギリギリの状態で戦う舞台であればあるほど、マインドをしっかり持っていないと、技術だけでは到底勝てないというのはあらためて感じましたね。
 ぼくも最初は選手たちに対して「ふざけんなよ」って言いましたけど、ずっと信頼していた選手たちを一瞬でも疑った自分というのも感じていて、「ぼく自身が選手たちに矢印を向けちゃっている」と冷静になれたんです。ブラジル戦からもう一度、選手を信じきって指揮を執っていくために、「自己満足かもしれないし、おれが選手たちの気持ちを知りたいだけの時間かもしれない。けど、つきあってほしい」と、今度はスタッフを含めて選手たちと全員で話し合いをしました。

―決勝前にそんなことが起きていたとは・・! 映画にできそうなエピソードですね。

山本 いや、負けていたら・・・ね。勝ったからこそ、です(笑)。

チーム全員でとことん突き詰めた結果、チーム全員でつかんだ世界一 ©JDFA

フットサルを続けてきたことで自分の人生が豊かにーー
その経験が少しでも役立てばと、監督になることを決断

―監督として10年間続けてこられた中で感じる大きな変化とは?

山本 ぼくが伝えてきたことをデフの選手たちがインプットして行動に変えて、健常の世界に積極的に飛び込んでいったことです。同時に、デフの選手たちを受け入れる健常の環境も変わっていきましたね。デフの選手を知ることでどんなサポートが必要かなど、知識が増し価値観も少しずつ変わっていったことで、デフの選手たちが飛び込みやすい女子フットサル界になってきましたね。
 最初はデフの選手たちって、健常のフットサルチームの人数集め的に見られていたと思うんです。でも今は、「一デフ選手」ではなく「一選手」として必要とされるところまで来たと感じます。「スポーツを通じて社会の共生が進んでいる」と思いますし、チームスポーツの中でお互いを必要とし合い尊重し合えることが生まれてきている。「やってきたことは間違いじゃないな」と思っています。

―今大会は優勝だけではなく、監督自身も最優秀監督賞を受賞されましたが、評価されたと感じる点は?

山本 ぼくの受賞はオマケみたいなものだと思っています(笑)。何か評価してもらえたとしたら、世界的に見ても確実に日本の女子選手の実力や成長は感じていただいていて。その評価に値する選手たちを育ててきた、ということなのかなと思います。でも何より、自分が受賞を喜ぶ前に、選手たちが喜んでくれていたのが本当にうれしかったです。

―どうして監督の道へ?

山本 もともとは指導者になるつもりはまったくなかったんですよ。2011年の東日本大震災のあとに、ろう者の方々が震災のチャリティーとしてフットサル大会を開催されたんです。その大会にたまたまゲストチームの一員として参加させてもらって。そこで初めてデフフットサルを知ったんですよ。それまでは障害のある方々と密に接する機会はほとんどなかったんですが、「耳がきこえない人でもフットサルを楽しめるんだ」と知ったのがきっかけで、デフの方たちと交流を持たせていただくようになって。「何か力になれることがあれば、なんでも言ってください」って受け身な姿勢ながらも関係性を築いていきました。
 そのころ、デフフットサル女子日本代表で新しい監督を探していて、ぼくの経歴を知った日本ろう者サッカー協会から打診をいただいて・・・。でも、やると決断をするまでに半年かかったんです。自分自身が障害に対する価値観や知識がないことがまず不安だったし、もともと指導者になるつもりもなかったので・・・。ましてや「日本代表」は特別な場所ですし、その責任を負う覚悟が持てなかった。

10年という歳月を経て獲得した最優秀監督賞

―半年間迷われた中で監督になることを決めた最大の理由とは?

山本 いろんな方から話を聞いていく中で、自分は「フットサルやサッカーをとおして、さまざまな人と出会えたり関係性をつくることができて、人生が豊かになったな」と。「じゃあ今ここにいる選手たちが同じような道を選びたいと思ったときに、選べる環境があるのか?」。そこに、まだまだ不平等だよなという個人的な考えがありました。その不平等を少しでも変えていけるように、「自分の経験が役に立てるのであれば、一回しかない人生、チャレンジしてもいいのでは」と。そこで覚悟を持って「やる」と決断しました。
 でも、最初は本当に苦労しましたよ…。当たり前ですけど、選手もスタッフもみんなろう者で手話を使ったりしてコミュニケーションを取ってるんですけど。その中に手話もできない、コミュニケーションの取り方もわからないぼくがいるわけですよ。そうしたらめちゃくちゃ孤独感に陥って・・・(苦笑)。

―そこでは監督が「マイノリティ」・・・?

山本 そうそう、そうなんですよ。だけどそのときに、「きこえないとか歩けないとか、それが障害ではなくて、その環境や状況が障害を生んでいるんじゃないか?」っていう考えが、心の中でパッと生まれて、ス~ッと自分の中に落とし込まれたんです。障害に対して難しく考えないで、「その中でうまくコミュニケーションを取るための方法を考えればいいだけだ」とマインドが変わったのが大きかった。最初は手話をできなきゃいけないとあせっていたんです。でも、「ジェスチャーでもなんとなく伝われば、そこがスタートにはなっていくかな」と思えたところで、選手たちとの距離も少しずつ近づいていったと感じますね。

―監督自身も「マインドチェンジ」を?

山本 そうですね。ぼく自身もマインドは大きく変わっていきましたし、考え方や価値観も含めて大きく変化しましたね。

―選手と接する中で最も意識をされていることは?

山本 最初から一番意識していることですが、自分の言ったことがちゃんと伝わっているかをこまめに確認するようにしています。あくまでも主観なのですが、きこえない人はきこえる人とコミュニケ―ションが取りにくいときに、あきらめちゃうことがあるなって・・・。
 ぼくが説明していると、選手たちはすごくうなずくんですよ。「めっちゃきいてるじゃん」と思うけど、「じゃあ今言ったことを始めて」って言うと、わかってないんですよ。「うそでしょ!?」って(苦笑)。それが何回も続いたことがあったので、理解しているかを確認する作業を追加したことで、選手たちとのコミュニケーションはより良くなりました。

―監督をやめようと思われたことは?

山本 ・・・あります(苦笑)。でも、「やめるのはいつでもやめられるから、もうちょっとがんばってみようかな」っていう、その繰り返しでしたね。自身、2回目のW杯には「やれることはやったな」という気持ちで臨んだんですが勝てなくて。自分の力も含めて「コレが限界なのかな」って大会が終わったときには思ったんですけど・・・。
 選手の何人かが「次も続けてほしい。自分もまたがんばりたい」と言ってくれたんです。そういう選手たちの生の声を聞いたときに、もう一回監督をやるにあたって選手たち自身も成長しなければいけないし、ぼく自身も今までと同じことをやっていてはこれ以上の結果は出せない。だから「環境も変えないといけない」と考えていたときに、現所属のケイアイスター不動産株式会社から、監督業も含めて障害者スポーツ全体にかかわっていくような日常を送れるチャンスをいただけたんです。

―監督自身の環境も大きく変化が?

山本 大きかったですね。障害者スポーツ界全体の課題ですが、選手が金銭的な自己負担をすることが多く、また選手を支えるスタッフの環境も大変なんです。皆さん本当に自分の時間を削って、仕事が終わってからや休みの日に活動しているスタッフが多い。それを否定するわけではないんですけど、障害者スポーツ全体の発展を考えると、スタッフの環境も変えていかないと良い指導者は育たないし、良い指導者が続けていくことも難しいです。ぼく自身もその当事者であり、「変えなきゃいけない」っていう意識が強かった。その中で今のような環境へのチャンスが運良く巡ってきたということもあって続けてこられた。そういう意味でいろんな面で恵まれているし、家族も含めて応援してもらえる環境に身を置けているというのは大きいですね。

障害のあるなしではなく
環境や考え方が障害を生み壁をつくっていることも

―デフフットサル界において、海外と日本とで差を感じることは?

山本 それはたくさんありますね。海外では選手が自己負担で大会に臨む国はほとんどないんですね。「自分たちは国を代表して行くんだから、当然負担なんかするべきじゃない」っていうスタンスです。
 そのうえで国によってスタンスは違うと思いますが、違いを明確に感じるのは、海外の多くの国では「障害のあるなしは関係ない」という点です。デフスポーツであっても、海外の地元テレビ局はリアルタイムにその日の試合を夕方のニュースで流しますし、タイでのW杯では決勝戦は6,000~7,000人くらい入るだろう会場が埋まっていました。応援団もふだんは健常のサッカーを応援する人たちがそのまま来て、デフの代表を応援するんですよ。ガンガン音を鳴らして、ずっと声を出して、歌も歌いながら。でも、ピッチにいるデフ選手たちにはきこえないわけじゃないですか。でも、応援したい気持ちを伝えたい一心で、国を代表して戦っている選手たちを自分たちのスタイルで応援するんです。
 そんな違いを見てきたからこそ、東京2025デフリンピックではどんな空間がつくられるのか楽しみでもあり、不安でもありますね。

―東京で初開催されるデフリンピックに向けて、監督自身が思い描く大会のビジョンとは?

山本 個人的な考えですが、デフスポーツって健常のスポーツを見ているのとそんなに変わらないんですよね。なので競技を見るだけでは、本当に感じてほしいことは感じてもらえないまま終わってしまうんじゃないかなって。「その選手たちにどういう聴覚障害があって、その障害によって日常のどんなところで困るのか」、そういうところまで気づいてもらってこそ、デフリンピックが日本で行われることの大きな意味や価値みたいなものが生まれるのではと思います。
 「聴覚障害=手話でしかコミュニケーションが取れない」と思ってしまっている人が多いと思うんですよ。その考え自体が大きな壁をつくってる。ぼくも最初はそうだったので・・・。だけど、ジェスチャーや字幕機能を使ったり、やろうと思えば壁が少しでもなくなっていくことを知ってもらうほうが、実はボールを蹴って帰ってもらうより意味があるかもしれないんですよね。
 東京2025デフリンピックも、大会全体で聴覚障害を知り、感じてもらえるようなものにできれば。デフリンピックにはきこえない人たちも多く応援しに来ると思うので、きこえない人ときこえる人との交流が生まれるきっかけづくりとか。大きな視野で行われる大会になればいいなと思っています。

―2024年3月にトルコのエルズルムで開催される冬季デフリンピックにおいてフットサルが初採用されますが、大会に向けての抱負は?

山本 もちろん優勝を目指す中で、新しいことにトライするというよりかは、自分たちが今回のW杯で勝ちきった勢いと、なぜ勝てたかということをもう一度しっかり確認することを優先しようと思ってます。今大会で出た課題の中から、限られた時間内で少しでも改善できる部分を整理して落とし込んでいきます。

©JDFA

―今後、デフフットサルやデフスポーツの世界を「こう変えていきたい」というビジョンは?

山本 スポーツをとおして夢や目標を持ちたいと思った人がいたときに、障害のあるなしに関係なくだれもがチャレンジできる日本になっていってほしい・・・それが一番の思いです。そのためには、まず競技としての認知度を上げなきゃいけないので、大会でしっかりと結果を出していきたいです。
 また、入口としてスポーツを使うのは、みんなが楽しめることでもあり可能性が広がるので、スポーツを通じて、小さなことでもきっかけづくりをできたらと思っています。
 講演の機会も増えてきた中で生徒たちによく話すのは、例えば電車で遅延が発生したときに、音声放送だけだと、きこえない人が不安に感じてしまうこと。そのときに、「きこえないで困っている人たちがそばにいるかもしれないから、一瞬でいいから周りを見渡してほしい」と。そのときは、「携帯電話を使ってでも筆談でもなんでもいいから、困っていることがないかきいてあげてほしい」と伝えて締めくくっています。
 人が変われば環境も変わります。自分が経験したことを一人でも多くの人に伝えるのが役割なのかと思っています。デフフットサルを通じてきこえない選手とかかわってきた10年間の経験の中から、リアルに感じたことを伝えるのが一番説得力がある。これからもマインドを高く持って、環境を変えていくチャレンジをしていきたいと思います。

山本 典城(やまもと・よしき)/奈良生まれ
デフフットサル女子日本代表監督

サッカー、フットサル選手としてのキャリアを経て、2013年からデフフットサル女子日本代表監督に就任。2015年からの2年間はフットサルのバルドラール浦安ラス・ボニータス監督も兼任した。
デフフットサルの指導者としては2015年タイW杯で6位、2019年にはアジア大会優勝、スイスW杯で5位と常に成績を上げていく中、2023年ブラジルW杯でチームを優勝へと導き、最優秀監督賞を受賞。
2020年4月よりケイアイスター不動産株式会社に入社。同社所属のパラアスリート集団「ケイアイチャレンジドアスリートチーム」のマネジメント業務などを行いながら、自身の経歴を生かし、アスリートたちとパラスポーツの普及や障害への理解促進につなげる活動に従事している。

Instagram:yoshiki1975
X:@yamayoshi7
Facebook:山本 ヨシキ

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