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ATHLETE
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デフ水泳・茨 隆太郎|デフリンピックの東京開催を受け、引退を撤回。着実に一歩を積み重ね、世界新記録と金メダルを目指す。

2023.08.18

茨隆太郎選手は、東京2025デフリンピックの男子水泳でメダルを有力視されている選手のひとりです。前回大会のカシアス・ド・スル2021デフリンピックでは日本選手団の主将として出場し、金メダル4つ、銀メダル3つを獲得。2022年には日本人男性として初めてデフスポーツマンオブザイヤーに選ばれました。競技を超えてデフスポーツ界をリードする茨選手に、今大会での目標や水泳に対する想い、プライベートで大事にしていることを伺いました。

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茨 隆太郎(いばら・りゅうたろう)

1994年東京都生まれ。東海大学大学院修了後、アスリート社員としてSMBC日興証券株式会社に入社。デフリンピックには過去4大会に連続出場し、19個のメダルを獲得している。

金メダルを取れなかった悔しさから、アスリート社員になることを決めた

———茨選手は3歳から水泳を続けているそうですね。思い出に残っていることはありますか?

生まれつき耳が聞こえないということもあり、体のことを思った母の勧めで水泳を始めました。3歳から通っていますが、覚えている古い記憶では、小学校2年生のときに通っていたスイミングスクールの泳力検定で1級に認定され、選手コースに挑戦することを勧められたことです。同学年で選手コースに進む子はいなかったので、誇らしく感じた記憶があります。同時に、練習が週2回から週3〜4回に増えるので、ついていけるのかなという不安も半分ありました。

———水泳のどんなところに魅力を感じていますか?

2つあります。ひとつは、水の中に入ると無になれること。水上だと周囲の人のちょっとした仕草が目に入って気になってしまうのですが、水中では自分のことだけに集中することができます。その感覚が心地よく、自分に合っていると感じています。

もうひとつは、競技者としてこれまでの自分を超えられること。練習で苦しい想いを積み重ね、大会で自己ベストを出せたときは「頑張ってきてよかった」と思えます。

インタビューは、練習場所である東海大学湘南キャンパスで行った。

———これまで獲得してきたメダルの中で、一番うれしかったメダルと悔しかったメダルを教えてください。

初めて出場したデフリンピックは2009年の台北大会で、高校1年生のときでした。自分の実力は決勝に残れるかどうか程度だと思っていたのですが、頑張った結果200m背泳ぎで1位を取ることができました。そのときのうれしさはいまでも鮮明に覚えています。

悔しかったのは2017年のサムスン大会です。ベストの状態で臨むことができ、金メダルを取れるだろうと自信を持っていたのですが、ロシアの選手に勝てず200mが銀メダル、400mが銅メダル。当時は修士課程の2年生で進路に迷っていたのですが、「この悔しさを抱えたまま生きていくのは無理だ」と思い、アスリート社員として現在の会社に入ることを決めました。

カシアス・ド・スル2021デフリンピックの写真。写真中央が茨選手。数々の国際大会に出場。男子個人メドレーの200mと400mで日本デフ記録を保持している。(写真:茨選手提供)

———茨選手は聞こえる人と同じ大会にも出場されていますが、デフアスリートに特化した大会と比べて参加しやすさに違いはありますか?

最近すごく違いを感じます。聴者の大会ではいつ自分の名前が呼ばれるかわからないのでずっと招集員の目と口を見ていなければならず、試合前から疲れてしまいます。一方、デフの大会は手話通訳がつくので、その日の泳ぎのプランを考えながら過ごす余裕があります。だからか、自己ベストの記録が出るのは常にろう者の大会ですね。

デフリンピックの観客席を満席にしたい

———東京2025デフリンピックが決まったときは、どんな気持ちでしたか?

自分が現役のときに日本でデフリンピックが開かれるとは思っていなかったので、東京で開催が決定したときはすごくうれしかったです。実は28歳から30歳くらいまでが自分自身の水泳選手としてのピークなのではと思っていたので、カシアス・ド・スル2021デフリンピックを最後に引退するつもりで練習に取り組んできていました。しかしコロナ禍で参加国が少なく心残りがあったことと、東京で開催するなら、これまでお世話になった人や応援してくれた人に自分の姿を直に見せることで恩返しができればと思い、開催が決まった翌日から本格的に練習を再開しました。

カシアス・ド・スル2021大会では400m個人メドレー・100mバタフライ・200m個人メドレー・200m自由形で金メダルを獲得。(写真:茨選手提供)

———東京2025デフリンピックの目標と、そのために取り組んでいることを教えてください。

選手としては、200mと400mの個人メドレーで世界新記録を出し、金メダルを取ることを目標にしています。最近は、ほかの水泳選手の映像を見て速さの理由を探り、自分でも取り入れてみることを試しています。また、歳とともに疲れがとれなくなってきたこともあり、寝る前に「明日はいい状態で練習に臨める」と確信できるまでストレッチをするようにしています。練習だけでなく日々の生活も整えることで、いいタイムが出ると考えています。
もうひとつの目標は、デフリンピックの観客席を満席にすることです。そのための取り組みのひとつとして、国内で一番大きい大会である日本選手権水泳競技大会に出場できる標準記録を切ることを目標としています。出場することができれば、「日本選手権にデフの選手が出たんだ」と関心を持ってもらえるかもしれません。また、SNSの投稿を増やしたり、講演依頼もできるだけ受けて、たくさんの人にデフリンピックのことを知ってもらうきっかけをつくれたらと思っています。

———今後の展望を教えてください。

いま日本のデフ水泳界が課題としているのが、若い選手が少ないことです。国際大会に出場する選手の平均年齢も上がっています。僕は小・中学生向けの水泳教室や講演も行っているので、水泳の楽しさを伝え、夢を持ってもらえたらと思っています。その中からデフリンピックに出場する選手が出てきたらうれしいですね。

「着実に積み重ねること」が茨選手の信条。2025年に向けて日々練習に取り組む。

ろう者との多様なコミュニケーション方法を知ってほしい

———ここからは、選手としてではなく、個人として大事にしていることや普段の生活について質問させてください。休みの日はいつも何をしていますか?

月曜から土曜まで毎日練習なので、以前は「日曜くらいは休みたい」と思って家にいることが多かったのですが、そうすると気持ちがリフレッシュできないので、最近は妻と外出するようにしています。2〜3時間で行ける観光名所をリストアップしてドライブしたり、カフェを巡ったりしています。

———奥様とのなれそめを聞いてもいいでしょうか。

大学のときに「パソコンテイク」をしてもらったことがきっかけです。教授が話している内容を聞くことができないので、聞こえる学生が授業の内容を文字にしてくれるんです。パソコンテイクをしてくれる学生はろう者に対する理解があるので、自然と親しくなることが多いですね。

Instagramにも、時折日々の様子を投稿している。

———生まれ育ったまち、いま住んでいるまちの好きなところはありますか?

東京都江戸川区出身なのですが、人が温かいところでしょうか。近所の子どもたちは、僕が聞こえないことを受け入れ、口の形を大きくわかりやすく表してくれました。そういうことが自然にできる人たちに囲まれていたので、あまり不便を感じることもなく、のびのび育つことができました。
いま住んでいるのは神奈川県平塚市ですが、山も海もあって公園も広く、どこに行っても気持ちがいいですね。

———仲のいい選手はいますか?

同じデフ水泳の金持義和選手です。高校3年生のとき、初めて出場した世界ろう者水泳選手権大会で専門種目が同じ背泳ぎでした。50mは僕が1位でしたが、100mと200mは金持選手が1位。それ以来、ライバル兼友人として親しくしてもらっています。彼は自分よりも人のために動ける人で、僕にない部分を持っているなと思います。

———日本でデフリンピックが開催されることによって、期待している世の中の変化はありますか?

ろう者に対する理解が深まることを期待しています。たとえば、道を尋ねられて答えようとしたとき、僕の耳が聞こえないことを悟るとみんな遠慮して立ち去ってしまいます。でも、聞こえなくても口を大きく表してもらったり、スマホに文字を打ってもらったりすればやりとりできます。デフリンピックを機に、ろう者とのコミュニケーションの方法はいろいろあることを知ってもらえたらと思っています。

手話ができない取材スタッフとも、口の動きを読み解きながら口語も交えて会話を楽しんでくれた。

———最後に、読者へのメッセージをお願いします!

デフリンピックはオリンピックともパラリンピックとも違い、手話を第一言語として開催される国際大会です。聞こえる人にとっては、身近にある別の世界に触れる機会になるのではないでしょうか。水泳に限らず、興味のあるスポーツがあればぜひデフリンピックを観に来ていただけるとうれしいです。満員の会場で皆さんにお会いできるのを、楽しみにしています!

Twitter:@ibaryu4120 (https://twitter.com/ibaryu4120
Instagram:ryutaro_ibara(https://t.co/ZPk9nN9JkI
——
photographs by Hiroshi Takaoka
text by Emiko Hida
interpretation by Toshiki Hoshina

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